その時は急にやってきた。いつか来るとは思っていたがこんなにも早く来るとは思わなかった。
 前兆はあったのかもしれないその時の始まりは、こうである。
「リヒト、いますか?」
 夜もいい具合に深まってきた頃。
 控えめなノックを立ててやってきたのはエリュシオンとルージュだ。居留守もできるがそれはそれで後々面倒になるのでやめておこう。
「こんなにも夜分遅くに何の用だ?」
「あの…………」
 私はしごく丁寧に自室の扉を開け、いつものように要件を聞き出そうとする。彼女らは何かを尋ねようか、尋ねまいか迷っているという目をしている。
 いっそこのまま扉を閉めてやろうかという考えが脳裏をよぎったが、それはやめておいた。彼女らがといたいことはどうせいつか聞かれることだ。なら今済ましておく方がいいだろう。
 それに、あれについては知られようが知られまいがそれほど不利に働く要素はない。
「とりあえず中へ入れ。外は寒いだろ」
 今は冬、廊下まで暖房をするわけにもいかないため決まって寒い。寒がりの私の部屋は暖炉に火を入れているため外よりも暖かい。だが、このように扉を開けて外気を取り込んでいるとすぐに寒くなる。部屋の温度が下がるのを防ぐためにも二人を室内に招き入れた。
「何か飲むか?」
 体が冷え始めているだろう二人に温かい飲み物を進めた。私だけが飲んでいると彼女たちが何を言うか想像がついたからだ。
「あ、ココアを頂けますか?」
「ならわたくしは紅茶を一杯いただけますか?」
 エリュシオンは紅茶、ルージュはココアを注文した。近頃のエリュシオンは紅茶をよく飲むようになったと思う。理由はわからないが、心当たりはある。
 私の自室には他に比べてわりと紅茶の茶葉、珈琲豆、その他諸々及び必要器具がある。もちろんココアの粉も砂糖も牛乳も。これらの物は城下町で買い集めれる。しかし、ココアの粉はさすがに一般の店では手に入らなく、行きつけの――昼は喫茶店、夜は酒場という店の主人に頼んで手に入れさせてもらった。
 自分の分のコーヒーも淹れた私は彼女らの座っているソファの向かい側に座った。
「さて、どうせ俺とコウの出会いのことを聞きに来たのだろう?」
「ええ、そうです。聞かせてもらえますか?」
「別に隠しておくほどのことでもないので構わないが……
 地名などはこの世界のものではない。それらについての質問は受け付けない」
「はい、わかりました。それでいいですよね? エリュシオン様」
「ええ。構いません」
「どうでもいいところから始めるか…」
 記録を見直していく。懐かしい記録なので微かに本棚の中に埋もれているが、大切なことなのですぐに思い出せる。
 あの日の一瞬を忘れられない。

ある日の御伽噺
「雪桜の出逢い」

 私と彼が初めて出会ったのは彼が十歳になってすぐのことだ。
 場所はここに来る前まで通っていた中学校のある県内ではなく北海道の札幌市である。
 時期は冬。ちょうど今のように雪が降っていたのをよく覚えている。出逢った日は雪雲のせいで月は見えなかったな。
 私がそんなところにいたのは親の仕事に付き合わされたためだ。その時のように仕事を回されることはよくあったので、仕事をすることはそんなにも珍しいことではない。
 内容もある企業の内部調査と珍しくシンプルなことだったのですぐに終えることができた。そのために私は暇になったのでその辺りをうろつくことにした。
 このこと――散策することは当時の私にとって非常に珍しいことと言える。私は仕事が終わるといつもすぐに帰宅し、本を読むか起こされるまで寝ている。食事も良く抜いていた。
 今さら考えれば、その時が初めてであったのではなかろうか。あの世界の――庶民の住む所を目的もなしにうろついたのは。それまでは他人の生活や一般的に売っている物に興味を抱かなかった。
 生きることに精いっぱいというような味気ない生活を繰り広げていた私から見れば、そういう普通の人がすることはどうしてもできなかったというのに、その時はどういうわけか普通に普通が行えた。
 その時からが、このような日々の始まりだ。
 その日、久しぶりに喫茶店に寄った。
 今までは寄る価値があるほどの茶を淹れる店、またよる必要を持つ店がなかったので寄らなかっただけだ。チェーン店はひどい所では作り置きがあり、本当に飲めるものではないものを出すところがある。今も私はそんなところには寄りたくもない。
 寄った場所は割と小ぢんまりとしており、既に閉店している行きつけだった喫茶店を彷彿させる作りだったのでつい寄ってみた。
 ドアを開けると木でできた呼び鈴が鳴る。その音色は金属が奏でる音色よりも好きだ。
「――いらっしゃいませ」
 かなり高齢のご婦人が経営している店だった。
 その人こそ陽光の祖母に当たる人だ。今はもう死んでいる。確かついこの間、向こうで言う今年の4月29日に他界した。こちらに来るたった半年ほど前の話だ。
「コーヒーをもらえるか?」
「かしこまりました」
 その老婦人はゆっくりと重い腰を上げてお湯を沸かし始めた。私は待っている間にあいている席、といっても全席空席なのでカウンターに座った。かばんの中から新聞を取り出して読みだす。
 このような地方新聞を読むのは実を言って初めてだ。というより新聞自体読むことが初めてだ。
「おや、難しいものを読むのですね」
「……そうなのか?」
 カチャリという音を立てて私の前にコーヒーが置かれる。砂糖を入れる外道な真似や、最初からミルクを入れるということをしない私はそのままコーヒーを飲んだ。
 コーヒーの香りと苦みの中に隠された深みが私の味覚を刺激する、はずであった。どういうわけか苦みと甘みが混同しており、深みやかすかな渋味がどこかに消え去られている。
「……砂糖を入れたのか?」
「あら、いりませんでした?」
「いるかアホウ!」
 コーヒーカップを割りかける。そのぐらいの力でたたきつけてしまった。いったんそのコーヒーは下げられ、続いて出てきたのはまともなものであった。丁寧に入れられているため結構おいしい。久方ぶりに他人が入れたおいしいコーヒーを飲んだ。


