第一話
「逢魔ヶ刻に」


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 さて、陽光が何もないところで転んで百万円の札束を見つけて交番に届けたり、子猫が小型車に轢かれそうになっていたのを助けようとして十トントラックに轢かれそうになったのを私が極めすぎた合気道で助けたり、そのトラックの運転手を助けたりなどをしたのだが、力仕事は主に私がしたのはどういうことか。
 学校に着いた時には遅刻寸前だったため、壁を越えたりもした。これらは陽光がいるとよくあることだ。本当にろくなことが何一つとしてない。
「ヤートー、どーしてそんなにばてているのかな?」
「ん? ……ああ、明日香か。疲れているからだ。休ませろ」
 ヤトとはただの通称である。近隣では大衆が私のことを魔王と呼ぶので、ヤトと呼ぶ人は少ない。せいぜいこの生徒会副会長の桐島キリシマ 明日香アスカ、あそこで陽光をなだめている風紀委員長の久納クトウ 煉詩レンシ、珍しく遅刻していなければ隣のクラスにいるだろう火宮ヒノミヤ 朱音アカネぐらいのものだろう。そういえば最初にそう呼んだのは確か法条院ホウジョウイン 風見カザミ (だ。彼女は中学に入ってしばらくしたときに交通事故で死んだ。あいつは誰に対してもかなり馴れ馴れしかった。
「あっそう。そんなことよりもヨッチがあんなにも凹んでいるのは何で?」
「使用中の女子更衣室に叩き込んでやっただけだ」
「うわ……よくやるねえ」
 かなり疲れさせられたのだ。そのくらいは許容してもらいたい。まあ愛玩具のように下着姿の女性生徒らに弄ばれる間の彼の表情は割と見物だった。目のやり場に困りつつ、脱がされないようにしつつ、どうにか出ようとする必死さも。いつの間にか教師も混ざっていたのはどういうわけだろうか。
「どうりでみんなの顔つやがいいわけだよ」
「……混ざりたかったのか?」
「えっ……と、ヨッチに嫌われたくないからいいや。泣き顔も見たくはないしね」
「あの聖人君子以上が人を嫌えるとは思えんが……」
「それもそうだけどね」
 この私の過去の一部を知ってなお受け入れた人だ。たとえ殺人鬼でも嫌わないだろう。さすがに好きにはなりそうにないが、助けようとはするだろう。
「あんまりヨッチを虐めないでね」
「……さあ、な」
 私は読みかけの本を読みだした。それにしても、次の四時間目の授業は例の英語であるのに大丈夫なのだろうか。いや余計なお世話か……。
 高校で習うことのほぼ全てはずいぶんと前に修学済みにしているので授業中は暇である。よって私はその間に課題になるであろうものをしたり、母さんの所属する研究実から盗んだ本を読み解いたり、何もない時は寝たりしている。本は基本的に読むためにあるものだ。それを貸し出し禁止にするのはやはりおかしい。
 今日は意外と何もなかったので久方ぶりに行った図書館の本を読む。上に文句を言って蔵書量を増やさしておいてよかった。質は悪いが、暇つぶし程度にはなる。
 今回私が選んだのは推理小説みたいなものだ。はてさて誰が買ったのか。少なくとも私がリストに入れた覚えはない。まあ内容はまずまずなので可としよう。
 私がこれを推理小説みたいなものと言うのは理由があり、言ってしまえば読者に推理させる本だからだ。主人公に当たる人に言った手は名前すら出てこない。トリックも明かされない。第三者が手に入れることのできる少ない情報の中で読者側が推理するのだ。犯人とされ、警察に捕まった人は犯人の一人かもしれない。犯人が何人であるかもわからない。中々のものだが、しかしやはり、うむ、作者はすでに死んでいる。だから途中なのか。偶然の産物というわけだ。そういうこともあるものだ。
 私はその本を放課後に返却した。今日は何もないが、持ち帰ろうとは思わない。なぞは解き明かしたからだ。それにしてもやけにあの本は汚れていたな。いったい誰があんなになるまで借りていたのだろうか。そういう蔵書関係、いや、金が絡むものは少なくとも一度は私の目に入るのだが、あの本に関しては何一つの記憶がない。ならば存在しないはずなのだが、事実としてあそこにある。それがやけに気になるのだ。
 そうこう考えているうちにいつもの桜並木についていた。あそこの土手には陽光が夕日を見上げている。
「何かあるのか?」
「あ、リヒト。いや何も……何もないよ」
「ふうん……綺麗なものだな、夕日」
「……うん、そうだね」
「さて、これからどうする?」
「へ?」
 彼がこちらを呆けた顔で見た。いや普通気づくことだろう。この景色の、異常さに。わかっていないならそれはそれで仕方のないことだが、せめて気付いてほしかった。
「夕焼け時のことを昔は逢魔ヶ刻と言っていた。もしかしたら古人は夕暮れに別世界の道を見たのかもしれない。ふざけた話だ」
「えっと、何の話なの?」
「別に時間など関係ないというのになぁ……」
 桜吹雪が美しい。たぶんこれで最後の見納めだ。
「貴様だけを移かせると不安があるので俺も行く。この世界にも飽きてきたし、丁度良い」
 さて今のうちにできることをしておく。生憎神を崇拝する趣味はない。崇拝するだけ無駄だからだ。時間がどれだけあるのかも知らないが、間に合いはするだろう。
「ねえリヒト、頭大丈夫? 何か変だよ。脳外科行く?」
――ゴスッ(強烈に殴った音
「いひゃい……」
「少なくともお前以上に正常だと自負している。大体今の季節に桜は咲いていない。今朝も咲いていなかったことにさっさと気づいとけ」
「……あ」
 もう遅い。一瞬の浮遊感の後、急速に落ちる感じがする。世界が喰われていき、境界線がなくなるような感じだ。事実、世界の境界線に穴があいている。白くなっていく視界の中、私は何かの悲鳴を聞いた気がした。今からどのような行動を起こしても無駄なのでおとなしく流れに身を任せる。上下感覚も時間感覚もない、ほとんど何もない。しかしすぐに戻るだろう。私はそう確信しているので、目を閉じ、休み始める。

 
 
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