第二話
「旅立ちはまだ遠く」


<2>



「……俺は何をしていたのか」
 文字通り餓鬼の塊を蹂躙し尽くした後、私は若干隙間が開いている扉に手を掛ける。"女性に暴力を振るるってはならない"と誰か似非紳士に言われそうだが、生憎私は男女平等を遵守している。それ以前に女だからと甘く見て痛い目にあった記録が多々あるので、もうできそうにない。というよりしそうにない。
 阿鼻叫喚の叫び声を上げられる前に鉄扇で的確に急所を突き、首を叩き静かに気絶させていく。
 そうしてその扉に近づくにつれて陽光特有の"気配"が肌を焼く。いや、彼に向けられる私個人の感情が膨らんでいく。それの感覚は言うなれば共振のようなものだ。
 この感応は出会う前からあり、これのおかげで出会っている。例え相手が見えていなくとも一定範囲内にいるのなら相手がいる大凡の方角と大体の状況が知覚できる。便利であるが、場所まではわからない欠点。
 なお範囲は自分を基点とした2km弱の球内であり、近いほど強く感じるということはなく、その範囲にいるのなら一定の強さで感じる。障害物は無視、例外として怪我がひどいほど、死にかけているほど強く感じる。まるで生命の燃え方に呼応しているようだ。今の波動はいつもより強いので何かあるのだろう。

「――……ビシッ!


 これは私が出した音ではあるが、声に出したわけではない。床の大理石に亀裂が入った音である。前座としてあの分厚い肉壁(現状:死屍累々)に阻まれるという外部性精神的圧迫――俗称ストレスのせいで精神が沸点を超越し、プラズマ化が起こっていた。考えもしていないのに視界を遮断するための眼鏡を外し、ゆっくりと目を開け、本来の世界を睨んだ。
 そして、ただ一言。

(吹き飛べ)


