第五話
「それが地獄」


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 第六感の警告は当たっていたといえる。ルージュがかなり面倒臭いことを言ってくれたのだった。
「どうやら今一度あなたには淑女の何たるかを教えなければならないようですわ」
「あの、もしかして、怒っていらっしゃいますか?」
「いいえそんなことはありませんわ――ただ失念しただけです」
 外から見ていると怒っているようにしか見えないのはどういうことだろうか。もしかすると彼女の失念というのは等号関係で憤怒とつながっているのかもしれない。静かすぎて無意味に恐怖を与える。先ほどから背筋に針を刺されているかのような感覚がある。
「ドゥアン、こいつのこれはいつもこんなものか?」
「まあ、概ねそうです。特に今日はひどいですね。抜き打ち試験で納得いく結果が出なかったからでしょうか? ……ああそうそう。こういう時に限ってとばっちりが来ますから。覚悟して置いてください」
 右隣にいるドゥアンに尋ねてみたところそのような答えを素敵な笑顔で答えやがった分、私の怒りのボルテージが上がった。そのような嫌な癖は早めに言ってもらいたかった。
 もしも叶うなら今すぐこの場から逃げ出したい。戦略的撤退に身を置きたい。だが、ルージュのあの瞳に映る光はそのようなことを許しそうにはない。彼女は一口紅茶を飲み、私たちの方を睨んだ。少なくとも見るという生易しい眼光ではなかった。しかしながら、それであっても顔に浮かべるのは相変わらず穏やかな微笑みのみだ。淡く美しい微笑みで張るのだが、今までで叔父の次に恐怖という感情を与えるものだ。
「それと、リヒト様はもっと紳士的な態度と精神を身につけるべきですわ」
「身についていないのは当然だ。俺は紳士ではないからな。あんな見栄ための態度は苦手だ」
「安心してください。紳士に鍛えてあげますから」
「……面倒だから拒否する。やることが溜まっている」
 私がその言葉を口にしたとき、彼女の微笑みに潜む何かを垣間見せられた。その何かは逃げたらどうなるかを如実に語っている。神もひれ伏すだろう神々しさと共に慈悲深く、人々を何げなく殺す告死天使降臨その瞬間がフィードバックされたのはなぜであろう。
「鍛えます」
「……チ……」
(面倒だな……逃げられそうもないし。仕方がない……俺一人と言うのも癪だ)
「そうだな、もう一人ぐらい連れて行ってもいいか?」
「ええかまいませんよ」
「ん、なら行こう」
 私はまだ精神的に殺されたくはない。それはもう、精神的にも肉体的にも。この拒否権のない微笑みの前で、誰一人として逆らうことはないだろう。ならば死なない方向をとるだけだ。そしてその状況を有効活用させてもらう。
「もちろん、ドゥアンもですわ」
「私もですか!? そ、そんな非情な!」
「うるさいですよ。少しはお黙りなさい」
 私の言うそのもう一人とはもちろん陽光なのだが、あれが素直に来るとは到底思えない。まあ、何とかしていこう。私だけそれを受けるのはしゃくだ。
「……さて」
「ん、どこに行くのですか?」
 席を立ったらエリュシオンが話しかけてきた。どこに行くのも私の自由だと思う。
「そこらを適当にさまようだけだが? ……なあ、ドゥアン、なぜ俺の裾を握る?」
「頼む、一緒に来てくれ……」
「当然断る!」
 そう言って私は彼の手を振り払い、カウンターに代金を払いに行く。今後の代金は彼女らに払わすのは当然である。私は存分に貢いだはずだ。
「…………何でついてくるのだ?」
「偶然行き先が同じというだけですよ」
 明らかに私の後を追う三人を放っておいて、私は古本屋からまず向っている。
 このレーヴェ国の王都クローヴィアは合計三つの壁がある。まず新外壁、第二隔壁、最も内側にある内壁だ。
 一般的な戦争時の防御は新外壁――第三隔壁が舞台だ。都市人口の増加により四年ほど前に建造完了した比較的新しい壁である。
 続いてあるのは旧外壁――第二隔壁。この地に遷都してからある外壁だ。通称護国の壁。その由縁は、約16年ほど前の話だが、その時この国は周りの諸国が同盟し、一度に攻め込んできた時、滅亡直前までおいやられたことがある。その時に現れたとある奴隷の権謀術数と本人の求心力、知能、暴力その他諸々のおかげで王都も奪われた状態から責められる直前の国土の約三倍まで回復した。
 その人が遷都時に計画した王都の設計図の城壁故に護国の壁という名前が付けられたらしい。その奴隷は今は行方不明だが、その人がこんなことを聞いたら呆れるに違いない。
 ちなみにその人の像はその人の猛反発で全て打ち壊され、唯一、肖像画(現在国宝。閲覧不可)が一枚――復刻一周年の記念に書かれた当時の王、エリュシオンの父親とその妃、そして当時四歳のエリュシオン、当時二歳のエリュシオンの妹が描かれた絵画にその人の姿が描かれているだけである。
 名前まではまだ知らないが、そのようなことはその辺の人に聞けば簡単にわかることだ。他国からも恐れられているため、逸話やら説話やらが多い。曰く、あのお方は奴隷などではなく神の御使いであるという説等々。
 どう考えても書くのは面倒なのでその辺のことは気になれば書いていく所存である。ちなみに第二隔壁と第三隔壁の間には庶民が住み、そこそこ賑わっている。市などは第二隔壁の内側である。
 一番中にある内壁はもちろん城壁だ。最終防衛ラインといってもよい。学院など一般市民も使える王立公共機関は第一隔壁と内壁の間にある。財務院などは内壁の内側、奥城の外側にある。
 私は第一隔壁の内側のかなり裏道にある古本屋に入った。続いてその三人も入ってくる。
「ほとんど迷わずにここに来ましたね……」
「もしかしたら来た事があるのではないですか?」
「まさか! 王都に着てまだ少ししか立っていないのですよ」
 そのつぶやきは一字一句逃さず私の耳に入ってきている。偶然行き先が同じではないというのは気づいていたのだが、もう少し隠そうとしないのだろうか。
「――よ、店長」
「ん? …………おお、懐かしい顔じゃのぉ」
「間が長い。そんなにも久しぶりではないだろうが。いや久しぶりか? すまない。時間的感覚がはっきりしていないんだ」
 私は暇さえあれば城下街に出かけていたので、ここのような良い物を置いている所にはちょくちょく言っている。ここの店長もかなりの年なので仕方がないことだと受け入れるしかない。
「そんなことより何か面白い物はないか?」
「ふむ………………少し待っておれ」
 そういうとその老い先短いことは保証できる老人は奥の書庫に行った。書庫には表に出したら首が飛んでしまうような禁書が保管されてある。そういう本を取り扱う珍しい古本屋なのだ。
 もちろん、まともに珍しい本も置いてある。しかしそういうのはここにある物のうち約半数を除いて奥城の書庫をうろつけば手に入るものばかりだ。私は珍しそうに本棚の隙間を歩く二人を眺めながら、あの老人の孫が出したお茶をすすった。
 ドゥアンは外にいる。あれは決して知識欲のある人には見えなかったが、全くもってそのようだ。非常に暇そうにしているドゥアンを脇目に、まだかまだかと本を待つ。
 あの老人はいい仕事をするが、如何せん速度が遅い。私はお茶を啜りつつ、気長に待つことにした。

 
 
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