第二話
「旅立ちはまだ遠く」


<6>



 執務室に移動中の話で、私が急に気絶した翌日に大幅な人事異動と解雇採用があり、前宰相派はほとんど姿を消させたことがわかった。そのために王は仕事に追われる日々を送っている。自業自得、今までのツケが回ってきたのだとしか言いようがない。それもまた別の話であるが。
「おおリヒト、やっと起きたのか」
「ん? カイエが話していたのはこいつのことか?」
「ああそうだ。彼が例のリヒトだ」
 歩いている途中に書類を脇に抱えてそれらに目を通していたカイエと赤目赤髪の武芸者に出会った。話を聞いていたところ、その赤い男の名はセインのようだ。
 武芸者とわかる理由は筋肉の付き方と重心が揺れてないこと、また剣の質などだ。そんなに観察しなくとも身にまとう雰囲気でもわかる。
「……マジでガキだな」
「何だ? 暑苦しくて無才貴様と同種の種族を期待していたのか?」
「口が悪いという点を除けばいいやつね。ついでに生意気な点も抜いてくれ」
「どんな俺を妄想している?」
「いいお前」
「想像するだけ無駄だな」
カイエに聞いたところ、彼はカイエと同じ将軍の一人、現将軍唯一の傭兵上がりで有名なセイニスト・ギア・ランドルトルーフが彼らしい。腕は立つが礼節が立たないということで評判だそうだ。私は見た目以上にまともな人だと思う。根拠はない。
「ああそうだ。礼を言っておくぜ、リヒト」
「何の礼だ?」
「王にあの豚を首にする決断させてくれた礼。ウザかったんだよな、あいつ」
「させたわけではない。いつかなることを今させただけのことだ。別に俺がいなくとも同じ結果になる」
 そう、私は特別なことは何の一つもしてはいない。ただ起こるべきことを起こしているだけのことだ。それのどこにも特別な要素は含まれていない。
「そうかもしれないが、そのいつかを今にしたのはお前だろ。お前がいなかったら同じことにはならねえよ」
 この人はこの人で独自に世界観を持っている。それは人として当然のことであるが、セインはそれが人よりもかなり強固である。俗に言う頑固者だ。
「王はためらいやがっていたしよ、カイエは王に絶対服従だし」
「……で、何が言いたい?」
「お前がいてくれただけで事がすんなり進んだ。それってやっぱりすげえことなんじゃねえの?」
 そうとも言えるが、そうとは言わない。私という存在が何に作用するのか、それは誰にも言うことができない。
 そんなことよりも私はつい願ってしまう。私が思う良い人はその良さ故に死に易いことを知っている私は彼が彼自身を守る力を持つことを祈ってしまう。こういう人にこちらの価値観、思考を植え付ける行為は無駄だろうが、今はまだ彼が死んでよいほど彼の利用価値はなくなっていない。
「セイン、何休んでいる。私たちにそのような暇はないぞ。その豚がいなくなったせいで仕事がたまっているんだ。早く終わらさないと今日も貫徹になる」
「うぃーす。そうだリヒト。夜に一杯やらないか?」
 一応私は未成年者ではあるが、この世界でそのようなことを気にするうっとうしい人間はいそうにないのでもちろん乗る。親類などが良く送ってくる酒各種を消費しているといつのまにか私はザルというより奈落と呼ばれるほど酒に強くなった。おかげで滅多に酔えなくなった。それは困ることが多々ある体質だ。
「秘蔵の酒ぐらい出せよ。で、どこに何時頃行けばいい?」
「場所は俺の私室、時刻は今晩の、そうだな、八時ごろに来てくれればいい。場所はその辺の使用人に聞けばわかる」
「わかった。仕事しろよ二人とも」
「お前には言われたくねー」
 そうして二人はどこかに去って行った。豚がいなくなったせいで仕事の増えたためストレスがたまっている他に友好国が滅んだか戦争か、そう言った普通ではないことせいにせよ張りつめた空気がそこにはあった。それらは酒を酌み交わしながら尋問していこう。
 二人の後ろ姿を少しだけ見送った私は陽光を引きずって先に行ったエリュシオンを追いかけることにした。視界の端でその光景をとらえていたが、あえて無視を決め込んだ。
 もう二人は見えないが、騒ぐことではない。私にも陽光のいる方角がわかる素晴らしい感応があるのだ。この城もさすがには半径二キロという広大さはないのでちゃんと働いている。一応遅れを取り戻すべく私はショートカットコースを走って二人の先回りをする。

―◆―◇―◆―◇―◆―◇―◆―

「や、リヒト」
「――……思ったよりも遅かったな」
 老王の執務室の前で待っていた。別の所だと他の道に逃げられて出会えなくなると踏んだからである。ここだとさすがに避けることはできない。目的地に着かない移動など移動ではなく、ただの流浪の旅である。
「……もっと遠くに放置すれば良かったです」
「ね、言った通りでしょ。僕と彼は互いのいる方角がわかるんだよ。こっちに来てから範囲と精度が上がったような気がするけど」
 言われてから気にしてみると本当に制度と範囲が上がっている。今まで一点から見ていたものが二点から見るような感じがする。範囲はまだ分からないが十キロ程度と予想される。かなり広めだ。少なくとも完全にこの城を覆えれる範囲だ。
「今後俺から逃げる時にはコウを連れていかないことだな」
「何でリヒトはそういうことを言うのかな。もう少しは相手がこういうことをしないようにする物言いができないの?」
「…………いやだ」
 そんなことをしたなら到底私とは思わないだろう。なのでできることにはできるがしない。ただそれだけのことである。それにだ。この態度を続けていたなら、急に態度を変えたとき誰も私であることに気づかないということは利点がある。それは後々使うので今は黙っておこう。
「ヨーコ様、決して彼に毒されてはなりませんよ。気をつけてくださいね」
「様付けはやめてって言ったのに〜。それにリヒトは悪くないよ」
「いいえ、彼は確実に魔の者です」
 魔、邪の者か。確かにそうであろう。否定する要素は何一つとしてない。私も否定したくはない。少なくとも善ではない私はどちらかにするのであれば確実に悪につく。理由は善よりも悪の方が動きやすいからだ。
「違うよ。リヒトは一見そう見えないだけで、本当はすごくいい人なんだよ」
「…………これのどこがですか?」
「……どうしてみんな気づいてくれないのかな」
 気づく以前にそんな優しさというものがないのだから仕方のないことだ。もしあるとしてもそれは霞むほどのものであるために見えるわけもなく、表に出るほど強くもない。また陽光に比べたならそれこそ無きに等しいものなのでますます気付くことはない。
「ヨーコ様のお人好しにも程があります。もう少しはご自分を大切にしてください」
「あー、昔のリヒトと同じこと言ってる〜」
 言ったところで何の意味もないがその当時は言わざるを得なかった。今はもう諦めている。お人好しではない彼を想像できなかったためだ。それは陽光という一存在はお人好しであるということを受け入れたことも意味している。
 それはいいとして、早くこの執務室に入らないのだろうか。

 
 
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