「どうでもいいところはいりません。早く本題に入ってください」
「……了解」


 私と彼が出会ったのはほぼ偶然であるといっても良い。本来なら彼はもう実家に帰っていたはずなのだが、相変わらずのドジさで飛行機に乗り遅れたためまだここにいた。
 なので本来なら今日帰る予定だったのだが、ある事情によりそんな気力も失っていた。この事情についてはすぐに話すので今は黙っていていただきたい。
「……なあ」
 前に言ったことだが、私と彼には感応がある。それが原因で私は行く当てもなく、行き先もなく、されど足取りはしっかりと、歩き回ったのだ。
 自分でもわからない、理解しきれていないことに戸惑いを隠せなかった、いら立ちを募らせた私はその感覚の根源を断ちきりたかったのかもしれない。今となってはその感覚も受け入れているのでそんなことは考えない。
「そこに誰がいる?」
 今も昔も私の態度は変わらない。たとえ誰が何と言おうとも変えるつもりはない。
 だから、この後の行動も想像できるだろう。私は聞くだけではなく無断で何かのいる方へと歩を進めた。そして、すぐに二階へと上がる。私の身体能力はかなり異常であるため、老人一人に追いつかれるほどやわな動きはしない。私は障害物なく目的地へと着いた。
 私は目の前のドアを開け放とうとした。しかし、そのドアには鍵が掛かっていたため、容易く開けられない。私もその程度であきらめるほど生易しい感情や脆い意志力を持つことはできないので、軽くその木製の扉をけり破った。
「――……よお」
「――やあ……」
 私たちが最初に交わした言葉はこれだ。私にとってはやっと見つけたという気が強く、彼にとってはとうとう見つけられてしまったという気が強かったに違いない。
「自己紹介は……」
「いらない。知っている」
「――だよねぇ」
 夢で逢っているというわけではない。そんなことはない。ただ、私たちは互いに互いのことを知っていた。そう、あのときあの瞬間から知っていたのだ。
 今まで忘れていたのがふと思い出したような、そんな感じがした。それと同時に相手の存在する意味も知った。
「せめて、お前だけでも、頼む」
「安心しろ。貴様もまだ続く。ただ器が違うだけだ」
 この日から私は死ねなくなった。
「可能性は貴様が作らせた。その責任は貴様にある」
「可能性をお前は実現させた。その意味はお前にある」
「貴様という罪禍を、俺は……」
「お前という業魔を、俺は……」
 ここからのことは何とも語れない。これは私と彼の契約であるために誰にも語ることはできない。ただ一人、たぶんまだ生きているだろうある人を除いて話すことはできない。陽光もまだ知らないある人はもう生きているだろう。
 その辺りの契約内容の会話が終わってのことだ。私は彼と外に出かけた。ここに来た時間も遅かったので辺りはもう暗かった。それでも街灯のせいで辺りは十分に明るさを保持している。
「……何から話そうか」
「何でもいいだろ」
「ああ、そうだ。話すことなんて何でもいい……」
 海辺にきた私は砂浜に腰かけた。彼はその辺で立っていた。
「なあ、今まで何していたんだ?」
「幾度も死に続けていた。実感はないが」
「俺は、生きれなかった」
「…………ここまでだといっそ清々しいな」
 その後も他愛もない会話を刻む。
 家族のこと、自分のこと、本当にいろいろだ。まるでそれは旅立つ人を見送るかのような、今生の別れを一時の別れとうそぶくかのような、そんな時間だった。事実それは彼と私と今生の別れであり、彼を見送ることのできる最後の時であった。
