第一話
「逢魔ヶ刻に」


<1>



 朝はいつも五時半に目を覚ます。私にとっての癖だ。体に染みついている。
 それはそうと、この私とは、こういう文面で使う一人称である。
 気付いた時にはすでにこうであったのだ。直すのも、億劫である。今さら変えるつもりはない。さて、私の名はヤシロ 旅人リヒト だ。わりと変わった名だが、所詮名とは識別信号にすぎない。変わっているほうが良い。なので気に入っている。髪はかなり黒い。流麗で、癖毛、枝毛、その他諸々はなく、重力に逆らうこともない。手入れしやすいが、これに関しての女子群の意見がうるさい。無視しているが。
 どういう理由か瞳の色素が一般人より割と薄いため、若干血の色の赤が見える。また直射日光に弱いためサングラスないしは偏光眼鏡が手放せない。少しくらいなら平気だが、長時間はきつい。
 眼鏡は瞳の赤さを黒く見せるのにも一役買っている。ほかにも、目つきの悪さをごまかすのにも大変重宝している。
 そう、私は病的に目つきが悪い。それも人生の九割損しそうなまでに。眼鏡類なしで街を歩けば三メートル移動するまでに、其処らに屯っている人類の汚点どもが喧嘩を売ってくる。私は喧嘩を須らく買う主義なので、血を見ることに慣れ親しみ、武術を極めざるを得なかった。師となった人物はある一部のものを除いていない。孤独に書を読み、一人で会得した。悪評流れる今となっては私に喧嘩を売るという他殺行為をする者がいなくなったのだが、それはそれで暇である。
 さて、五時半に起きた私は、まず十分程度低血圧で放心状態となる。その後、日課である鍛練をしてから、シャワーを浴びて、制服または私服に着替える。朝食を作りつつ、いたら母さんを蹴り起こす。母さんは家事を全くしないので当てにならない。そして、どういうわけか朝食を毎回抜いている。少なくとも私が作った料理は飲み物以外を口にしているのを目にしたことがない。一応、父さんのほうは今はウィーンである方面の仕事をしているはずだ。給料は良いようだが、仕事内容は聞いたことがない。
 本日は平日、十月三日なので制服に着替えた。通う学校は私立の中学校だ。
「行ってきまぁす」
「……事故起こすなよ」
 母さんも働いている。大学の客員助教授をしている。研究のためにたびたび帰ってこない時がある。今回はわりと早く三日ぶりだ。何かの実験をしているようだ。
「さて、俺もそろそろ行かないと……」
 七時三十分ごろになったので掃除機をしまい、鞄を手に取る。近場の中学なのでわりとゆっくりできるのだが、いつも早めに登校する。理由はアレがいるためだ。

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 そして時を流し、私は今通学路の桜並木を歩いている。
 後ろからの気配に気づく。いつもより早いのは気のせいではない。
「リヒトー!」
 予想通り突っ込んできたソレを、私はよける。
 しかし、ソレはちょうど私の隣にとまった。
「……珍しく早いな。何がある?」
「ん〜? 特に何もないよ……あっ、おねが」
「黙れ」
「自分から聞いといてその仕打ち!? 非人道的だよ!」
 この純粋かつ能天気なバカは東堂トウドウ 陽光ヨウコウ という。すべてouという発音が終わりの漢字で構成されている。何となしに変わった名だ。
 常に優しく明るく楽しそうにしている。泣いているところは見たことがない。クラスどころか、市の人気者だ。テレビにも何度か出たことがある。彼を嫌えるものがいたるならぜひ来てほしい。血を見ると慌てふためき、他人のことに首を突っ込まないといられない。
 つまり、嫌いな言葉だが、良い人なのだ。
 私にとってもかなり運命を書き換えさせられた張本人でもある。もしも私が彼にあっていなかったら今生きているのかさえ怪しい。
「聞いてやるからそっちに行くな」
 本当に常識に欠けた良識人が。
「ねえねえリヒト。英語の予習やっている?」
「愚問だな。俺の母国語は一応英語だ。する必要がない」
「ああそうか。帰国子女だっけ。まいったな。なら……手伝ってくれないかな? 今日あたるかもしれないんだ」
「仕方がないか……まあ、貴様が予習などしていたら天変地異が起こるか」
 朝早く来るだけでも異常ではあるが、せいぜい、にわか雨が降るぐらいだろう。
「手伝ってくれるの!?」
「まさか。女子の中に放り込む」
 彼は優しすぎる。それも自分に恋心を抱いていると誤解する女性が多く出るほどに、だ。例えばあの桜の上にいるにいるストーカーや、何気なくランニングをしているふりをしている文芸部女子、向こうのビルの屋上にいる双眼鏡でこちらを観察している担任などなど。裏では写真が出回っているらしい。
 今は私がいるので来ることができないが、ここで私がいなくなったなら、陽光が一人になったなら……想像に任せよう。
 だが私はそれができない。なぜなら、私は彼と彼の存在の病的なまでの脆さ、完璧さを知っている。また私という存在が成り立つ上での彼の重要性のせいもある。
 陽光は脆い。これは私が彼に会ったその時に知ったことの一つだ。善も悪も彼にはない。あるのは完璧さと優しさ。彼以外でこの世のどこに、たとえどんな人であったとしても、自分を殺そうとする見ず知らず人であったとしても、どんな対価を払ってでも救おうとする人がいるだろうか。誰の敵にも成れない、不完全故に完璧な、壊れた天秤のような、致命的に欠けた生命体。それが彼の、姿だ。
 故に、一度壊れてしまうと二度と戻らない。何の拍子で壊れるのかもわからない。怖い、言ってしまえばそうだろう。しかし私は彼を守ろうとは思わない。いつ何があってもよいように、そして私の宿願が叶うように、彼が彼を守れるようにする。そのために様々なことを教えている。
 それが、私にできる最良の行為だろう。
 私は、彼の、いわば対だ。鏡を見るように、ではない。完全な対である。
 あってまだ四年ほどであるが、喧嘩は当然のごとくしたことがない。それはそうだ。彼は喧嘩など売りも買いもしないのだから。
 なお、私は気分で売っている。

 
 
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