第十二話
「殺せなくとも」

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 目の前で悶絶している生物がいる。
 その表情は同種の存在でなくとも悲痛に歪んでいることが手に取るようにわかるだろう。無駄に賦活能力が高いため、どのような傷も手早く治してしまい、短い時間の中で急所をつぶされるような痛みを何度も味わえば、なってしまうのも無理はない。
 胸元の一部分だけどういうわけか赤く染まっている。鱗のすぐ下が内出血しているためだ。斬るとあまりの痛みのせいで絶命してしまうかもしれないという陽光の絶妙な配慮のおかげで何度も何度も殴られた。しかも上手に衝撃を拡散させず、打点の一部分に収束させているから痛みは斬るよりも響く。
 もうあのような状態になると殺さないほうが酷だ。いっそのこと楽に殺してやれよ。ほら、あまりの痛みのせいで痙攣しているじゃないか。
「えっと。これで終わり、かな?」
「なわけないだろうが」
 飛竜がかわいそうだと思いつつ、冷水を浴びせて無理に起こす。翼膜のほうはすでに完治済みのためいつでも飛べる。あそこまで徹底的にやったのだから逆らうことはないだろうが、念には念を入れていなくなるまで気を抜かない。
「…………行っちゃったね……」
「少し、やりすぎたか?」
 脱兎のごとく空へと逃げた空の覇者と呼ばれる種族の一存在の背中にはみじめさ以外存在していない。これではまるで私たちが快楽嗜虐者ではないか。あいにく捕食者になるつもりはあってもそんな無意味に命を奪うような存在に落ちるつもりはないのだが。事実がそれを認めてくれそうにない。
「さて、帰るか」
「だね。ところで卵はどうするの? 食べるなら調理するけど?」
「それは……心躍る提案だが、竜騎隊に送らないといけないんだ。兵数が少ないから」
 自分らで卵を獲れたらいいのだが、そんなことができる兵があまりいない。そのためいつも兵数に対して飛竜の数が少なくて維持費が無駄になっていると常々考えている。だが維持費を削ろうとするとその理由が飛竜の頭数にあるといって自分らでも採らない飛竜の卵をよこせとうるさくて。
 はぁ、下らない。できないことをそれが可能な他人に押し付けるのは構わないが、できることをやりもせずに押しつけるのは気に食わない。
 その後も選手以外に犯罪を行った元参戦予定者現犯罪者を物理的につぶしたり、精神的に現実と別れを告げさせたりしつつ、やっと参加資格争奪戦のすべてのことが終わった。本当にどうしてこんな、武芸祭の審判兼監査委員会会長みたいなことをやらされているのだろうか。
 …………他の公務員が祭りの時に働きたくないと意味のわからないことをほざいて連携を取って実行に移したからだな。考えるだけで鬱になりそうだ。よし、祭りの後に私の部署は長期休暇をとらせてもらおう。仕事? そんなものは押し付ける。
「最終的に何人残った?」
「おおよそ……百人足らずといったところですね」
「何だ。今年は不作だったんだな」
「全体的に与えられた課題のほうが難しかったのではないでしょうか?」
「課題のうち四割はそれなりの腕があればできるものを考えたんだ。生真面目にではなく、他社の課題を奪うことをすれば合格できるはずだぞ。四割は」
「そんなことを考える人はあなたぐらいです。少しは自分の異常性を自覚してください」
「何をばかな。決められた規則を守った上で勝つために手段を選択するのは普通のことだぞ」
「――――あれ? 手段を選ばないのが普通なのでは?」
「まさか。考えてもみろ。自分が手段を選ばないというのは相手――ここでは敵にでもしようか――敵に手段を選ばせるということだ」
 敵がそれを決定したならこちらはいやがうえでも同じ土俵に立たなければならない。そんな事をすると負ける確率が高くなるだろうが。なぜなら手段――状況を、ルールを、状態を、条件を選択決定できないのだから。
 例えばの話だ。世界最高峰の剣の腕を持つ人に戦いを挑む時を考えよう。誰がどうしていつどこでどう剣で挑めと決める? いや決めた? それは自分であり、もしくは相手かもしれない。だがそれに沿ったのは自分で、それを受け入れたのも自分で、選んだもしくは選ばせたのもやはり自分。
 ならば――――ならば勝利以外のことを求めないというのであればまだサイコロでも降って勝敗を決めたほうが勝利できる確率がある。もっといえば、相手のできないことのほうが勝ちやすい。私にとって、すべての才能が凡庸であるという意味での凡人は己を極めた場合最悪の敵になると考えている。一芸に秀でるわけでもないが、その芸が天才に届いているわけでもないが、それでも最も厄介で、最も戦いたくない敵だ。最強ではなく最悪。
 ゆえに、勝つためには何と言われようとも手段を選べ。状況状態手段方法環境、この世界を織り成す構成要素のうち、選択できるものをすべて選択しろ。そして、どのような形であっても手に入れた勝利を勝利として受け入れろ。それができれば如何なる敵であったとしてもまず負けることはない。勝てるかどうかは、選択次第だが。
「つまり闇討ち万歳と?」
「正当な勝利の得方といえ」
「どっちにしても卑怯であることには変わりありませんよ」
「それを世界は敗者の言い訳ということを知っているか? 最終的に勝利した者が勝者で絶対で正義なんだよ」
「考えは共感できますが、それを実行に移すのは人としてどうかと思いますよ」
「OK、貴様は延々と泣き言ならべながら地べたに這いつくばっていろ。その間に俺は天を討つ」
「誰が。こう見えても私はあなたの部下なのですよ? 貴方ほどの紅にあてられたらどんな黒でも紅くなりますって」
「そうじゃなきゃ、もう潰れているさ。夢という名の幻想にな」
「ええ……まったくですね」
 前例が腐るほどいるから共感できること。なんというか、正義を夢見てきたのはいいが、人の穢れを身近に連続してみたため自分というものに嫌気がさしてつぶれた元人が大勢。歪んだ正義の味方なんて本当にまれにしかいないということを改めて実感した新人研修。
「まあ完璧凡人たる俺が天才連中に勝とうと思ったら全てを須らく限界まで極めなければならなかったんだよ。偶然にも時間と場所はあったし、やるだけの意味もここにある。あとは、まあ技術が運によってと気に食わなかったが、割とうまくやれていたな……」
「はいはい、わけのわからない小言はいいですからさっさと会場に言ったらどうですか? そろそろ開始時刻ですよ」
「ああ、もうそんな時間か。了解した」
 壁にかけている階級を示すマントを着る。
「ああそうそう。これが終わったら長期休暇を勝ち取るつもりだから」
「全力で勝利してきてください。おもに私のために」
「別にそれは構わないが――――やりすぎてしまってもかまわないだろう?」
「ええ、何の問題もありません」


 
 
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