弔い=幸せ




 突然だが、にわかには信じられないほど、一目見れば脳裏に焼きつくこと間違いなしといっても過言ではない美人女性にもしも告白されたなら人はどうなってしまうだろうか。もちろん告白された本人にはそのようなことをされる覚えも筋合もないものとする。
 たぶん半数の人は思考が停止する。二割の人が聞き返し、二割は夢と信じてその場から立ち去る。残り一割が頷くろう。

 このようなことを言うからには当然私ががそれと非常に酷似した状況に陥っているから他ならない。ただ、私の場合はそれをされる理由を知っている。原因も、そして現実も。しかしながら、彼女は現実を知らない。
 だから私は彼女――マコトにこう言った。

「人違いだ」
「――え?」
「私の名はアリカ、ユウカではない」
「そんな、はずは……」

 彼女がいろいろと納得がいっていない間に私は家に帰る。何故あのようなこと言ったのか、理由はある。それは私があの人に会ったのは今日が初めてであり、彼女のことは私の片割れ――ユウカから聞いたから知っていただけであり、私はユウカではないからだ。

「お、遅かったな」
「少し、寄り道をしていた」
「あっそ。それよりもうすぐ飯ができるからさっさと着替えて来い」
「……わかった」

 小学校からの親友二人も私と同じように地元ではなくその県外の高校に見事受かっている。ならば本来ならば下宿が寮で生活してるはずなのだが、私たち三人が通うことになった高校は意外と近場にあったため、それなら三人一緒に住んだ方が楽しいだろうと親が結託したので3LDKのマンションの一部屋を借り、共に暮らしている。
 少々金銭的負担が大きくなるが、その程度はあまり気にしないようだ。もちろん食事洗濯などの家事は分担し、週交代で行っている。そんな生活を始めてかれこれもう一年と二か月ほどが経った。

「ごちそうさまでした〜」

 片付けの方は料理がほとんどできない私が可能な限りやっている。そういうことも終え、私は実質に戻って久しぶりにアルバムを開いた。
 そこにある幼少期の写真のほとんどがユウカとマコトのツーショットである。何せユウカとマコトは仮婚約者であったのだから、この程度は当然である。
 仮というのは「彼が十八歳まで生きなければ認めない」と向こうが言ったから、そうなっていただけだ。この平和な世の中でそれはほとんど確約であった。
 しかし、世の中はそこまでやさしくできてはいない。玖神クガミ家としてこの世に生を受けた瞬間から、私たちは最後の呪われた宿命の上に立っている。宿命――呪い故に私たちは十五になった晩に互いに殺しあわなければならなかった。
 当然二人ともそのようなことをしたくもなかった。しかし、しなければ双方ともに死んでしまうのだ。そして、その殺し合いで私はユウカを殺した。そのことを確かに両親は心を痛めたが、それでも葬式を挙げることはない。新聞にすら載っていない。
 そんな今、私はユウカの血肉を喰らって生きている。だから、ユウカのことを思う彼女と共に生きるという選択肢はないのだ。

「……もうこんな時間か」

 気がつけばすでに夜の一時近くになっていた。さすがにこれ以上起きていると明日学校に遅刻しかねなくなってしまう。当初の予定である課題はすべて済み、ある程度の復習はできたのでこの程度でよいだろう。
 教科書をそのままに放置して、私はようやっと眠りについた。



 そして、あの告白、いや出会いから五日後の月曜、朝のホームルームで予想通りのことがあった。

「今日からこの学校に通うことになりました、天条院テンジョウイン マコトです。よろしくお願いします」

 このとき、クラスの男子生徒のほとんどがかなり喜んだ。それも無理はないか。
 この状況、真が私の通う高校に転校することは簡単に予想できていた。もっとも現実に起こりやすい未来として認知していたのだが、いざそうなったとなるとやはり気持ちが揺らぐものである。

「席は……あの空いている所に座ってくれ」
「……はい」

 彼女の席は私の席の対極だ。これで私の負担も少しは減るだろう。ユウカは彼女のそばにいることを喜んだが、私はそのようなわけがない。私が私として彼女と接したことはまずなかった上、私とユウカは親でも間違えるほど酷似してるため彼女もその違いに気付かなかったに違いない。確認していないので予想だが、間違ってはいないはずだ。
 さて、これからの休み時間はこの教室にいられない。こんなところに残っていたなら真にいろいろた問い詰められる。そんなことをされるとユウカのことを思い出してしまうので嫌いだ。
 私が私の意志でユウカを殺した。その時の記憶を思い出したくもない。その時の感触を取り戻したくはない。逃げるのは良くないことぐらいわかっている。
 だが逃げたくなるほど嫌な記憶なら、それがひどい痛みを伴うものなら、本当につらいことなら、少しぐらい逃げてもいいだろ?

