第七話
「精霊の歌」

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 こんなうるさいところにいても意味がないので、手当てを受け始めている陽光に近づいた。
「コウ、いつまでそうしているつもりだ? いい加減物理的にも地獄に落とすぞ」
「どんなだよ! どれだけ残酷なことするつもりなんだよ!」
 この程度の傷は彼にとって瞬時に回復できるほどのものである。しかしこの光景を見た周りに治癒術師は驚いて固まっている。驚くのはいいが、常識的にこの程度で死ぬような人間なら使徒など勤まる以前にもうすでに死んでいるだろうが。
 それに私が特別に鍛えているのだ。この程度でどうこうされては今までの苦労が泡沫の夢に消えてしまう。
「ところでさ、どうして殴ったの?」
「シュルスの月にある舞踏会、舞踏会があるだろう? お前はそれに出るのに俺がいないと嫌だと駄々をこねたそうではないか。まあそれの元凶はあそこの準死体なのだが、そのために俺はその面倒というものに形を与えてみたと言わんばかりのそれに出ざるを得なくなった」
「えっ……と……だから?」
「腹が立って何となく殴った。以上」
「うわ、リヒトらしいや」
 この世の中で私らしくない私など存在しない。私である全てが私であり、それ以上でも以下でもない私は存在させない。この世の基本的なことだ。それがそれであり、それ以外のそれはない。
「うん……巻き込んでごめん。でも、僕一人だとさびしいから、一緒じゃダメ?」
「いや、俺自身舞踏会でやらなければならないことがあるから行かなければいけない。ただ言いたことは、駄々こねるな、アホウ」
「それって、殴る意味あったの?」
「ふむ……ないな」
 どうして彼は困るとこうも上目遣いをするのだろう。それを私以外の他人にするとまずいことになる。性別は関係なく誘拐されることを保証しよう。
 さて面倒なことを記録しなければならなくなった。今まで放置していた各国の王侯貴族相関図及び爵位、名前家名、家の由来や歴史を記憶しなければならなくなった。もちろん陽光にもいくらか記憶してもらわなければならない。こちらに来る国のところを宰相に聞こう。
「宰相、そこの愚図は手紙にどこまでのことを書いたんだ?」
「ええと、使徒のことは書いていないようです。この国にすばらしい方が来たことぐらいだったと記憶しています」
「使徒であることを書いたら極刑に処すことが可能であったのに……チ」
「舌打ちするほどのことですか? それほど殺したいのですか?」
 といっても私は人を殺せないので、いったん使用人として生活させるぐらいだ。それにエリュシオンを殺すと多種多様なまずい者が来るので殺せない。運命的にも殺せないようになっている。世界に愛されているといってもよい。
「そんなことより――礼儀作法の方はどうなっていますか?」
「ルージュさんに一通りは習ったよ。リヒトの方は元から大丈夫らしいよ」
「なら大丈夫ですね」
 アレ以降もよく私は彼女の家に呼ばれている。茶を楽しんだり、最悪買い物に付き合わされたり、学問や魔法を見させられたり教えたりしている。
 ルージュに魔法を教えるというのにエリュシオンに魔法を教えないのにはもちろん理由がある。エリュシオンにはまだ必要がないから教えないのだ。そのことをエリュシオンは知らない。どうして必要ないのか、それは戦う必要がないのにいらない力をつけさせて無理に戦いに出させたくないからである。
 今さらだが、ここの学問は私たちのそれより劣っている。それは魔法があるせいだろう。そのくせして数学や理科はしっかりあるという。といっても理科は大概合成であったり刻印であったりする。
 私の学力は環境のせいで異常に高く、この世界の知識も大量に仕入れ終わっているので、彼女は私を良い知識書と思っているのだろう。ただ行く都度にドゥアンの視線が痛くなるのは本当に心労がたまる。
 それにしてもアレだ。三平方の定理はおろか三角測量法すら知らないとは不便にも程があるだろうに。せめて台形の面積を求める方法ぐらいは知っておいてほしかった。これではまともな農地の測量ができない。もちろん出来てもいない。ちょっとでかけてくるということも出来ないのでこの国の農民には要らない負担を……
「……お、手紙」
