第五話
「それが地獄」


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「――ところで……」

 客室についてそうそうルージュが話しかけてきた。
「その服装は、少し……」
「場にそぐわない、だろ? 安心しろ。正装は動きにくいからこの服装で来ただけだ。一応の正装は持ってきている。もちろんこいつの分もな」
「よかったですわ」
 私たちは着替えるために別々の部屋に案内してもらった。しかし私は正装を着慣れていないため結構着替えるのに時間がかかった。それでも私は物覚えが良い方なので陽光よりも早く着替え終えることができる。
 彼の正装はまだ見ていないので知らないが、私の正装は基本的に白いようだ。初めて見るような気がする。それはそうか。私は一度としてこのようなものを作ってくれと頼んだことはないのだから。
 気に食わないことに重い。後で黒くかつ動きやすくて軽いものに作り直してもらうか――いや他人に期待するのは良くないな。自分で作ろう。
 他には一般的な貴族基準でいえば申し訳なさ程度に銀糸で装飾されている。私にとってはこの程度で十分だ。このような装飾は過度である方が過小よりもストレスがたまる。謀らずしてそうなったのかはわからないがよかった。もしも多大な装飾があったら……考えるな。考えるんじゃない。
 それにしても動きにくい服だ。妙に硬いから動きを阻害する。アークを腰につけ、私はその部屋を出た。
「……コウ、終わったか?」
「んー、あと少しー」
 ということなので私だけでも先に行くことにした。ああ、この革靴が憎い。一つも蹴ることや足音を忍ばせることに適していない。むしろその逆といってもよいほどだ。カツカツとなる足音を聞きつつ、後でこれの改良が必要であると確信した。
 眼鏡はすでに外してコンタクトをはめている。適当にしていた髪にはくしを通して久しぶりに髪型を整えている。陽光は笑うか驚くだろう。
 まだ言っていないことだが、私は帰国子女だ。多くの国を転々としてきたが、いちばん長く居た国はイギリスである。
「……貴方は、一体誰ですか?」
 つまるところ、紳士というものも私にとっては数ある仮面の一つでしかない。ごく自然体で紳士であることなど、私にとっては容易いことなのだ。
「もうお忘れになったのですか? リヒトですよ。ルージュ様」
「……なぜでしょうか。俄かには信じられません。双子、というわけではないのですわね?」
「はい、その通りなのですが…」
 ルージュの空になったティーカップに紅茶を注ぐ。昔近くに紳士のイイ手本が近くに住んでいた。その人を眺め、観察してていたら自然と身についた仮面だ。それが昔の長い間の私だったので、この仮面からあの仮面に帰るのには苦労していた。私はティーソーサーを置いてから髪型を乱し、言う。髪を乱すのは気分。
「――これでも信じられないのか?」
「本当にリヒト様ですね。どうしてあれほどまでの完璧な紳士になれるのですの? 非のつけどころがありませんでしたわよ」
「きっと幼いころ、紳士の国と歌われるところにいた時に良き紳士と出会う偶然に恵まれました。その彼を見ていたら身につけてしまっただけのものです。見稽古、というものでしょうね」
 ルージュは私が仮面を少しはいだだけで反応した。彼女が持つ私の概念と今現在の私の概念の違いとは何一つとして同じではないということだ。一応あちらの仮面の方が本当の私に近い。
「一朝一夕で身につくものでしょうか?」
「その質問には赤ん坊がどうして習ってもない言葉を話せるようになるのか、という質問に似ています。幼いころはその人を観察していたら身につきますよ。ほら、蛙の子は蛙というではないですか」
「その、"カワズノコハカワズ"というのはどう意味ですの?」
 あ、熟語は言語変換されないんだ。
「セイン将軍とその御子息、アルフレッドのようなことです」
「……ああ、なるほど。そういう意味ですか」
 それで納得できるようだ。いや、どこか納得させられる親子ではある。ちなみにその紳士というものは浮気性末期ともいうべき新種の病気を持病として抱える父親のことだ。
 今の私の母親は年の割に若く見え、美しいうえに起こると手に負えないため、さすがの父も浮気できていない。一応、私は女に興味がないので節操なしではない。
「それにしても陽光様は遅いですね。急がせますか?」
「もう少し待ちましょう。エリュシオン様もまだ来ておられないことですし」
「そうですね」
 私も席について紅茶を飲む。それからふと思い立ったことを口に出した。
「……あの三人は今の私を見てどう思うのでしょうかね」
「三人? ……ああ、ドゥアンも含めてですね……ふふっ、それは面白そうですわ」
 陽光は私が帰国子女であることは知っているが、この仮面を持っていることは知らない。エリュシオンやドゥアンも思ってもいないだろう。
「設定として、私はあなたの……何にしましょう?」
「そうですね……旧友あたりでよろしいのでは?」
「そうしましょうか、お嬢様」
 三人が来る前に東地方の領土のことでも話しておこう。誰かをだますにはそれなりの事前準備が必要だ。それから彼女に少し聞いておかないといけないことがある。特に彼女はベルクロア家のものなので一般的な淑女と一方的に判断してはいけない。
「狩りはなさいますか?」
「ええ、していました。ですがここに来てからはしておりませんわ」
「何年前にここに来られたのですか?」
「そうですわね……大体四年前ですわ」
「失礼ですが、今おいくつで?」
「十四歳ですわ」
 となると私と同い年ということか。エリュシオンと同学年だが、エリュシオンは一度飛び級をしているらしいのでどうなのかと思った。その後もいくらかの情報を得た。
「ごめん! 遅れた!」
「紳士足るものすべてに余裕を持つものですよ」
「うう、すみません……」
 陽光は私を見て固まる。そういえば感応があるのだった。なんとつまらない。
「どうかなさいましたか?」
「えっと、見間違いだったらいいんだけど……あー、でもなー……リヒト、じゃないよね?」
「……はぁ。気づくのが遅えバカ」
「嘘だ! こんなパーフェクト紳士なリヒトを見たことがない!」
「当然ですよ。私も見せたことがありません」
「その微笑みが怖い!」
 笑顔は基本的に攻撃の意味合いを持っている。どうやら彼はそんなことを知らないようだ。陽光に事情とはかりごとを軽く説明し、納得させ、言いくるめた。

 
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