「アリカ、これを解いてみろ」
「はい」

 なるべく思い出さないように呆けていたためか、教師に指名された。今は四時間目の数学だ。今のところの休み時間はすべて逃げきっている。
 だが次は昼休み。私がよく食堂で食べていることぐらい向こうは知っているだろう。それなら購買で何かを買い、どこかで食べるという手段を講じるべきなのだろうが、それは少しばかり浅はかすぎる。

「正解だ。相変わらず指摘するところがないな」

 つまらないほど簡単な問題を解いた私は、昼休みをどう過ごす方が最も安全か悩んだ。真に正直にあの運命を説明するほうが良いのだろうが、そんなことをするためにはあの感触を思い出さなければならない。
 あの時の記憶を思い出したなら、吐かない自信は正直ない。ひどい時は何もできなくなる。それほどまでにあのことは私にとってトラウマなのだ。

「……やっぱりこうなるのか……」

 昼休みは問題なく過ごせた。その後の休憩時間も何の支障もなかった。だが彼女がそれで今日という日を終わらすわけがないことぐらい知っている。
 彼女はいい意味で一途であり、悪い意味でしつこいのだ。
 今現在の状況をはっきり言おう。下駄箱で待ち伏せされている。一生懸命隠れていることぐらいみて取れるが、頭隠さず尻隠すというのであろうか。頭が半分以上こちら側に出ている。どうせ一緒に帰りませんか? とか言うつもりだろう。

「……どうしようかな」

 いくらあの自宅からここまで近いとはいえ急勾配が多く、結果的に自転車でも時間がかかる。さらにどういうわけかバスの電車も近くを通っていない。そういうわけで今年から私はバイクでここに通っている。今まであの坂を必死に上ってきたのだが、それも今はもうない。
 そのことに関して優越感を少々持っていたのだが、今だけはどうしてそのような愚かなことをしたのかかなり自分が恨めしくなった。
 何せバイクを止めている駐輪場に行くまでに約五分、さらにヘルメットをつけて乗り回す準備をするのに一分はかかる。それからやっと移動が始まる。もしもここで徒歩であったならもっと早く家路に就くことが可能である。

「アリカさん、少し、お話をしてもよろしいですか?」
「……ああ」

 逃げられないならば覚悟をきめよう。問題なのは彼女の決意や私の決意ではなくて、私の心の強度の方だ。根掘り葉掘り聞かれなければ大丈夫、だと思う。

「玖神ユウカさんを知っていますか?」
「知っている。あいつは私の片割れだから、貴方よりも知っている」
「そのユウカさんは今どこにいるのですか?」

 それを聞かれると吐き気がする。嘘をついてはいけないのであるなら、事実を言わなければならない。

「ユウカは……死んだよ」
「御冗談を。死亡届は出されていませんよ」
「死亡届が出ることが死んだということではないんだ。それに私の国籍は途中、そう一年と半年前からしかないだろう?」
「確かに、そうですが、でも……」
「詳しいことは私の親から聞いた方が早い。住所はあれから変わっていないから問題はないはずだ」
「わかりました。最後にもう一つ聞いてもよろしいですか?」
「私が答えれることなら、どうぞ」

 やっとこの災厄から解放される。やはり私は彼女のそばにいることが不快だ。確かに真は誰もが一目ぼれをしてしまうほど美しいが、そばにいたいとは願わない。
 理由はやはりふさわしくないからだろう。ユウカを殺した本人が彼女のそばにいることはおこがましいと心のどこが出考えているから不快に感じてしまうのだろう。

「あなたとユウカさんは別人なのですか?」
「ああ。まったくの別人だ。外見が瓜二つだからよく間違えられている」

 ここは普通どうして国籍を持っていなかったのかを聞くのではないだろうか。もしくはどうしてユウカの国籍を使っているのかを。思考が本当に読みにくい人だ。
 ユウカを殺した時のことを軽く思い出してしまった私は気分転換に寄り道をする。高校とは反対側にある海だ。泳ぐことは禁止されているが、こうしてただ見るぐらいは禁止されていない。
「……ユウカ……」
 もう彼との絆は思い出しかない。
 昔は、あの呪われた宿命が来る前なら、こうしてつぶやけばいつでも返事かかえってきた。それがどんなときでもそうであった。そのことが私を一人ではなくした。本来なら私が死ぬべきであったのかもしれない。
 これほどつらい思いをするぐらいならいっそのこと、死んだ方がましだ。

「ああ……」

 だが彼の血肉を喰らって生きている私にそのような権利はない。たとえどんなにつらいことがあろうとも、一人孤独であろうとも、私は生きていかなければならない。容易く死んでは彼に合わせる顔がない。

