第一話
「逢魔ヶ刻に」


<8>



 いつの間にか起きていた陽光が私の肩に手をかけて言った。明日の夜まで目が覚めないぐらいに力で殴ったつもりなのだが、弱めすぎたか。今後からもう少し力を込めよう。
「リヒトなら可能でしょ?」
「簡単に言ってくれる、学力校内歴代最下位。事はそんなにも容易く運べない」
 いつもの口調、いつもの彼であるため私はたとえどこが異世界であろうとも元の世界と変わらないと思ってしまった。所詮どのような世界であろうともただ面倒な世界が広がっているだけなのである。
「まあ確かに面倒なだけだがな。それよりも俺がそんなことをやる意味がない。こいつらにやらせることに意味があるのだ」
 私はこいつら、つまり王などを指さし、断言した。
 その老いた人は急に指差されたため少し驚いたようだ。
「貴様がこの国の王だろ?」
「いかにも」
「なら今まで逃げてきたその罪、きっちり取らせるから覚悟しろよ。ああお前らももちろんな」
 どんな世界でも面倒なことが変わらないというのであればその世界を大いに変えて見せよう。私はどこまでできるのかを考えると前の世界よりも少しだけ楽しく感じた。
 前の世界居場所では大衆に、社会に流され、逆らわずに生きていかなければならない。しかしこちらではそんなことはない。つまらなくさせなくすることができる分こちらの方が良い。
「……好き勝手言いますね」
「だけどリヒトは一度もわがままを言ったことはないよ。それにいつだって言うことは周りのことを考えてだよ」
 それは違う。常に私は自分にとって過ごしやすい場所を形成するために行動している。その場所をなるべく早く形成させるためには周りを納得させた方が良いからこんなことをするのだ。やりたくてしているわけではない。
「お前いつから起きていたのだ?」
 ふと私はあることを不思議に思ったので尋ねてみた。
「えっと……リヒトが折れた剣を捨てたあたりかな?」
「……だいぶ前だな」
 それは宰相を外に放り出してすぐのことである。その時から今まで私は気付かずにいたのか。私の感覚も衰えたということか。
「で、自己紹介しなくともいいのか?」
「あ、忘れてた。えっと、初めまして、でいいんだよね? たぶんリヒトから紹介がなかったと思うけど、東堂 陽光です。よろしくね〜」
「こちらではヨウコウ・トウドウだがな」
 愛称はヨーコ、ヨウ、コウなどがある。今のところ最終的に広まったのは王である。私の魔王に感化されたものであろうか。ちなみに私はコウと呼んでいる。
「こちらこそよろしくお願いいたしますわ。使徒様。わたくしはエリュシオン・レ」
「長い、次」
 たかだか自己紹介ごときで時間をとりたくはない。それにそこまで重要な意味は今回はない。ただ識別信号さえわかればよいのだ。相手に己のことを認識してもらえればそれでよいと私は考えている。淡白だとある人に笑われたことがある。それはゼロと名乗ったからであろうか。今はもうわかりもしない。
「カイエだ、以後お見知り置きを。使徒様」
「形式ばるな、バカ」
 ひざまづいたカイエにかかと落としを加える。顔面から柔らかい毛足の絨毯にのめりこむ。
「で、その他三人は?」
「王に私語は止しなさい」
「俺は尊敬すると決めた人以外尊敬しない」
「……いつか損しますよ」
「構わないさ。たかがそんなことごときで尊敬したくもない奴を尊敬したくない」
 私にとってはそのようなことをすることはかなりの苦痛だ。また尊敬できない何かを尊敬するのはバカもわからない人の成りかけがすることだと考えている。ただし抗う力を持っていることが条件だ。
 私は権力による苦痛ごときで己を偽れるほどやさしくはない。それに自分を偽ったなら何もかもが破綻してしまいそうだ。それはもちろん親にも適応させている。
「余はフェイタル・リーグ・ケ――イダァ!」
「次な」
 王の名乗りは長いと相場で決まっている。故に脛を強打して黙らせた。老王はしゃがんで両足の脛を抱えている。そんなにも強くした覚えはない。きっと鍛錬が足らないのだ。決して陽光にするぐらいの力でやったからではない。なお、もうそれらは過去のことだ。今さらはどうしようもない。
「アッシュ」
「短くてよろしい」
 鉄扇の留め具である環につけている短い鎖に指を駆け、鉄扇を回していたら青くなりながら言った。私はまだ何もしていない。
 ちなみに彼女がもう一人の武芸者のようだ。予想としてはカイエの部下、腹心であろう。あながち間違いではなさそうである。さて最後はこの優男だ。武芸家には全く見えないのだが、何か妙な空気を漂わしている。故に若干の警戒をしている相手である
「私の名はかなり長いですよ」
 どうせ最後なのであまり構わない。この際すべて言わせてみよう。
「……全部言ってみろ」
「では――」
 大仰に咳払いをする。どれだけ長いのか少し後悔の念を誘うしぐさだ。
「シンセサイズ・アーエール・ラ・ヴィエル・ケルファラル・ファラル・クルセイド・ヴァイツ――」
「もういい。長いのは十分にわかった。で、どこがお前の名なのだ?」
「えっと……確かケルファラルです」
「なら……ケルと呼ぶ」
 優男の神官のような男は微笑んでいる。ただそれが営業スマイル、つまりいつもの表情であるということは簡単にわかることだ。
「ケルですかぁ、短くていいですね〜。皆さんは私の名を言うとき、決まって舌をかむから困っていたのですよ」
「ふぅん……ケルは何か高位の役職についているのか?」
「そんなことありませんよ。ただのしがない司祭です」
 そうは見えないことは私の眼のせいではないだろう。何か、どうでも良くないようなことを隠している気がする。そんな疑問はカイエがすぐに答えを示してくれた。
「しがない司祭とは……最年少で導師になった者の言うことですか?」
 その口ぶりから導師とはかなりえらい役職のようだ。しかし異邦人である私にはその度合いが全くわからない。
「導師って、何なの?」
 こういうときこのバカの存在は便利である。
「……ああそうでしたね。まだ何も知らないのですね」
「それらにおいてはすべて貴様らの無責任な行為のせいであるといえよう」
「本当に人の神経を逆撫でするのがお上手ですね」
 それは意外と褒め言葉だ。
「こんな人とは放っておいて、コホン、導師というのはこの世界で広く信仰されているラ・ヴィエル教の最高司祭、神司、聖巫女に並ぶ四大地位の一つです。
 確か歴代平均年齢は47歳、よく不在の時期があります。最高司祭以外の聖巫女、神司、導師には神に認められたという証、聖痕が体のどこか一部にないとなれませんから」
 私とは態度が違うのはなぜかという問いに対し、私は思い当たる節が多すぎてどれかわからない、と答えるしかない。とりあえずそのひとつに相手があの陽光であるから、というのが含まれている。変わらないとおかしいというものである。
 そして、私はその後何があるのか分からなくなった。


 
 
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