 彼はもともと病弱であり、そのときも持病を患っている。後に出会った彼のかかりつけの医師によると、何故今まで生きていたのか不思議であるぐらいらしい。会話中も時々血を吐いていた。
「俺はこれから死ぬみたいだ」
「まあ、そうだろうな」
「ただ、俺には片割れがいるからそちらを頼む……」
「…………中途半端に同一化しているのか。なるほど、やけにはっきりしないわけだ」
 いつも腰につけていたナイフを取り出した。彼はそれを見て微笑んでこういった。
「お前の罪にはさせないよ……俺はもう怖くないから一人でできる。それにな、別れというわけじゃないんだ。
 ――だから大丈夫。一人でやれる」
「…………そうか」
 きっと私は残念そうにナイフを渡した。彼は渡されたそれをいったん砂浜に突き刺して置いた。怖くないと言っておきながらもその震えている腕を見ると、やはり怖くないことはないのだろう。
「――――で、片割れは今どこにいる?」
「秋津市。たぶん、私立の中学に通う」
 そこが私が通うことになった学校――学院である。
「無理してでも入りたいとかって言ってさ、周りに反対押し切っているんだよ。俺は才能の方は持っているんだけどな、力は生憎使えない。
 だから、俺はお前を必要としていた。だがあのままでは会うことはできない。世界がそれを許さない。
 見落としていたのは、あの子は使えることだ。だから、俺はお前に会えて、そしてあの子はそこに受かることができると思う」
 彼は急に咳こんだ。地面には私のものではない赤が広がっていく。
「さっさとしたらどうだ? さすがの俺でも完全に死んでしまっては何もしようがないぞ。せっかく用意したというのに無駄になる」
「あと、あとすこしだけ……俺のままでいさせてくれ……」
「――好きにしろ」
 だが物事には限度というものがある。特に制約が少ないここではその限界値がかなり低い。なのでそう長くは保たない。しばらく夜空を眺めていた。
「……そろそろ限界だ」
「そっか。ありがと、わがまま聞いてくれて。今まで楽しかった、リヒト。本当にありがと。後のことは……」
「俺に任せてさっさとしろ」
「……そうだな」
 私はここでその場から立ち去った。なぜならもうこのことは放っておいても良いことである。後は彼一人でも十分事足りるだろう。そんなことよりもすべきことができたのでそちらをする。
 手順の問題上かなりの時間と労力を必要とすることが見込まれているので、早めに取り組んだ方が良い。とりあえず、日本国籍の取得からしなければなるまい。

―◆―◇―◆―◇―◆―◇―◆―

 そして、彼と私が分かれて二年という歳月が流れた。
 私はうまく今の父親と母親をくっつけ、日本国籍を取得した。結構国籍を変えるという行為は面倒な手順が多い。特に私のようにもとから持っている国籍がない人間にとってひどいものだ。
 どのような過程をたどって取得したのかは私の前に控える子供二人の睡魔のために飛ばす。
 改めて日本の土地に降り立ったその日に、私が住むことになったところにある私立中学校の入学試験を受けた。それから今後住むことになった、ここに来るその時まで住んでいた家に行った。
 荷物はこちらに来る前に宅配させてあるので問題なかった。
 次の日、私は起きてしばらくしてからある所に行く。彼の遺体が埋蔵されている墓場だ。もちろん墓碑銘は彼の名前である。


「ちょっと待ってください! 何ヨーコ様を殺しているのですか!」
「すぐにわかるから黙っとけ」
「いいえ黙りません。納得のいく説明をお願いします」
「……黙らすぞ?」
「…………!」


