第二話
「旅立ちはまだ遠く」


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「そうか。それはどうでもいいとしてそのような状態になったら迷わず殺せ。永遠に眠るなど俺には耐えられない」
「ええ、貴方の許可がなくともそうさせていただきます」
 エリュシオンは素晴らしい笑顔で快諾した。ただそれを行う時に障害となる人物が数名いることが問題である。そのとある人物の一人にはご存じのとおり全ての生命に優しすぎる欠陥品、東堂 陽光がいる。私が知っている彼であるならば、確実に止めに入る。
「その和やかな雰囲気で話しているのはとても好ましいんだけどさ……」
「どうかしたか?」
「どうして僕は縛られているの? それ以前にこの縄はどこから出したの? 四次元ポケットってないはずだよ」
「どこかの青狸のようにどこからともなく縄は出してはいない。腰につけているのを取り出しただけだ。縛ったのは逃げないようにと考えての行動だ」
 今から最長でも一年以内に、この世のすべての学識知識常識、まともに生き抜いていけれるぐらいの体力筋力忍耐力を習得させなければならない。
 前半の学識知識常識については、使徒としての礼節さえ手に入れてくれたなら後は旅の途中でも私が教えることが可能だ。何にせよ一年以内にすべてを習得してくれたなら万々歳なのだが、如何せん彼には知的好奇心を満たそうとする欲求や知識欲というものがない、所謂勉学嫌いなのだ。
「今から勉強や肉体強化の雨あられだ。休みなんて存在しないものと思え。今のうちに昨日までの日常に分かれでも告げていろ」
「逃がしてー! てか、旅に立たせてー!」
「……お前、満足に武器も持てないやつがどこに逝きつくのか知っているか? どこぞの空想のことがあるとは思うなよ。
 この世界では、俺たちの常識は通用しない。相対的弱者、戦えない者から死に逝く上、死んだら終わりの世界だ。空想なんてありはしない。コウ、俺はな……」
「えっと、何?」
「ただ(これ以上、俺の仕事が増やさないために)お前に死んでもらいたくないだけなんだ。頼む、わかってくれ」
 括弧内は私の本心であるため、口には出さない。口に出しても彼の今後の行動は変わらないだろうが、周りの、私を取り巻く環境がガラリと変わってしまうに違いない。
 とりあえず、彼が私よりも早く死んだならほぼ間違いなく私に使徒の役目の遂行を強制される。何があっても私が使徒、勇者など柄ではないことだ。やりたくもない。押し付けであるならなおさらだ。
 何が良くて、何の守るものがあって、この世界の見知らぬ住人のために闘わなくては、この命を賭さなければならないのであろうか。そんなこと面倒の一言に尽きて逃げ出すに決まっている。
「……そこまで考えてくれているなら…………僕はやるだけやってみるよ」
「…………良し(ニヤリ」
「! あれ? 何か言いようのない嫌な予感が……リヒト、何か言った?」
 目ざとく聞き逃さなかった陽光にそんなことが気にもならないほど地獄に突き落とすようなことを言う。
「まずは文字の確認から始めよう。
 それが終わったら魔法の勉強とこの世の常識を同時進行で、次に学問と世界情勢、国勢と各国の配置、宗教上の法律、各国の法律、民族の習慣、地理的特色、敵になる生物の特性、各国の特徴、出来るなら可食植物、有毒植物、薬用植物の判別方法。
 ああ、勿論それらとは別に毎日鍛錬を行う。最初は剣を持てるぐらいに鍛えないとな」
「ゲ……前言撤回は――無理か……orz」
 やることがたくさんありすぎて困る。時間が足りない気分がするが、その辺りは何とかやりくりしよう。すぐには必要にならない事、たとえば、各国の民の特徴、少数派宗教の制約などは後回しでよい。とその前に、あることをしておかなくてはならない。
「エル、主要なやつらに使徒の旅立ちの延期を納得させろ。ケルに協力を頼んでも構わないから確実に容認させておけ。認めない者共には後で俺が直々に"交渉"に行く。あと好々爺、いやフェイタルに貴様の権力を借りるかもしれないと伝えてくれ」
「いつものリヒトだよ……現生徒会長の名は伊達じゃない、か」
 私はあの中学校で生徒会長を務めている。いや今は過去形となっているのか。そのポストに就いたのは去年の九月だ。だから就任一年である。そろそろやめたくなってきたのだが、良い後継者が現副会長の桐島しかおらず、少々難儀していた。
