第二話
「旅立ちはまだ遠く」


<7>



 不意にエリュシオンがこちらを向いた。きっと王に対する態度の注意だろう。当然知っているが守るわけがない。面倒というのが理由だ。
「ならあなたがヨーコ様から離れてください」
「やってみろ」
 予想していた問いとは違うが考えていなかったわけはない。故に難なく答えた。
 私が考えるエリュシオンの価値観から言えば全てにおいて私は悪、ヒールのようだ。ならばこそ私は陽光のそばにいるべきではなかろうか。善というものは悪の傍らにいてこそ映えるものであって、悪は善の前にいてこそ滅亡してくものなのだから。
 一方エリュシオンは"善は一人で立てる"と思っているのだろう。正義と間違えていないか? 正義というのは善悪の世界と全く違う。故に前にも悪にも正義は存在する。万民がいるなら万の正義が存在する。似た正義はあっても同じものはない。故に他者に己の正義というものを押し付けてはならないのだが、言ってもわからないだろうな。小娘だから。
 彼女があのような価値観をもった経緯を考えてみるに、二つの可能性に行きついた。その一つは彼女に対する私の態度、もう一つは今思うべきことではないので削除しておく。
「それよりも、入らないのか?」
 扉の前には親切にも大きく執務室と書かれている。
「道に迷い易い人がいるようだね」
「方向音痴は珍しいものではない。例えばタマ」
「ああ……そうだね。そうだったね。今頃路頭に迷って月に行ってなければいいな……」
 タマというのは教師の一人であり、学校のマスコット的存在だ。この人は希代の究極方向音痴であり、一説には呪われているとさえある。
 たとえ目的地が五十メートル先にあるコンビニであっても、その日のうちに目的地に着かない確率は90%以上。目的地から地球を半周した所に行った回数最低88回。見通しの良い道であり良く晴れた日であったとしても、である。そんな人だ。ちなみに私のクラスの担任であった。
 生徒会の役目の一つとしてその人の子守があったが、そんな仕事類は風紀に回した。
「ほら入りますよ」
「良いからさっさと開けろ」
 私はこの扉の解錠の仕方を知らないので開けることはできない。鍵穴だけであるというのなら針金一つで十分事足りるのだが、この世界でそのようなことがあるとは思えない。まず間違いなく魔力を使う鍵が含まれているといってよいだろう。
 開けられた扉の先にいる老王に図々しく言う。
「おい耄碌爺。遺書は書いたか?」
「最初の一言がそれか…………余はこれでも一国の王であるから少しは敬いの心を持たぬか」
 という注意を受けたので気持ちを切り替える。
「そうでしたね。失礼しました。我らが王よ、実は此度、賢明なる王に」
「済まぬ、余が悪かった。悪かったからその憐れみを込め、救いようのない、救うつもりもない愚民を見る目をやめてくれ」
「面倒させやがって。これだから無駄に権力持っているやつらはむかつくんだよ」
「…………」
 どんな気持ちを切り替えたのかというと、"表面上は相手を尊敬しているふりをしつつ、内面では本当に邪魔モノか出来モノ扱いする"という気持ちにしてみた。
 "無能な上司を持った有能すぎる部下の気持ち"ともとれる。その辺りは被害者の自由だ。私は自分の感情を完全に偽って行動することに慣れているのでこのようなことも容易くできる。
 ただこういうことをここでするのは初めてなので、この部屋にいる陽光を除いた人が驚きの様子で私を見ている。あまりの態度の変化に驚きすぎだ愚か者ども。
「でここに来た理由だが、これをもらう。反論及び異論は聞くが……」
――キュィイ――ズガゥン!!
「――言う時は遺言状を持参して来いよ?」
 武装其の一を窓に向けて放つ。豪快な音を立てて窓を破壊し、魔力弾は近くに見える山を抉る前に霧散していった。続けて銃口を王の額に密着させて、 脅す 嗤う。
 すると王は素直に首を縦に振った。首を縦に振らなかったらどうするのか、それは想像にお任せする。まあ少なくともトマトが一つ増えるな。
「それから面倒な屑を黙らすのに貴様の権力を代理行使する許可を出せ。詳しい説明は……いるのか?」
「できれば聞かせてください」
 14、5分ほど捲し立てた。中にはどうでもよいことも含めてどれが真に重要なのか分からなくさせている。これは相手を情報で溢れさせ、自意識を薄れさせていくというある一種の暗示術かつ交渉術である。これを使えばどんな不利な立場にある交渉もある程度こちらに有利にできる。
 その間、私はあの銃を微動だにさせなかったため事はすんなりと進ませることができたのは言うまでもない。その前に陽光は私に一言言った。
「……程々にね」
 一応まだ利用できるので当然手加減はするが、これらはすべて使えない陽光のせいでしなければならなくなっているということを彼は理解しているのだろうか。確かに彼はバカではあるが、理解能力が人並みにないわけではない。一般人から見れば秀才の域にあるだろう。あの中学校の学力が最下位でもそのぐらいの情報処理能力、理解力はなくては退学になる。
 それにしても、言葉は古来より言霊と呼ばれるだけのことはある。たとえどの世界であろうともそこで言葉が通じ、本心が隠せれるというのなら絶大な威力を発揮する。裏切り、信頼、その他諸々はまず言葉から始まり、言葉で終わる。本当に言葉は一種の魔法だといえよう。
 と場所を移して本を読みながら思う。
「…………リヒト、ここどこ?」
「この城の書庫だ。今後よく利用せざるを得なくなるので場所をしっかりと記憶するように」
「何をしに来たの?」
「言語を理解しているかの確認」
「アレって今日から!?」
「時間がないと言ったはずだ。キリキリ行え」
 とりあえず子供向けの本らしきものを何冊か見繕って陽光に渡す。
「ほれ、さっさと始めるぞ」
「本を読むのは嫌いじゃないけど……こんなにも?」
「ああ、やはり少ないと思うか? もう10冊ほど増やそうか?」
「いえ十分です!!」
 さっそく後悔している。勉強嫌いにも程があるのではとつくづく思う。愚痴をこぼしながらも読んでいく彼を横目に、私も始めていく。まずはこの学術書から読んでいこう。
 しばらくして大体わかった。私が書ける言語というのは基本あの世界の言葉、日本語や英語などである。しかし理解できる言語はかなり幅広く、この世のすべての言語を通訳できるといっても過言ではない。ここにある本ならば読むのにそう苦労はしないということが確定しただけでも十分だ。ただ脳内で言語変換されるのがうっとうしい。
 詳しく記してみると、公用語十二種、地方民族言語四十三種、少数民族言語八十二種、古代語十八種、その他三種+αである。陽光は公用語八種であった。庶民が生きる上でそのぐらい話せるなら困りはしないが、彼は使徒であるためその程度では問題外なのだ。
 そこまでの確認を終えた私は今、文字の書き方を覚えている。話せるだけではこの欲求が収まるわけがないので仕方なく終わらせた。たった今終わった。
 学習能力やら情報処理能力やらが無駄に高く設定されてある私にとってこの程度の知識を理解することなどあまりに稚拙なことなのだ。もちろんのことながら暗記能力もかなりのものなので、見て記憶して暇な時に整理理解するということもできる。
「わけわかんないよ〜」
 ……陽光の悲鳴は聞いていないことにする。

 
 
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