第五話
「それが地獄」


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 そう思ってにやついていたらエリュシオンに言われた。
「――ですが、私たちだけというのはいささか不公平ではありませんこと?」
「まあ……それはそうですね」
「なので、シュトラウト様はこれを当ててください」
「……これはまた……卑怯なことを」
 差し出された紅茶を一口飲んでつぶやいた。誰でもこれは思うはずだ。私以外の人では当てられそうにない。
「……ウリア国カミール地方、ロラル国アンザス地方、それから、極少量ですがドーアム国ラウリル地方……以上ですね」
「……正解です。どうしてわかるのです?」
「あはは、リ――アツッ!!」
「香りが基本ですね。人の感じる味というのはほとんど嗅覚に依存していることを知っていますか?」
 熱さで悶えている陽光を除いた三人が首をかしげた。判定、物分かりの悪いバカトリオ。いつもどおりのバカである東堂 陽光はどうでもよいとして、ほかの三人は結構なバカである。
「はぁ……風邪をひいたとき、食べる物全ての味が普段とは変わりませんでしたか?」
「はい――あ、なるほど」
 この仮面をつけている間はずっと微笑んでいることしかできなくなっているので、言葉に怒気というものを含ませることができない。
「特に紅茶では鼻をつまんで飲んでみてもほとんど味はありません。そうですね、あるといっても……渋みと苦みぐらいのものではないでしょうか?」
 それにしても金がかかっている紅茶だ。値段の割りにそれぞれの味がそれぞれの味を阻害しているので一つもおいしく感じられない。調合法を間違えたブレンドだ。
 それでも、茶請けのクッキーはおいしい。このクッキーはどこで売られているのだろうか。もしくは誰が作っているのだろうか。
「だから紅茶の味というのは香りのことを指しています。確かに深みの中には甘みや酸味もありますが、そんなものは微々たるものです。主だった決定にはなりません。
 故に紅茶の産地を当てるには、つまるところ、どれだけ香りを選別できるかにかかっています。それからかすかな酸味や甘み、苦みなどで誤差を直すぐらいです。ちなみに私は大半――約百二十種の紅茶の産地を記憶していますよ。
 伊達に世界を回っているわけでは有りませんから」
「……それは、まだ趣味の域ですか?」
「趣味でなかったならやらないことでしょう? なら誰が何と言おうと趣味の域です」
 私から見れば、そんなにも難しいことではない。例えば、数学の問題で問題文を見れば解き方がわかるということがある。あれは問題の特色をとらえているわけだが、これもそれと似たようなことにしか過ぎない。
「……この紅茶は、ウリア国産でしょうか?」
「――違います」
「フローリア国産ですね?」
「ずいぶんと離れましたね。ええ、違います」
 どうしてその紅茶の葉の取れた産地からこの星を半周した国の方に行っているのだろうか。それ以前に、フローリア国の紅茶はまだ新しいものが入荷できていない。それなのにこの真新しい味が出るわけがない。外れてはいるが、エリュシオンの方がまだ近いというものだ。
「ヴィ」
「そんなところで紅茶は栽培されていません」
 彼が当てられたならそれは奇跡としか言い表わしようがない。先ほどから黙りこくっているドゥアンは紅茶の知識がないようだ。
「アーシェム国産でしょうか? そんな感じがします」
「アーシェム国のものは微かに果物の香りがします。その香りがしましたか?」
「え、あの…………い」
「ただ、例外としてアーシェム国のロッシュ地方産のそれは果物の香りがしません。ええ、正解です」
 ロッシュ地方はアーシェム国とウリア国の国境のアーシェム国側にある。紅茶の産地として有名ではないが、一部の人には人気のあるマイナーな紅茶だ。
 アーシェム国の人はほとんどが甘党であるので、その国では紅茶の茶葉の中に乾燥させた果物を入れる。しかしながら、このロッシュ地方ではそういうことはしない。故に他国との貿易でよく回されている。
「……正解?」
「そうですよ。それはアーシェム国ロッシュ地方産の紅茶です」
 ちなみにこれは一般市民がよく飲んでいるものである。つまり貴族が買わないほど安い。まあ飲みなれていなくて当たり前だ。
「それは買っていなかった気がしますが」
「私が勝手に持ち込んだものですから。美味しくなかったでしょうか?」
「いえ、とても美味しかったですわ」
「それは良かったです。まあどの紅茶にせよ、淹れる人の腕前次第ではこのような庶民の紅茶でもおいしくなるということです。
 人においても同じようなことが言えますね」
 実を言うとそれだけではないのだが、この前に入れた紅茶はさらに安いもの、あまり使いたくない粗悪品であったりする。そのことが感づかれないかと内心ひやひやしていた。
 しかしながらこの鈍感人たちのおかげでそれも杞憂に終わった。これはまずいものを食べた後に普通のものを食べるとどういうわけかそれがとても美味しく感じられるという理論である。
「お嬢様にそんな庶民のものを飲ますとは一体どういうつもりですか!」
 この言葉は私に向けた疑問であるのだろうか。私にはどうしても語尾が強まっているようにしか聞こえなかった。
「――――……」
 そよ風が右手に集まる。どこかでパチッと爆ぜる音がした。
「――ドゥアン、剣を納めなさい。私はこう見えても満足していますよ。彼のおかげで普段感じられないものを感じることができて新鮮な気持ちになれましたわ。
 感謝します、シュトラウト様」
「そう言ってくださると私もこれをした甲斐があったというものです。まあ私が伝えたかったことは上ばかりではなく、時には下も見た方がよろしいということです」
 そんなことを髪の毛先ほども考えていなくもない。多くが私の娯楽のためだ。にしても勘が好いなこの女。
「さて昼食の前に少し運動をしましょう」
「……もしかして、ダンスの練習ですか?」
「ええそうですよ。シュトラウト様、さぁこちらへいらしてください」
 私はルージュと二人で別の部屋に移った。他の三人は婆やという人に扱かれるらしい。部屋に着いた私は私がシュトラウトであると信じている人がいないことを良いことに仮面を外した。
 そして移った部屋にある大きなソファに腰をおろしてまず一言。
「んー、疲れた」
「そんな感じですわね。リヒト様」
「そういうことで俺は一休みする。おやすみ」
「何を申されているのですか。ダンスの練習をしますよ」
「……仕方がないか」
 私はしぶしぶ立ち上がり、何らかの本に載っていた作法に従ってダンスを始めた。それから約15分ほどで完全に習得した。
 それにしてもこうもダンスというものは体を密着させるのであろうか。武器を抜くときに相手が邪魔になる。そして何より私に不快感を与える。

 
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