 今はもう関係ない話だ。私が急にいなくなった今頃、桐島はどうしていることだろう。いや彼女は私よりも人望があるので問題ない。肝心なところでドジだが、周りの協力があれば何とかできるはずだ。
 ちなみに桐島が副会長になった理由は、転校初日に私が"交渉"したからである。当時は嫌がっていたが、今年の冬あたりからは結構うまくやってくれた。まあ私がやらせたことはほとんどが雑用――私が手を下すまでもないことであったからだろう。彼女はかなり有能であるおかげで仕事が結構はかどった。それにしても生徒会役員二人であそこまで学校を改変したのは私たちが初めてではないのだろうか。時々そう思い、私は彼女に"やりすぎていないか"と聞くが、決まって"そんなことはない"と返される。その返事は私を結構不安にさせていた。懐かしくもない記録の残滓である。
 ここで私がとった政策(?)の一例を紹介しよう。ある理由により急にヨーロッパに行きたくなった私は来年の夏に予定していた、七月上旬にある修学旅行に行き先を急遽欧州に変更した。予算の方は私の母親の知り合いのコネなどで激安に抑えた挙句、教育委員会や文部科学省の重鎮をちょっとした情報を持って"お話"して工面した。
 さらに良い機会だからとして全生徒を連れていくことにし、全生徒には九カ月以内にフランス語と英語の習得を強制させた。それらがある一定水準に満たない者には修学旅行なしとしていたのだが、以外と全員通ったのである。確固たる欲を持ち、行動力を手にした人は実に恐ろしき哉。
 まあ確かに、授業日程なども就任直後に徹底的に変えたが、まさかこのようなことがあるとは。全員揃って2、3人は行くことができないと考えていた私を軽く裏切ってくれたよ。
 そして遠くは欧州フランスの一角で、私は久しぶりにナンパ中の父親の顔面を割と本気で殴った。結果、全治6カ月の入院、顎部複雑骨折と強度の脳震盪だとさ。あんな刀剣蒐集家のところに放置されたらそのぐらいはしたくなるものだ。
 そんな経験を積んだ私は"あの学校は才能を無駄に持て余している輩が多い"ということを知り、カリキュラムをさらにきつくさせてもらったのである。それは生徒から大いに反感を買った。
「リヒト、貴方何様のつもりですか?」
「そんなことは些事だ。今はそれを知るよりもやるべきことがあるだろうに。やることもあまりに山積みでありすぎて一分一秒が惜しい。わかれクズ。そして働け」
 働かざる者食うべからず、ということはない。なぜなら働かない者は働かす主義だからである。利用できるものはすべて利用するという心構えがないなら生きることに苦労する。
「アッシュももう行動しているぞ」
「えっ、嘘――」
「事実だ」
 私が命令し終えた瞬間に、風のように速く眼前にある屍体を蹴散らして去って行った。その他大勢も何かしらの行動を起こしている。ただ、剣を抜いたままにしているぐらいの行為しかしていないのだが、どういうわけかほとんどのものが従順である。真に良いことだ。少しだけ気分が良くなった。
「さあ貴様も働け。ガキではあるまいし」
「……クゥ」
かなり悔しそうな顔をしている。いつか働きだすだろうと判断して私は周りを物色する。それなりの業物があれば貰うという一縷な望みのための行動だ。しかしざっと見た感じではどうやらないようだ。なので日本刀か悪くて西洋剣を手に入れるという願望は破棄し、何か使える武装を探し始めた。たとえ品ぞろえが悪くともここはこの国の宝物庫なので何か掘り出し物があると考えている。ないと何をしていたのだという話となるだけだ。
「これは……まあ及第点としたところか」
「ん? 何見つけたの?」
「ああ、これだ」
頑丈そうな箱に入っているそれを取り出す。もちろん箱にはカギが設けられていたが、それはピッキングで開けさせて貰った。単純な作りの鍵なので針金一本さえあれば事足りる。
箱から取り出したそれを構えて見せた。片手で扱える心地よい重量が腕にかかる。
「え? ……それって、まさか」
「大方そんなものだな。これは――」

 

 
 
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