「やっぱりこんなところにいた、アリカ」
「……紗希」
「こんな時間になっても帰ってこないから司も心配したんだよ……で、今日は何があったの?」
「……何もないさ」
「嘘つけ! このバカちん!」
「イッ!」
「あんたがこんなところに来る時は対外何かあった時ぐらいわかるよ! 何年あんたに付き合っていると思ってんのよ! なめんなバカ!」

 彼女は私と同じマンションに住むもう一人、藤宮 紗希だ。当然女性であるのだが、本当に親が同棲を認めたことは驚きである。まあ腕っ節は強いのでそこらの暴漢ではまともに相手できないどころか反撃されるので安心しているのだろう。
 司というのは今週の料理当番の人の名前だ。

「どうせあんたのことだからユウカのことを思い出したのでしょ。というかそれ以外であんたがこんなことをするのは考えられないし」
「ああ……そうだ」
「で、何があったの?」
「私の高校に、ユウカの元婚約者が来た。それで少し、思い出してしまっただけだ」
「ああ……それは仕方ないね」

 紗希と司は私とユウカの関係をしっかり知っている。あの呪われた運命のことも知っている。それを踏まえた上で私たちの親友であったのだ。
 今は私の親友である。

「真さんだっけ? きれいな人だよね」
「そういえばお前たちはあったことがあるんだったな。忘れていたよ」
「あんな初々しいユウカを早々忘れられないさ」
「そうか……なあ、真には私とあのことを教えないでくれないか?」
「いいけど、隠し通すには無理があると思うよ。それでもいいの?」
「かまわない。いつか私の口から言わなければならないことだから……私が蹴りをつけないといけない問題でもあるんだ。
 そういつまでも抱えていられるか、あんなもの」
「……わかった。けど、無理するなよ」

 さすがに無理はしたくはない。
 ちなみにどうして紗希が私を探したのかというと、私が携帯を持ち歩かない主義なので連絡をつけられないからだ。
 そうしてさあ帰ろうかと思ったとき、紗希の携帯が鳴った。

「司からだ。なんだろう?」
「どうせ私が見つかったかどうかを聞きたいのではないか?」
「そうかも。出てみるね」

 紗希が携帯に出ている間にも私はバイクに向かって歩いた。先のことだからここまで歩いてきたのだろう。となると帰りは後ろに乗せることもできる。
 ポケットからリモコンを取り出し、スイッチを押してエンジンをかけた。

「や、司、どうしたの? ……うん……うん……そう、またなの……へ? ……わかった。アリカ」
「何だ?」
「司が話があるってさ」
「電話で? 珍しいな」

 そういいつつ、携帯を受け取る。司は私とは面を向かって話すことを好むのでこうして電話で会話をするのは珍しい。それほどの急用なのだろうか。

「もしもし、何かあったのか?」

こんのバカがー!!!

「ヒギッ!」

 大声で叫ばれたから聴覚が麻痺した。耳鳴りが本当にひどい。耳鳴りが納まってから、再び電話口に出た。

「かなり耳が痛いのだが……」
『その痛みはオレたちを無用に心配させた結果と思え。というか、お前バカ?』
「少なくともお前たちよりかは頭がいいぞ」
『そうじゃなくてな、人間として。いつまで抱え込むつもりだよ。確かにあれはお前のせいかもしれないけどさ、お前、オレたちに言っただろ?
 あいつは最後は笑っていたって。それってつまりは、抱え込むなということなんだろ。少なくとも、ユウカはお前に生きてほしかったんじゃないのか?』
「それでも……ユウカは私にとってかけがえのない片割れなんだ。少しは抱え込ませてくれ」

 この辺のぬくもりが心地よい。私にとっても家族背もある彼らはほんとに出会ってよかったと思う。私たちのことを受け入れてくれてありがたい。

『その辺はお前の自由だがなぁ……まあいいや。さっさと帰ってこい。今日の晩飯は栗ご飯だ』
「わかった。なるべく早く帰る」
『事故るなよ。お前が死ぬのは勝手だが、紗希まで巻き込む権利はない』
「わかっている」

 そういって電話を切り、携帯を紗希に返した。それからヘルメットを渡した。予備のヘルメットはないので私はかぶらない。たかだか交通事故ごときで私は死ぬようなほど脆くはできていない。

