第二話
「旅立ちはまだ遠く」


<1>



 薄ら明りの中、私は眼を開けた。どうやらいつのまにか寝てしまったようだ。お決まりの低血圧のために十分間ほど上体を起こしたままの姿勢で止まる。しばらくしてやっと意識がはっきりと覚醒してから、眼鏡をかける。
 眼鏡は親切にも私の寝ていたベッドの近くの机の上に安置されていた。
「――……はて」
 今更になって初めてどうして私がこんなところにいるのか、疑問に思い始めた。異世界に来たのはわかる、覚えている。しかし、このような、明らかに私の趣味ではない、むしろ壊したくなるぐらい目に毒である装飾が施された寝室に来た、入った記憶が全くない。
 ここまで過度な装飾はむしろ嫌いである。ただ、一つの問題は壊すための道具として、あの鉄扇がほしいのにここに存在しないということだ。他には素手という手もあるが、あんなものには極力触れたくない。ここにあるものにも触れたくはない。というわけで、すぐさま退室する。
 どうせならもっと落ち着いたちょうどのある部屋に寝かしてくれたら良いものを、そこまで気が利かなかったようだ。少なくとも、陽光からあんな、財に財を重ねた部屋は私の機嫌を悪くさせることを聞かなかったのだろうか。
 今私が来ているこの服は、寝間着らしくかなり薄手なので、壁に掛けてあるコートを一枚頂戴する。その隣にあったあの鉄扇も身につける。それと、部屋に飾ってある剣が一応は使えるものであることを確認し、不本意ながらいただいておく。それから私は怒涛の勢いで、退室した。
「……むぁ……」
 どういうわけかすこぶるのどが渇いている。これはある意味飢えよりきつい。されど周りには飲み物となりうるものが何一つとしてない。もしかしたらあの部屋にはあるのかもしれないが、生憎戻る気にはなれない。まったくもって気が利かない。
 この屋敷の使用人は呼んでも来ないのか。部屋から持ち出した意味ありげなベルをふって思った。
 なのでこちらから探すことにした。私は望めば全てが手に入ると考えられるほど弱くはない。ほしいものがあるなら力尽くでも手に入れる。もちろん対価に見合う価値のある物であることが前提条件だ。等価交換というものは大切である。
 そうこう彷徨っているうちに食堂らしき場所を見つけたので、そこにある水差しの一つから水を貰った。水を飲んでいると渇きが癒えたためか、続いて飢えを自覚した。都合良く現在地は食堂のような所なので、当然のことながら食べられる物がある。おまけに何のためか大体予想がつくが、人がいない。堂々と食べることができる。
 はずであった。しかしこの世界もそこまで甘くできているわけもなく、ほぼ全ての人が食事を既に終えたと思わせるに十分な多くの生ごみと残飯しか残っていなかった。下手にないより数段頭に来る。幾ら私の体が普通よりかなり頑丈にできているとしてもさすがに生ごみや残飯は食べたくない。
 まあ、私の体は人より度を超えて頑強に燃費良くできているので、最悪でもう一日はこのままでも保つと予想される。故にここで食べ物がないと早々判断した私は渋々その辺りをうろつき始めた。
 今さらだが、エリュシオンらと会話していた途中からの記憶が綺麗さっぱりないので、少し記憶の整理と状況把握がしたくなった。そのために必要な糖分がほとんどない。
 そのために食料の調達だけでなく落ち着いて物事を考えられる場所の探索も追加した。
 いつもどおりよりやや早い速度で歩いて行く。それにしても、だ。本当にここはどこだろうか。最初にいた屋敷ではないと断言できる。なぜならここは二階までしかなかったはずのあの屋敷とは違い、最低十階ぐらいはありそうだ。ほかにもあそこよりも敷地面積などがかなり広いことである。ここまでの情報があればさすがに気付くであろう。むしろ気付け。
 どちらにせよ、こんなにも広い邸宅など土地と人件費の無駄遣いを助長してしまわないだろうか。あのような宰相を見たため本当に不安になる。
 どうやら今現在は二階以上にいるようだ。廊下の窓から中庭が見える。それでわかった。静かそうな庭なので独考にはちょうど良いと一階に降り、その中庭に移動した。途中の使用人の簡易厨房らしき場所にあったティーポットに紅茶をいれ、その辺に置いてあったクッキーや果物をいくつか貰った。
 中庭には全く人気がなく、物静かというより閑散とした感じがする。今の私にはこのくらいがちょうどよい。
 それにしても今の今もだれ一人にもあっていないのは異常だ。まるで強制人払い令でもあったようである。閑古鳥もいない。
「確か…………こちらに来て……」
 噴水の水音や風の歌、鳥の鳴き声、木の囁きに耳をすませつつ、ゆっくりと記憶を済ませていく。
 十分程して私は混乱した記憶のほぼすべてを整理理解し、時系列に並べ終えた。しかしどうして、この邸宅のあんな所で眠っていたのか私にはわからない。
「……ま、気にするほどのことではないな」
 わからないことを悩んでも結局のところわからないことはわからない。悩むよりもまだわかるようにした方がまだ良い。いや考えるなら良い。考えると悩むは別のものだ。
 そうして私はさっさとそのことについて悩むことを止め、服などを探しに迷いだした。今来ている服は薄くて肌寒いのである。しばらく渡り歩いていると、たぶん兵士に支給される服、軍服置き場を見つけた。こういった軍服は恒常的に動きやすい作りなのでそれを着用することにした。サイズは少し大きめのものを選ぶ。ふむ、なかなか丈夫な素材を使用し、しっかりとした縫い方を持って作られている。
 少し詳しく言うと、服装は、首の中ほどまであるタートルネックの長そでの黒い伸縮性のあるアンダーシャツ、その上に白色の半そでシャツ。下はどういうわけか足首に当たる所あたりに黒の模様が走っているベージュ色の長ズボン、靴は持ってきたこげ茶色の登山靴を使用している。それと、さすがに靴まではここに置いていなかった。
 またその上に茶色のジャケットを羽織らせてもらった。やっとまともな服装になった。
 さて、粗方の個人的な用事を終えた私はとある人を探すためにまたまたその辺を歩き始めた。三度目になると大体の配置が頭に入るというもので、今回はそこまで迷わなくて済みそうだ。一応所在地の目処は立っている。後は只管にそこに向かっていくだけだ。

