第五話
「それが地獄」


<9>



 少しばかりルージュは悩んで見せて、それから口を開いた。
「こんな美女と踊れるのですわ。嫌いなんて口に出さないでください」
 避けられないフェイトと断定。
 むしろ避けることすら面倒くさい。
「ただ不安なだけですよ。長年ダンスをしていないのでうまくリードできるかどうか……本当に自分に自信が持てないので」
 ダンスは嫌いなだけで、別にできないと言うわけでも況してや苦手と言うわけでもない。唯嫌いなだけだ。
「わかりました。なら後でじっくり練習しましょう」
「…………はい」
 生きるうえで粘り強いことも大切ですが、諦めも肝心です。
 ここのダンスがどのようなものなのかは知らないので今後恥を掻く前に先に知る必要があるだろう。本で読んだ限りの知識、ステップなどのことは知っているがそれがどれだけ現実に直結しているのかはわからない。
 ただ、本で読んだ限りは向こうのダンスもこちらのダンスも根底では同じであると感じた。
「ルージュ様、まさか二人きりでするつもりですか?」
「ええそうですが、どうかなさいましたの?」
「……何かありましたらすぐにお呼びください」
「安心してください。彼はそのようなことをする屋からではありません……それにあなたでは到底かないませんよ……」
「何か申されましたか?」
 ルージュの方がドゥアンよりも強いだろう。勝てない戦いに挑もうとするドゥアンは確かに勇猛であるかもしれないが、それでも愚か者に違いない。私に戦いを挑もうなどと言う考えを持つことは、陽光さえいなければすでに私が殺していそうな原因にしか過ぎない。
「いえ、それほど大したことではありませんわ」
 言ったことは否定しないんだな。
「ただ、私がシュトラウトとダンスの練習をしている間にあなた方には婆やに礼儀作法を教わってもらうだけですわ」
「げ」
「え?」
「???」
 エリュシオンとドゥアンはともに嫌そうな顔をし、陽光は全く分かっていない表情をしている。
 それにしてもドゥアンが何かあったら呼んでもらいたいと言っていたが、そんな些細なことすらないといえよう。確かにルージュはこのままいけば問題なくエリュシオンと同様に"幻想の女神"と男性から呼ばれているレイヴェリックと肩を張るほどの美人に成長するだろう。
 しかし彼女を力づくで手に入れようとは思わない上、私の背中はすでに定員オーバーをしているといっても問題ない。故にこれ以上背負うことはできない。そのぐらい察知してもらいたい。
 というより、犯したりしたら後々面倒になるからそのような行為はお勧めできるわけもない。
「ところでエリュシオン様はどうして時間に遅れたのですの?」
 ああやはり怒っている。確かに怒っている。
「……約束の時間を間違えていただけです」
「貴女に限ってそれはありません。嘘ですね」
 人間嘘発見器か。素晴らしい断言だ。しかもあっているのがすごい。このままエリュシオンが説教を受けるのを眺めていたい所存ではあるが、いかんせん今は紳士なので一応助けておく。
「紅茶のお代わりはいかがですか?」
「え――ええ、もらいます」
 会話の流れというものを根底から一気に断つ。本当に茶は便利だ。人の心を落ち着かせ、冷静にさせる効果もあるのでなお良い。
「ルージュ様、きっと服選びに時間がかかったのですよ。エリュシオン様は王女様なのでこういう御呼ばれをすることはあってもされることはないはずですから、不慣れだったのでしょう?」
「……ええ、そうです」
 だからなんでそこでルージュは顔を赤らめるのだろうか。ただ、髪をひと房手に取っただけだろうに。このまま放っておいたら髪が紅茶に入りそうだから少し後ろにまとめようとしているだけだというのに。
 だからドゥアンの視線はどうにかしてもらいたい。あと、このゴムはこの服の一部を使って作った。もちろん止め方も品を崩さないように注意するのは当然のことだ。それから陽光、ニヤニヤするな。気色悪い。
「そういう服を選ぶ時間を考えて約束しましたか?」
「……う、忘れていましたわ」
「でしょうね。あなたはよくそういうことを忘れていましたからね。本当に、私が昔いった言いつけはちゃんと覚えておきましょう。エリュシオン様も、全てのことを想定して行動すべきです。
 何も今日服を選ばなくとも機能選んでおけばよかったのではないでしょうか? ……わかりましたか?」
「はい」
「はい」
 二人とも青い顔をして頷いた。そんなにも私の微笑みが怖かったのだろうか。唯一平気そうなのは陽光だけである。
「物分かりの良い人は嫌いではありませんよ」
 語尾は緩やかなのだが、今の私は父に嫌われていた状態だ。何でも感情の起伏というものが全くない上、正論と極論しか唱えず、やんわりとしている以上に物腰は強く、相手するとこれ以上厄介な者はいないそうだ。特に説教の時は反論どころか無駄口たたくことすら許さないという空気を纏うらしい。
「ただし……次はありませんよ」
 紅茶を淹れる。ちゃんと湯を沸かして入れた。茶葉によって適温や蒸らす時間というものに誤差が生じる。そういうものは茶葉をかじってみればわかることだ。
 コーヒー豆もそれと同じである。こういう特技は慣れによって生じる。この特技のおかげで私はどんな茶でもおいしく入れることができる。
「わぁ、すごくおいしいです」
「ありがとうございます」
「これは……どこの茶葉なのですの?」
「クス、当ててみてください」
 この世にも茶あてという遊びがある。とはいってもそれは貴族連中しかできないものだ。私はこの世界の茶およびコーヒーを暇な時に味わっているので、ほぼ全ての産地を言い当てることができる。
 茶の時間が好きなので暇つぶしにそういうことは楽しかった。今回は気を紛らわすためにこれをする。
「…それは面白そうですわね」
 もうル−ジュからは怒気を感じられない。いい気分転換にはなったようだ。事前情報としてレイヴェリックからこの国の茶の消費量も生産量は他国に比べて多いと聞いておいてよかった。
 それのおかげでもしやと思えた。ちなみに今回入れた茶葉は私が独断で持ち込んだものであるので、ルージュにもわかりにくいだろう。

 
  ←Back / 目次 / Next→