「さて、帰ろうか」
「ああ」

 今日はユウカの好きな栗ご飯か……
 嫌味だろそれ。



 さて真が転校してきた次の日、彼女は学校を休んだ。
 大方私の両親のもとに向かったのであろう。私の両親が住んでいる場所は隣の県であるが、場所が場所なので片道三日、往復で一週間ほどはかかる。
 何せ乱磁気のために精密機器の類はすべて使えないため、ヘリなどの航空機は危なくて使用できない。パラシュートで行くにも木が高すぎるため邪魔である。車で行くには余りに道が狭すぎる。バイクで行くには険し過ぎるなど様々な障害によりそんなにも時間がかかるのだ。
 その間に私も久しぶりにあるところに行くことにした。あのことが終わってから今まで一度も行かなかった場所だ。手紙も何もしなかった。
 そのことが真にいらない期待、叶わない夢を見させていたというのなら、それを終わらせる義務が私にはある。そう思ってここまで来たのだが、かなり門戸をたたきにくい。

「あー、アリカちゃんだぁ」

 急に後ろから間延びする声をかけられたので驚いた。そこまで悩んでいたようだ。
 こののんびりした口調から声の主はセツナさん、真の母親だろうと予測できた。もちろんその予測は当たっていた。この人――雪名さんはどういうわけか私とユウカを間違わずに言い当てることができる唯一の人だ。

「久しぶりー。大きくなったねぇ」
「ええ、本当に久しぶりですね。雪名さん」
「元気にしてたぁ?」
「まあ、人並みには」

 三十四歳で二児の母親とは思えないほどの若づくりである。最後にあった二年前とほとんど変わっていない気がするのはなぜであろうか。もしかして不老の秘法でも知っているのではないだろうか。

「今日は何しに来たのぉ?」
「いろいろと終わらすために、すべてを話に来ました。少し、甘え過ぎていたようです。私も、ユウカも」
「……そう、やっと話してくれるのね。どうぞ中へ。お茶ぐらい出すわ。それに、立って話すほど気易いものでもないでしょう?」
「……ありがとうございます」

 彼女は非常に勘が鋭い。だから何かを隠していることぐらいお見通しだろうと昔から考えていた。そうであるはずなのになぜ聞いてこないのか不思議でもあった。聞かなかった理由は私たちのどちらかが話し出すことを待っていただろう。
 自分からさせるのではなくて、私たちがすることを望んでいたのではないだろうか。だから私は彼女のその優しさにも礼を言った。

「まず、玖神家の玖神家たる宿命について、話します」

 今回も彼女は決して催促をしない。ただただ私が言うのを待っている。つまり話したくないこと話さなくてもいいというわけだ。さて、すべてを話そうと思うのだが、いったい私はどれだけ持つのだろうか。

「玖神は本来の名はクイガミ――神を喰いし家と書きます。その名が示すことが事実であるかどうかはわかりませんが、我が家の伝承では神を喰らったが為にその身に穢れを宿すとあります。
 その穢れの内容は個人によって違います。私の場合は二重存在と自分にとって大切な者を一人殺さなければならない運命の二点です。
 二重存在というものは二重人格とよく似ているものと考えてください。違いは些細なもので、物心ついたときから存在していること、普通に対話できることです」

 故にユウカは私にとって大切な存在になりえた。彼にとってもまたそうであった。双子以上、親友以上に近しい存在となれたのだ。

「それだけであるなら、私がこんなにも表に出ることはありません。基本的に私は中の人でしたから」
「確かにね。あなたが表にいたことはほとんどなかったわ」
「ええ。私が表にいるときというのはユウカにできないことがあった時か、それとも片方が一日に18時間以上いることができないという時間制約のせいです」
「その時もあなたはユウカちゃんのふりをし続けていた。だから表にいる時というのはなかった」

 肯定しかできない。生まれつきの二重人格というのはあまりに他者から奇異のまなざしで見られるためなるべく隠しておきたかったので私はユウカのふりをし続けていた。今となってはそういうことをする必要はない。
 ユウカのことを知っている人はもうこの県にはいないからだ。そのような、ユウカのことを知っており、かつユウカの中に私がいることを知らない人がいないところに行くために、こんな隣の県の高校を受けたのだ。
 私が私として存在するそのためだけに。傲慢と嗤ってほしいことだよ。

「私たちはあの時間がいつまでも続くと思っていました。しかし現実はそこまで甘くありません。
 もう一つの穢れ、大切な者を一人殺さなければならないという運命を忘れ、私たちは彼女、真に会ってしまった。それだけならまだいいです。
 私たちはその時取り返しのつかない間違いを犯してしまったのです。それは……私たちがそろって真に恋をしたことです」
「それは……間違いなの?」
「私にとっては、そうでした。私たちにとって最も大切な存在が彼女になってしまったため、私たちは彼女を殺さなければならなくなりました」

 ここで彼女がユウカのことを好きであったことは正直どうでもよいことだ。私には関係ない。

「しかし、どうしてもそのようなことをできません。
 故に私たちは互いに殺しあうことにしました。私たちは互いのことも大切な人だと考えていたので、穢れは有効です。
 そんな時、都合よく航空機墜落事故にあい、意識不明の重体となりました」