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 ああうん、まず一言。簡単な世界に対する感想を。

(…………もうヤダこの世界)

 来てそれほど立たずにうんざりしました。
 ほどなくして目的地に着いたことには着いたのだが、このようなことぐらいは感じていたが、予想ぐらい付いていたのだが、ここまでこうであると清々しいまでに衝動的に蹴散らしたくなる。
 何があるのか、というと東京の通勤ラッシュもかくやというほどの人ごみだ。軽く圧殺されてしまいそう。
 そんな人ゴミを作る原因となったとある儀式が行われている部屋の前に局地的に発生している。まるで、アレだ。生き餌に群がっている地獄の餓鬼どもの構図。はっきり言って邪魔。それ以下はあり得ない。
 数多の使用人が扉の隙間から中の様子を覗こうとしている。そこまで楽しいことではないはずだ。少なくとも私と本人にとっては。
 とりあえず気づかれぬようにそっと近づく。
「ちょっとどきなさいよ。もう十分に見たでしょ」
「年功序列を知りなさい」
 その前に仕事しろと言いたくなるのは何も気のせいではない。その上、何と言うか、非常に醜い。
 わりと低い私の沸点は静かに臨界点を当然の如く超越しきっており、静かに抜いた鉄扇はシャリンと場に似合わない涼やかな音を小さく、されど確かに鳴らして開かれた。
 

 
 
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