第五話
「それが地獄」


<5>



 出された茶も三杯目がなくなりかけたころ、ようやっとその老人が埃まみれになって出てきた。その腕の中には曰くありげな本が一冊ある。革のベルトや古代文字の書かれた布で厳重に封印を施してあるところを見る限り、かなり呪われているような一品であることはまず間違いない。
「――それは?」
「お主に前々から渡そうと思っておったものじゃ。これは…………」
 記憶を思い出しているようだ。本当に耄碌している。そろそろ孫にその職を譲ったらどうであろうか。見ているこちらが腹に来る。
「…………はて?」
「おじい、それは"竜骸聖典"だよ」
「……そんなもの、どこで手に入れた?」
「……手は離さないんだね……」
「当然だろうが。百生に一度会えたらいいほうのものだぞ」
 竜骸聖典、それは至高の書だ。極々稀に古代竜が死ぬ時に生み出すそれは何も書かれてはいない。そう、一字一句足りとも書かれてはいないが、その書の価値は一国を譲るに値するという。
 なぜならそれは聖典だからだ。それにある能力は竜を召喚するために契約することができるようになる。またこの世で最上級の合成素材の一つとしても有名だ。
「で、いくらだ?」
「これはお主に譲る」
「……いいのか?」
「うむ、気づいたら倉庫にあったものじゃからのぉ」
 奥を見る。本がうず高く乱雑に積まれている。足場を見つけるのも一苦労だ。て、あれ大渓谷並だな。
 前を見る。後数年したら死にそうな爺さんが一人存在している。本の整理なんて碌にしていないことだろう。
 結論――ここならこんな書物が一冊増えたところで何ら不思議はない。私はしっかりと礼を言ってその書物を左の腰につけているウェストポーチに中に入れた。明らかに入らなそうな大きさだが、割とすんなりと入る。
 このポーチには刻印処理がされてあり、見た目の十数倍の量のものを入れることができる。割かし重宝している。しかし広めるつもりはない。密輸は原則禁止だ。
「ああそうだ。戯神の書はあるか?」
「ああ……ある」
 私は軽々しく禁書の名前を出し、店主は軽々しくそれの存在を肯定した。いいのかそれで? いいんです。
「おじい、戯神の書はこの前売ったばかりだよ。忘れたの?」
「ふむ……なら仕方がないか。また暇を見つけて来よう」
「どうぞまたのご利用を〜」
 戯神の書(危険度A+)は暇つぶしに最適の書物だったのだが(決してそんなことありません)、ないなら仕方がない。無理を言って入荷させることもできるが、それをして彼らが捕まるのは忍びない。
 竜骸聖典だけでも手に入ったことを素直に喜ぼう。ところで勝手についてきた二人はというと、どういうわけかこちらを期待の篭った眼差しで見つめている。
 その両手には少ない量の本があるのだが、金を持ってきていないのだろうか。そうだとしたらこの二人は天性のバカでもある。決してうっかりではない。
「――買ってください。お願いします」
 バカでもあり、アホウでもある救いようのない彼女らに何の愛着を抱けというのだろうか。そんな無理な話が通るわけがない。たとえ上目遣いしてきてもだ。私はこれからこのような禁忌物を裏で取り扱っているところを巡ろうと考えているのだ。
 正直、今後のことを考えると絶望的なまでに金が足りない。せめて自分のことは自分でやってほしいものだ。それにどうして買おうとしているものが若干禁忌色に染まりかけそうな書物ばかりなのだろうか。そういうものは決まって割高だというのに。他では取り扱わない分高いのだ。
――チ〜ン
「合計450万9812クランになります〜」
「…………orz」
 私はこの時自分の頬が痙攣したのを肌で感じた。その提示された額は庶民の一生かけて稼げる金額の約二分の一であるからだ。たかだか書物六冊でこんなにも消費させるのは彼女らだけではなかろうか。
 私は基本的に物々交換か頼まれた依頼をこなしてタダで手に入れる。そちらの方が素材を手に入れることもできるうえ、金のあの雰囲気が苦手な私にとっては気分的良いのだ。
「毎度ありがとうございます」
「……何でさ」
 払えない額ではないのはいいことだが、どうして彼女らの本代を私が払わなければならないのだろうか。もしもここで私が金を払わなければ彼女らは文句を言うだろうし、ここは普通には来られないので次の機会も同行させられる。それもそれで面倒なので、今回は私が金を払った。このせいで素材を売っているところにも行っても意味がない。他もそうである。冷やかしに行くのも何だ。
「うふふ」
「うふふふふふふふ」
 この後ろで忍び笑いのつもりらしき不気味な笑い声を洩らす二人に今すぐ制裁を加えたい。それよりも、彼女らは本当に淑女なのだろうか。金を持っているというのに私にたかるというハゲタカのような精神を持っているうえ、このような不気味な笑いを洩らす奇妙な癖を持ち合わせている。
 さらにその後ろではドゥアンに荷物、今までの道のりで買った服や装飾具等々の荷物を持たせ、自分らは明らかに楽をしている。私はその買い物に付き合わされたため、精神がまずいぐらい疲弊しきっている。どうしてこうも女性の買い物は面倒なのであろうか。甚だ理解できそうにない。
「今日は楽しかったですね」
「そうですわね……楽し過ぎて少し疲れましたわ。あそこでお茶にしません?」
「あ、それはいいですね。そうしましょう」
 帰りたい。それ以上に何か破壊したい。強制的に二人に引きずられて喫茶店に入っていきつつ、私は本気でそう思った。どこかで都合よく喧嘩でも起こってくれないだろうか。
 仲裁に入るふりして壊滅的に虐殺してやりたいから。時にドゥアンよ。この立場というのもなかなかストレスがたまるものだから、そう睨まないでくれ。ついつい殴りたくなるではないか。
「…………………」
「リヒト、今日は本当に楽しかったですね」
「そんなわけがないだろうが」
 城に帰ったら老王とカイエ、それからセインでも虐めてやろうか。ネフィリムの仕事を増やすのもいいかもしれない。
「……帰る」
 そこでの飲食代は強制的に彼女らに払わせるように仕向け、私は城へと帰った。それから医師に本気で怒られたので、仕返しとばかりに彼には哀れなモルモットになってもらった。
 左腕は傷痕を除けば完治しているので退院させてもらい、入院中にできなかったことを少しでも終わらせた。戦争も終わったので陽光とは別々の部屋で眠れることから、今夜はゆっくり眠れそうだ。
「そういえば……何であいつは俺のことなど……――カット」
 考えることの無価値さを悟ったので、考える直前にその思考を停止させた。どうせ、陽光のことを話すついでに話したのだろう。私と陽光は二人でいることが多いので、説明するときに欠かすことができなかったに違いない。
 私は本を読むのをやめ、ベッドにもぐりこんで寝た。明日は昼過ぎの11時ごろに王都にあるベルクロアの別荘、ルージュの邸に行かなければならない。

 
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