第十二話
「殺せなくとも」

<12>



 左腕は…………使えない。出血がひどいうえ、何より回路がショートしている。こんな状態で無理に魔力を流せば取り返しのつかないことになる。右腕は、かろうじて使えるが骨折が気になる。
 脚部。戦うにおいて問題はない。しかし逃げるという観点からものを言うと問題がある。何より人数――一対八という状況が芳しくない。ここはもっと、せめて二対八にするのが世の情けなのではという苦情が非常に主張する。
 魔力。連日連夜の徹夜と不十分な休息のせいで回復量がよくない。総量も減少中。節約しながらそれでいて持久戦にしてはならないなんて、それなんて冗談。
 思考は正常に回る。武器はひび割れが目立ち始めた鉄扇とささやかながらの圧縮魔力弾。それから念の為に忍ばせている短剣が十本程度。見た目にそぐわない抗魔力をもつローブ。
 とりあえず最近は見なかった危機的状況であることには間違いない。しかも救援のあてはない。全てを自力でこなさなければ、待ち受けるのは約束された死のみ。やっていられない。だがそんな文句を世界がきいてくれるわけもなく、ただひたすらに現実を押しつけ、苦しくも私はそれを認識し続けている。ああ、狂っているのは本当に私のほうだ。
「全く――今宵は月が綺麗だ」
 私は生きる。さあ、目的の再確認は終わった。懺悔の時間は終了。誓いは唱えた。神も呪った。準備はすでに完了している。地に足を付け、しっかりと立つ私の背には今宵の月が輝いていた。
 心臓が暴れ馬のように跳ねる。それは一重に戦えるという喜びの為か、それとも恐怖にかられたか。いや、ただ全身の筋肉に酸素を回しているのだろう。それから栄養も。
「――――ァア、良い夜だ……本当に良い夜だ」
 "社 旅人"という自己の中にある機構に異物が組み込まれ、綺麗にはまる。"社 旅人"という一個人は"東堂 陽光"という鍵による制約のせいで人を殺すということが自意識的に不可能だ。ならば――ならば無意識的に人を殺すのはどうなのだろうか? それが生きるための必要条件だとするのならば、許されるのではないか。
 つまり、そういうこと。人を殺せないのなら人を殺さなければならない存在になればいい。いや、違うな。人を殺してしまう存在を上書きすればいい。
「それでは、嫌々ながらも始めさせてもらおうか。何せ夜は短いのだから……」
 元よりこの体は凡庸性しかなくて、それを望んで鍛えた。私が知り得る、持ち得るありとあらゆる技術に対し、全力と言わなくても必要最低限の力を発揮できるような凡庸性。もとより私は才能がないことがないが、あるのは完全なその道にとって凡人の才能。一発必中の弓の腕があるわけでもない。射撃の腕が優れているわけでもない。ただ単に、苦手がないだけ。全てに優れない代わりに、全てになれる。
「――父さんの仇っ!!」
「すまないな。俺はまだ殺されたくはない」
 ふと後ろを見ればうつ伏せになって倒れ伏している少年X。ああ、過程を飛ばして死んでしまっているのか。ならばよし。ぐちゅり、と顎の頭蓋骨がないところに刺さった細長い短剣を引き抜く。そこに戸惑いはない。短剣にはかなり黄色い何かが付着しているが、別にそれがどうということはない。中国では猿の脳みそも珍味の一つになっているのだから。脳漿に見なれた今更、戸惑いが生まれるはずがない。
 世界の音が消え、色が消失する。風の感触が遠のいて行く。どこか遠くで自分を見るような感覚の中、ただ冷徹に意識によって強制的に脳内リミッターをはずす。連続使用は肉体にも精神にも悪いが、私はそこまで軟弱じゃない。それに、この際寿命の一年や二年、そんなにも大差ない。
 歩くたび、傍を通り過ぎるたびに赤い華が咲くのはどうしてだろうか?
「――……何だっていいか。だって今日は、こんなにも月がキレイなのだから」
 足元に広がる赤い水たまり。それが何か別に気にならない。左腕をずぶりと抉る剣を何となくで見ながらとりあえず前を見ると、やはりアカイハナが咲いていた。先ほどから痛かった左手はどういうわけか痛みを訴えてこない。無意識的に痛覚まで遮断したのだろうか。この状態は本来自意識的に行うことを無意識的に行う代わりにありとあらゆる経験をほぼ100%の形で発揮する。
 そのかわり、これを解除した後に無意識的に行った結果を自意識的に自己完結する作業で非常に鬱になるが。もう何というか何故先ほどやった行為をもう一度やり直さなければならないのかという倦怠感とかそういったもので。
 生温い水が足元を伝い、体を張って手に集う。魔法は媒体があったほうがやり易い。火属性なら火が、水属性なら水が。風なら開けた場所、土なら洞窟内など、自然環境に威力が左右されるほか、発動しやすさや消費魔力量も左右される。
 二酸化炭素を純粋な炭素に変換。原子配列を正四面体に変更。刻印"硬化"を発動――完了。
 薄く硬く黒い鎧が身を包む。籠手には爪が生え、それだけで肉を引き裂くことが可能だ。全体的に鋭く、空気抵抗は少ない。肘から先の腕には刃が取り付けられ、明らかに何かを殺すという意思が感じられる。
 あと…………何人だっけ?
 その思考に対する問いは何がということしか返ってこないあたり、この状態の異常性がうかがえる。もう赤い華は咲かない。代わりに乾いた何かが地に倒れる。
 冷たい何かが体に入ってきた。全てが過去形で受け止めてしまう。いや、人が認知できる事象など所詮は過去。受け取った時が現在であっても、それを認知した時にはすでにその事象は数瞬の過去になっている。ならば、未来とは現在のことだろう。現在とは過去のことだろう。過去とは、やはり過去になってしまうのだろう。
「華のように儚く、鳥のようにどこまでも、風のように気ままに、月のように狂いたい……」
 果て、誰の言葉だったか。積み重ねた年月がその言葉以外の情報を風化させる。いや、そもそも年月なんて関係がないか。私がそれを知っている。それだけで十分だ。思いは受け取ったのだから。
 自分をさらに切り替える。正確には上乗せする。どうせこの身で到達できることなどたかが知れているが、この身で獲得できる数は無限に等しい有限だ。一では勝てないというのであれば、勝てる場で上乗せし続ける。生憎、それ以外の勝ち方を私は知らないのだから。
「極彩に散れ」
 体がきしみを上げる。当然だ。この技術は確かにこの身に刻んだが、だからと言ってこの身が使えるかと言えばそれは否。使えないことはないが、気安く使っていいものではない。それが私の持つ技術。考えてみるとろくでもないものだということがよくわかるのに、わかっているのに使ってしまうのはどうしてだろうか。
――――次がある。
 そんな幻想を抱いてしまっているからかもしれない。どちらにしても私の今に次はなく、私の次などありはしない。だが私には次の私が存在する。その次の私の為、何より今の私の為に今を唯只管にかけぬけよう。どこまで行けるのかわからないが。
「――う、して……」
 世界に色が戻ると同時に音が響く。体中に張り付いている血がうっとうしいことこの上ない。
「や、――たくない……助けて、神様……」
「……皆に神と言われていた者たちは、すでにもういない。お前らの言う神は、神ではない。ただ、少しだけ強いだけの、咎人だ」
 とりあえず、死体の処理から始めようか。


 
 
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