 私は死人を拝むつもりはない。故にここには別の目的で来たのだが、まだ誰もいない。そのうち来るだろうと考え、彼の墓を少しきれいにしてやる。彼のおかげで私はここに生きていられるのだから。
 草抜きをし始めてどれくらいの時間がたったことだろう。
「すまない、遅くなった」
「どうでもいい……久しぶりだな」
「ああ、久しぶり。一年、ぐらいか?」
「二年だ。ところで……表に出てきても大丈夫なのか?」
「少しなら問題ない」
 昔の彼では似合いもしない服を着ている彼はゆっくりと石段を降りてきた。二年という月日は彼に慣れを与えたようでその華奢な足がふらつくことはない。
「とはいっても、もうすぐしたらほとんどこっちに出ることができなくなるけどな」
「まあ、そうだろうな」
 それは決してあってはならないことだ。しかし私たちはそれを捻じ曲げた。起こりえないことを起こした。それには当然いろいろと制約が科せられるもので、彼はこうして陽光のもう一つの人格として存在することとなった。
 もちろん今も中にいるが、近頃表に出たためしがない。
「で、そいつが――か?」
「うん、そう。大雑把なことは言っておいたけど詳しいことはお前からして。俺はもっとお前と話がしたい」
「話すことはないぞ」
「それでも、したい」
 簡単に言ってしまえばそういうことである。陽光の中に彼がいる。その彼は陽光の兄である。ただこの時釈然としないことは"どうして記憶才能その他諸々まで陽光の中に入ってしまったのであろうか"ということだろう。
 主な理由として述べられるのは彼がそこにいるということだけである。ただ、近頃その才能が受け継がれているのかということには大いに疑問に持つ。
 しばらく、といっても一分もたっていないが、私たちは会話をした。会話とするには彼が一方的に話すだけであるから成立するのは少々怪しい。
「……そろそろ時間だね」
「あ、そう」
「うわ、タンパクだ」
 そんなことはどうでもよいことである。さて、私は墓前でなんとなく拝んでやった。
「なあ、やめてくれないか? そういうこと。本人が眼の前にいるのにさ」
「黙れ、死人もどき」
 彼は厳密には死んでいるのだが、生きていないというわけではない。
「あ、そうそう。あれの件なんだけど、俺の分とは別にこの子の分もあるから」
「ふざけんなよ! これ以上俺に制約科す気か!」
「仕方ないだろ。こいつのわがままなんだから」
「……殴っていいよな」
 彼は本当に家族愛が強すぎる。いいことではあるのだろうが、ここまで強いと問題がある。何事も過ぎたるは及ばざるがごとしというわけである。
「ダメ、この子まで怪我するから」
「……ハァ、いいからさっさと失せろ。貴様のそのにやけた面を見ていると無性に腹が立つ」
「はいはい、了解っと」
 彼は眼をつぶると急激に雰囲気を変えた。陰陽が反転するぐらいに変わった。
「――……えっと、はじめまして、かな?」
「俺にとっては久しぶりなんだが」
「でも、僕にとってははじめましてだから、はじめまして」
 これが、本当の意味で陽光にとっての出会いだった。
 私は彼の中にある陽光に逢っているので、"はじめまして"という感覚は存在しない。陽光の中に存在している彼と陽光は重複した存在であるため、そう感じられない。
 しかしながら陽光にしてみれば現実に逢っていないので"はじめまして"ということになるだろう。はじめましてなので、私は自己紹介をする。
「社 旅人。それが現在の俺の名だ」
「うん、僕の名は……」
「知っている。だから俺はお前を陽光と呼ぶからな」
「……あ、あはは」
 陽光という呼び方いつの間にかコウに変わっていた。そして今に至るわけだ。そして、その時に桜が多く散り、その光景はまるであの日の雪が降っているようであった。

―◆―◇―◆―◇―◆―◇―◆―

「……これで満足か?」
 私はコーヒーを飲んで一息からついて、彼女らにそう聞いた。
「……ん」
「……スー……」
 両人とも舟を漕いでいる。つまり半分は寝ている。夜もかなりふけているので仕方ない。ここに記したのは口にした話に比べ結構省略したところがある。大体、口にしたものはこれ三倍以上の長さを持つ。それでも語りつくせていない。まあ、すべてを語るつもりもないが。
「さて…」
 正直ここで眠ってもらうと邪魔なので、仕方なく私は彼女らを彼女らの寝室に運ぶことにした。それにしてもちゃっかり出された飲み物はすべて飲むとはいい根性だ。
 かまわないが、それから寝るという点については納得いかない。そんな彼女らを寝室に放り込んだ私はもう寝ることにした。

 追記的なものになるが、私は時々彼と夢の中であっている。彼は表に出てくることがなくなっただけである。



 
 
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