 互いに殺しあうことを決心しても、さすがにどうやってすればよいのかわからなかった。眠っている間は会えないうえ、起きている間はどちらかが表に出ていた。
 だからその事故で意識不明の重体になったのは都合がよかった。同じ場所に同時に私たちが存在することができたのだから、殺しあえるようななった。
 先ほどから雪名さんの表情はすぐれないものになっている。

「本当に、都合よく意識不明となりました。そうならなければ私たちは殺しあうことができませんから。
 そして、意識不明の一週間の間私たちは私たちの意識世界の中で殺しあった結果、私が生き残りました。
 なぜ勝てたのか、いえ、なぜ私は勝とうとしたのか、今もわかりません。真が好意を抱いているのはユウカの方であるというのは昔から知っているのに、私は勝ってしまった。
 私のことなど、真は好意を抱くどころか、知りもしないというのに……」

 真を悲しませるようなことになるというのは当時の私でも考えられたはずである。しかし私はあの最後の一撃をためらわずに放てた。死ぬのが怖い、という感情はいまだない。
 なぜなら私は元からここには存在していない人であるからだ。いないものが今更いなくなったところで何も変わらない。
 何度考えても、やはり私が死ぬべきであるという結論に至る。

「端的に言ってしまえば、そういうことです。
 ユウカは、本来ここで生きているべきユウカは死にました。私が殺しました」
「……あなたは、私に何をしてほしいの?」
「…………え?」
「そんな事を言いにここに来たのではなくて、私に何かしてほしいことがあるからここに来たのでしょう? それを言いなさい」
「えっと……たぶん、真にあきらめさせてほしいんです。これ以上、甘い幻想に浸ってほしくないから」
「何だかはっきりしない物言いねぇ。はっきり言いなさい」

 そう言われても、何をしてほしくてここに来たのか私にはわからない。いやきっとわかっているのだが、それを否定しようとしているんだ。この感覚はユウカを殺した時の感覚と似ている。
 あの時もこのような感覚の襲われて、はっきりさせないまま、今を後悔している。

「…………」

 その感覚のもとを理解しようと、なぜそのような感覚になっているのか知ろうとしているのだが、私の中の何かがそれを隠して見せようとしない。
 そのまま幾許かの時間が経った。

「……あなたは、本当は真ちゃんに自分のことを知ってほしいのじゃないの?」
「それは……ありません。ユウカの容姿でそのようなことをしたなら、ユウカに申し訳が立ちませんから」
「言い訳しないの。ことにつけてユウカユウカって、そんなふうにユウカのためにとかは言ってもちっともユウカちゃんのためになっていないのよ。
 ユウカちゃんのためと思うのなら、真ちゃんに自分のことを認めさせて、それでもって真ちゃんを幸せにして見せなさい。
 ユウカちゃんが自分の選択は間違っていなかったと思わせるぐらいに幸せになりなさい。
 残った者が背合わせになることが死者にできる唯一の弔いよ」
「だとしても、もう手遅れなんですよ。何もかも、もう遅すぎることです!」
「そんなことはないわ。その人が生きている限り、手遅れにはならないのよ。
 何もしないままでいる方が、手遅れなの。わかった?」
「……理解、しにくいです」

 誰かのために自分のことをするということを理解しにくい。それが正しいのかどうかもわからない。しかし死者に対して何もできないのだから、せめて生きている者、ここに残された者は自分のことをしっかりすべきというのは納得がいった。
 されど、真に好きになってもらおうとは思わない。きっと真は私にユウカの現像を重ねて恋をすると思うから。真には私は私として思ってほしい。そのためには嫌いになってもらってもかまわない。

「真に好きになってほしいけど、その決心がつかないから、まだユウカちゃんのことを引きずっているから、ここに来たのじゃないの?
 すべてを終わらせというのは新しく何かを始めるということなんだよ」
「……昔、似たようなことを言っていましたね」
「それにね、真ちゃんが……これはいいか」
「……すごく、気になるのですけど」

 いや、この人がどうでもいいといったことを聞き出そうとしても柳に風。かなりの自由人であるため、その夫でも行動を制限することができないそうだ。その上かなりの力を誇る。
 故に抑えることができない。唯一、夫の天華さんのみが怒りそうになれば止まるらしい。あの人の怒りはトラウマ級であるからだろう。

「ま、ここで話すことはそのぐらいでしょう?」
「ええ、まあ」
「なら今すぐ真ちゃんに会いに来なさい。いいわね」
「少し、考える時間をください。後、もしかしたら移動手段としてジェット機一台借りるかもしれませんが、いいですか?」
「そのぐらい、かわいいアリカちゃんのためならいいわよ〜」
「抱きつかないでください!
 耳かまないでください!
 つうか、近づくなぁ!」
「…………えー」
「えーじゃない!」