 前の扉も含めて壁が轟音を発し、砕け散る。それを確認する前にすぐさま眼鏡をかける。実を言うと、眼鏡をかけていた方が私は精神的に楽なんだ。
 少し考えれば簡単なことだ。魔法の動力、魔力の塊を放っただけである。さらにその上に言霊を乗せ、指向性を持たせたと思われる。これは見事な爽快感がある。
「……コウ、何をしているのだ?」
ケホッ、ケホッ。一体何があったんだ? ――あ、リヒト。やっと起きたんだ」
「…………ちょっと、こっちに来い」
 眼前にある鉄の塊、フェイスアーマーを付けていないためかろうじて陽光だとわかるそれに話しかけた。陽光こと鉄の塊はおとなしく私の命に従い、こちらに歩いてくる、はずであった。鎧、それもよりによってフルアーマーを着こんだ彼は苦しそうな悲鳴を上げつつ、ナメクジ以下、いや生物失格の速さでこちらに向かってくる。牛歩の方がまだましだ。明らかに身につけているものが重すぎる。
 一分たってもたった1mすら縮まない。その速さにちとイラッときた私はこちらから近づく。剣に手をかけた理由はすぐわかる。
「コウ、俺は前にも言った覚えはあるのだが、むしろ良く言っているのだが……」
「な、何かな?」
「身の程を知れぇ! たわけ!」
「ギャヒン!」
 まずはこかす。ひっくり返した亀のようにうつ伏せの状態になるように。中ではその衝撃を鎧が吸収できなかったためか、醜い悲鳴が響いた。それにしてもよく音を反響する鎧だ。
 どうしたのか、というと数瞬にして背後に回り、背に鉄扇を打ち付けただけである。それだけでここまで豪快にこけるとは。
「なあ、自力で起き上がれるか? アホウ」
「……ちょっと、無理っぽい」
 ひっくり返した亀の方がまだ良い。足もとでもがいて起きようとする陽光は一時放置。
「おい、その他大勢」
 全てをひっくるめた時点でその他なのかを疑問に思うが、私と陽光以外のその他ということで納得してほしい。またこのときその他大勢の内の女官が着せ替え人形、つまり陽光の不当らしい扱いに文句を言ったが、一睨みで黙らせる。
「お前らはこいつを殺すつもりなのか?」
「頭踏まないでー!」
「黙れ、蠢く人畜無害」
「爪先はさらにダメー!」
「いいか、こんな鎧はな――」
 とりあえず陽光を立たせる。その時彼に"動くなよ"と耳元で周りに聞こえない声で囁いた。陽光は狗みたいに私の言葉を忠実に守り、微動だにしない。その姿はさながら不動明王から攻撃性とか威厳とか貫禄をとったかのようだ。つまり置物。実を言うとただ彼は鎧が重すぎて動くに動けないことを私は知っている。
「――重すぎるだけで意味がない」
 触れたくもない剣を抜き、陽光を斬った。正確には陽光がその身にまとっている鎧を。私がこのような所で彼を殺すわけがない。そのようなことをしたらかなり面倒なことが待ち受けていることぐらい容易に想像できる。それにまだ時ではないのだ。
 剣に似合わない涼やかな鞘ばしりが辺りに響く。擬音にすると"――シャリン"というところだろう。
 回想。中学一年の初めての夏期長期休暇に私は父方の旧友の家(正直アレが家なのかまだわからない)に預けられた。その人は本当に変態で、俗に言う刀類マニアだ。もちろん唯集めるだけでなく自分でも使う。その技術もすごい。そんなところに預けられたというより放置されたものだから居合切りの一つや二つ、今は亡き流派の奥義、秘奥、技の全てを体得できない方がおかしい。
 剣術を極めるために体の動かし方を極める過程で体術の方もあの人はかなり極めていた。そのため我流であった私の体術はさらに研鑽された。そんなにも強い代わり、心技体のうち心だけが絶望的なまでに壊れていた。常日頃から"一億人切りやりたい"、"世界人口60億ちょいなんだから二割減らしても問題ないよな?"など不穏なことを言っていた。
 ああ、まともな知り合いがほしい……
 確実にあの人を召喚した方が魔王もついでに殺せたに違いない。さっそく人選ミスか。もう何を言っても仕方がない。その場合の懸念は傾国だけだ。
そんなわけで、数多の地獄を見すぎた私はモノの斬線というものがはっきりと見えるようになり、どんな鈍剣であっても刃さえ生きていれば人を両断することができる。今使っている剣の刃はまだ十分に生きているため鉄も切れた。
 見た目は私の意志にそぐわないが、使えないことはない。ただ残線に沿って刃を通すだけだ。果物ナイフでもできる。"日本刀、それもかなりの業物ならダイヤすら容易く斬れる"とあの変態は泣きながら保証した。帰るまでにあの人が打った刀の半数を鉄屑にしたからであろう。なおその斬線は刃物を持ってかつ見ようとしないと見えないようスイッチを組んでいる。
「……お見事。でも先に言ってほしかったな」
「知るか」
 切断面は丁寧に磨いたばかりの大理石のように滑らかだ。下手な鏡より鏡となっている。そういえば銅鏡は銅を磨いて作り上げるのだが、これができるなら磨く必要もなかっただろう。
「いやー、本当に重かったよ」
「見てわかれよ断われよ。戦場では必死の失態だぞ」
「必死? ……必ず死ぬということ?」
 それ以外の必死は残念ながら知らない。それにしても恐怖で染み付いた技術は一年そこらでは失われないようだ。というより腕が上がっている。本当に正確に対象を切れてよかった。結構自信がなかった。
 で、今現在の陽光の服装はというと、鎧の下に着るのであろう薄いボディスーツのみを着用している。私はそれを見た瞬間に最初からあった鎧なんて着たくないという思いが決心に変わった。こんな体に密着したものを着ないといけないというのは面倒そうだ。生理的嫌悪感すら覚える。
 まあ私にとっては鎧など枷にしかならない。

 

 
 
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