 窓から一羽の鳥が来た。これがあの手紙を運ぶ魔法の完成形だ。自動で宛先の相手を探し出し、そこに届けてくれる意外と初級な風の魔法である。元からあった魔法ではかなりの時間がかかるので私が組みなおした。構成も単純にしておいた。
 当然のごとく使用者が知っている人でないと送れない欠点はあるが、そんなものは些細な問題である。既に匿名で魔術師機関、世界の魔法をすべて取り扱っているというところにこの魔法について書いたレポートを送っておいたが、承認され、世界に広まるにはあと数カ月かかるだろう。
 そういうわけで今のところ陽光、カイエ、セイン、レイヴェリックなどなど私の知り合いしか知らない魔法である。私が弄ったせいで些か面倒なことになっている。それは機密性を保つために仕方がないことだ。面倒な所その一、使用者故人で術式の穴を埋め、完成させなければならないところ。
「"紅蓮を纏いし姫君を我は謳う"」
 面倒な所その二、手紙を読むための祝詞を作らなければならないということだ。知らない人は読むことができない。もしも術式を解読しようとすれば手紙は燃えてしまう。製作者である私は問題なく解読できるので問題はない。
 その程度の戦略は作り手が当然することだろう。それにしても自由に決めてよいといったが本当に変わった祝詞だ。そういうことをして手紙を開封した。
 そうなるように考えて作った魔法なのだが、これ本当に便利な魔法だ。
「………………知るかアホウ」
 どうしてこうも面倒なことは何度も来るのだろう。二度あることは三度あってほしくはないことの方が多い。それも三日後にある行事だ。彼女には付き人としてドゥアンがついている。どうせならそちらを誘ってほしい。
 私はいつも付けているウェストポーチから羊皮紙と万年筆を取り出し、それに拒否の言葉を書き連ねていった。
「それは誰からの手紙?」
「ルージュから」
「ルージュは何て言ってきたの?」
「学院祭……文化祭に来てくれないかという誘いの手紙」
 受け取った手紙の方を陽光に渡す。この世の学校にも文化祭のようなものはある。若干、というよりもかなり違う行事目的がある。私たちの世界の文化祭は基本的に羽休めのためにあるのだが、こちらの場合は発表会の意味合いが強い。
 レーヴェ国王立学院の文化祭――正確には学芸発表会兼最終学年生用の就職活動と思えるそれは私にとって非常につまらないものであることは手に取るように分かった。
 ちなみにその発表会には各学年の優秀者も出る。別段最高学年生のみというわけではない。ああ、笑えない喜劇を見るのが嫌というわけではない。そこに行くのを躊躇う理由は服装にある。今来ているような普通の服ではなく、正装しなければならない。既にあの白くて重い服よりも軽く、動きやすく、防御性能に優れた漆黒の服に変えてもらっているので不都合はないのだが……
 他人に頼むのも面倒だったのでさっさと自分で作った。製造に普通の正装の約15倍の費用が必要だったのだが、ギルドやこの仕事で貯めた金の使い道がいまだにない私にとっては少しも痛くない出費だった。新しい黒服は僅かばかりの装飾しかない。
 宝石も使ったのはたった数個である。基本的な装飾は銀糸であり、普通の貴族が好む金糸は一切使っていない。理由は、私に圧倒的且つ世界滅亡の危機並に似合わないからだ。
 ほとんどの装飾を削っているというのに何故そこまで、普通の約15倍の金がかかったのかというと、素材にこだわりすぎたからだ。一応言っておくが、あの服はかなり高性能な鎧と遜色のない防御性能を保有している。もちろん陽光の方も作り直してやった。そちらの方は私の2倍のコストがかかったのはどうしてであろうか。
「……何か?」
「ねぇリヒト、お祭り行こう?」
「………………はぁあ」
 こいつのお祭り好きを忘れていました。というか、上目遣いで見ないでほしい。なぜ目に涙をためる。その捨てられる子犬の目は何だ。断ったら、当分の鍛錬を怠けるだろうなぁ。私は断りの手紙を了承の物に書きなおして送った。
「陽光、お前今日明日明後日の訓練10倍」
「っこの人でなしぃぃぃいいい!!」
 泣かしながらもしっかりやらせました。
 実のところ12.5倍ほど。

 
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