 肋骨が砕けるかと思いました。
 この人は女性としては異常なほどの筋力も持ち合わせているのでそのようになってしまう。私の体のかなり頑丈にできているので今まで持ってきたのだが、むしろいっそ耐えられる方が辛かったりする。
 命からがら雪名さんから逃げ切った私はバイクでいったん近くの海へといった。私は場所として静かな海が好きなのだ。

「……なあ、ユウカ。なんであのとき、笑って泣いたんだ?」

 まだ分からないこと、ユウカは死の間際、私が彼を殺した時泣きながら笑っていた。逆かもしれないが、そうであった。泣いていたのは死にたくないからであろう。しかし笑っていた理由はわからない。

「弔いか、考えたこともなかったな……」

 一生では償えない罪だと思っていた。不幸になるほかないと考えていた。だからそんな、幸せなんて望んだこともなかった。ただの怠惰な日常だけがこの手に残ると信じていた。私の選択と彼の選択を間違っていないものにするために行動する。幸せになる。
 だがそんなことは今さらなのだ。やはり私は逃げ続けることしかできない。後悔しない選択などないというのなら、選ばない。
 これ以上私の体だけではもたないから、重すぎるから、選ばない。今が続けばそれで十分だ。

「……帰ろう」

 考えすぎたためか、頭が痛い。わからないこと、理解できないことを考えているといつもこうなってしまう。
 それにしてもまた携帯を家に忘れてきたようだ。後で公衆電話で二人に連絡しておこう。今日の夕食までに帰ることはできない、と。すでに日も暮れ出しているので間に合わせるのは無理だ。ここまで私のバイクでもってしても二時間はかかる。
 今から帰ると、交通渋滞も考えてたぶん家に着くのは夜中の十時ごろ。そんな頃には陸上部に所属している紗希は寝ている。
 真についてなのだが、保留にした。何をするにも面倒だ。今更誰かに付き合えと言われても面倒だ。
 正直に言って私が真にあったのは今から二年前のことである。そんなにも長い間会ってもいないのに好きで居続けられるわけがない。



 そして、それから二週間近くが過ぎた。時というものは無情にも刻々と変化を与えていくものだ。私のクラスに真がいることがもう当たり前となっていしまっている。彼女から逃げることももうしなくてもよいというわけだ。
 時々なら会話もするがもう本当にそれだけである。彼女にとっての私の地位は少々親しい異性の友達程度のものであろう。

「アリカ、飯食いに行こうぜ」
「わかった」

 私にとっては普段の日常に"彼女"が増えたにすぎない。だから何の問題もない。ユウカのも最初の方に一度聞かれた程度であった。それも少しばかり。
 ユウカと私が同じ体を共有していること、彼女の前では私はユウカのふりをしていたこと、本当にその程度である。

「……で、アリカよ」
「何だ?」
「お前、真ちゃんとどこまでいったんだ?}
「…………ハ? どういうことだ?」
「しらばっくれるな! 付き合っていることは既知の事実なんだ! 白状しやがれ!」
「叫ぶな、唾が散っている」
「あ、足がぁ」

 脛を蹴っただけである。ちょっと力を入れすぎたのかもしれないが気にしない。
 それにしても私と真が付き合っているとは一体どこから発生した誤解であろうか。確かに近頃共にいる時間が増え出しているような気がするが、それはほとんど真に勉強を教えている時間だ。意外と彼女の頭のでき具合は普通なのだ。そのくせして県下一難しい高校に来た。よってわからないことの方が多いわけである。それを教えてもらうために私と話していることが多い。
 そんな自然現象だ。ちなみにこのことはよくあることである。

「言っておくが、私は彼女と付き合っていない。それは明らかな誤解だ。それに、私が誰かを好きになると思うのか?」
「…………思えません」
「全く、このバカが」

 もう少し辛抱遠慮しろといつも言っているはずだと思いつつ、私はから揚げ定食を食べた。

「でもな、でもさっ、思うだろうが!」
「誰が何を何のせいでだよ」
「フィギュアァア!」

 左手による裏拳をいれこんだ。一回転半ほど回転して地に伏せこむ。ここが外の席でよかった。さもなければこのようなことができない。
 若干痙攣している肉の塊は放っておいて、私は昼食を食べ終えた。あれに付き合うのももう飽きたので、教室に帰る。

「なあ、アリカ」
「…………」
「な、何だよ?」
「それは私のセリフだ。何のようだ?」
「いや、そう思えば、お前の誕生日って今週の日曜だったな?」
「ああ……そうだったな」

 そして、その日はユウカの命日でもある。だから、私は誕生日を祝うことができない。誰が楽しくて自分の命日を祝うことができるのだろうか。

「なら誕生日パーティやろうぜ」
「却下。次の日からテストだろうが。現実逃避の口実に人の誕生日を使うな」
「ひでぇ、人が本心で祝ってやろうと思ったのによぉ……」
「…………赤点王」
「――グハァ!」

 どういうわけか吐血したように見えたクラスメイトは放っておく。誕生日が7月13日であるとこういう都合のよい逃げ口上がある。
 それとは別にどうして赤点ばかりとる者は進歩性がないのだろうか。無意味に山を這ってそれに失敗ばかりする。そのようなものでは一つも前に進まないというのに。
 というより高校の授業など予習復習ができていなくとも授業中にそこそこ理解できていたなら赤点は取らない。それに、この高校では赤点は平均点の半分ではなく、一律40点以下である。それ以上を取れたなら問題ないというのに。
 まったく、バカばかりだ。



 いやな予感、というものはしている。こんな日が来るだろうとは思っていた。
 時は夏の夕暮れ、場所はよく立ち寄っている海だ。そこに今、私と真だけがいる。よく探せばその辺に少しだけ人がいるが、距離が離れすぎているため数える必要はない。

「やはり、ここにいましたか……」
「私を探していたのか?」
「はい。少し、あなたと話したいことがありまして。隣、よろしいですか?」
「好きにしろ」

 内容は大体理解できている。だから、何も怖くはない。今までの現実が生ぬるすぎているだけである。それに浸りすぎて慣れ過ぎているだけだ。

「あなたに初めてであったのは、こういう夏の日でしたね。覚えていますか?」
「……ああ、おぼろげながら覚えている。確か、あなたが妙な連中に絡まれていたのを助けたんだよな」
「ええ、それで名前も言わずに立ち去ってしまって、探すのは本当に苦労したのですよ」
「ああっそ」

 懐かしい記憶だ。まだ覚えているのはそれがあまりに印象的なことだったからだろう。触らぬ神に祟りなしというものを掲げているので普通なら助けないところなのだが、見ていた私も殺そうとしたので反撃したところ、結果的に助けてしまっただけだ。
 あれが初めての出会いだったということを知ったのはそれから後、真に会ったユウカから聞いたときだった。今さらなのだが真に初めて会ったのは私の方だった。

「今さらなのですが、助けていただいてありがとうございます。本当はあなたに言うべきことなのですが、ユウカ君に言っていしまって」
「仕方がないことだろう。当時のあなたはユウカの中に私がいることを知らないのだから」
「あなたのご両親からいろいろと聞きました。俄かには信じられないことばかりで今まで混乱していました。私のためにとてもつらいことをなされたり、自分をひたむきに隠したり、だから、今まで気付きませんでした。
 あなたはどうしてそこまでご自分のことを隠してきたのですか?」
「……怖かっただけだろうな。お前がユウカを、そして私を嫌いになるかもしれないことが、怖くなっていたから、隠そうとしていた」
「その程度で嫌ったりしませんよ」
「だといいのだが」
「…………アリカ君」

 私は今、彼女の顔を直視できない。それは顔が赤くなっているからではなく、そんな事をしたなら今さらまた惚れてしまうからだ。特にリミッターであったユウカのいない現状ではどこで止まるか全くわからない。

「今まで、ユウカ君のことが好きでした。あの笑顔、あの優しさ、何を取っても好きでした」

 だから私のことが憎いのだろう。ユウカのすべてをこの世界から奪っていった私のことが憎いに違いない。

「時々、ユウカ君と一緒にいると妙な感じがしました。そういうときはたぶん、ユウカ君ではなく、あなたがそばにいたと思います」

 どれだけ私がユウカのふりをしようとも私は私でしかなく、やはりどこかおかしさというものが出る。そのようなことをまだ覚えているとは、彼女は結構記憶力が良いようだ。

「アリカ君、あなたにユウカ君からの伝言があります」
「……伝言?」
「ええ、今まで隠していたことだそうです。もしも僕が死んだら僕のそっくりなアリカという人に伝えてほしいといっていました」
「……言ってくれ」
「僕は君の中にいても知ることができた。その時の私はどういう意味かわかりまあせんでしたが、きっとあなたが表いいるときでもユウカ君はその時起こっていることが見えていたのだと思います」
「……そういえば、私が説明しなくとも分かっていたな……」

 そう考えるとつじつまが合う。どうやら、私には力、彼には記憶の方で偏りがあったようだ。私は彼よりも力が強かった。だから大概の暴力沙汰は私が片づけていた。

「それを伝えに来たのか?」
「いいえ、違います。私があなたに伝えたいことはそれではなくて……」

 ほかに何かあるのだろうか。もしかして私のことが憎いなどということを言うのだろうか。天条院家の権力では人一人を社会的にも肉体的にもなかったことにすることなどたやすい。
 さすがに私はまだ死にたくはないのでそういう死刑宣告関係は勘弁してもらいたい。

「私は、あなたのことが……」

 といっても私には逃げる権利はない。何せ彼女から大切なものを奪ったのだから。その代償を払う義務がある。だから何でも受け入れよう。そう思って今ここにいるのだから。

「私はユウカ君よりもあなたのことが好きです。いえ、本当はユウカ君ではなくてあなたのことが好きです」
「…………ハ?」
「今まではっきりしなかったのですよね。玖神君が好きなのですけど、それは時と場合によって普通の時もあって。好きなときというのは本当に短い時間だったのです。
 その理由はユウカ君のことではなく、アリカ君のことが好きだからです。アリカ君が表にいるとき、私は玖神君のことが好きだったのです」
「……ユウカではなく、私のことが? 何だよ、それは」

 つまり、ユウカがあそこまで私に自慢げに話していたことで騙されていたのか。なんとなく腹が立ってきた。今更ユウカを憎んでも、あの穢れは両方ないのでもう戻ってこない。大切な人も殺さなくていい。

「アリカ君、私と、付き合ってくれませんか?」
「…………」

 私の目の前に立った彼女を見て私は本当に言葉を失った。満月が浮かぶ海を背景に彼女はひときわ幻想的であったからだ。こういうときカメラ付き携帯がほしい。この風景を永久保存したかった。

「…………あの、ダメ、ですか?」
「……あ、ああ、こちらからお願いしたいぐらいだ」
「よかった……」
「おいおい、そんなところで座るな。すぐ後ろは海なのだから、濡れるぞ」

 ここは防波堤の上だ。いつもは砂浜にいるのだが、今回はこんなところに来てみた。

「あははははははは、気が抜けてしまいました……」
「……はぁ、そんなやつだったなぁ、お前は。何かやってそれが成功すると腰が抜ける。まったく、もう少ししっかりしろ」
「えー、やだぁ。しっかりするとアリカ君にこうしてもらえないよー」

 今さらなのだが、真は雪名さんの娘さんなのだ。結構わがままなところがありそう。むしろ無いと親子ではない。

「アリカ君……」
「ん?何……」

 少しばかりかおる桃の香水の匂いが鼻腔をくすぐった。最初、何をされたのか全く分からなかった。
 何をされたのか、それはことが終わった時にやっとわかった。人間、不意をつかれると思考が止まるものが都は聞いていたが、本当に止まるとは恐ろしい。

「テメェ……」
「嬉しくてついやちゃった♪」
「かわいらしく言うなよ……怒る気が失せた」

 簡潔に言うと、接吻されました。確かに彼女の唇から私の唇まで首をのばせば楽に届く距離に顔があるが、だからといってやるものだろうか。

「えへへ……!」
「……仕返しだ」

 全く感触というものが知覚できなかったので今度は私からやった。やけに柔らかく、温かく感じた。
 小説などでは時を忘れられるとあるが、そんなことはない。気持ちいいとか、そういうのもない。ただ、温かくて、心地よかった。
 口にするのが難しい感触であったといえる。いやあれを言葉にするのは楽だが、それを説明するのが難しいだけだ。

「……アリカ君……」
「もう、帰ろうか? 送って行くよ」
「明日、また会えるよね?」
「ああ、会えるさ」

 そんなにも簡単に死なない。死にたくはない。やっとに入れた幸せを失うようなまねはしたくはない。そして私は真を今住んでいるところまで送っていった。
 実家はまた別の場所であり、彼女が今住んでいる場所は別荘だ。そこで何があったのかは語る気にはならない。
 一つ言えるのは、魂を絞り出されかけて殺されかけたことぐらいだ。



 この後続く後日譚はまた別の日に語ることにしよう。とりあえず、私が言えることは、ユウカが最後に笑っていたのは真を守れるからだ。
 私が死んでは穢れはなくならなかった。ユウカはそれを知っていたのだ。泣いていた理由は私に謝っていなかったからだろう。
 嫉妬し、憎み、殺そうとした自分のことを私に謝ろうとしたのだと、いまさらながらわかった。


「有華、私は幸せになるよ。君の選択が正しいことを証明するためにも。だから、来世では別の人間として、友達として生まれよう。
 神よ。そのぐらいのわがままを聞いてくれていもいいだろう?」

 以上。ちなみに私の名前を漢字で書くと玖神 有華であったりする。



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