第七話
「精霊の歌」

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「よっと」
 棟まであと半分というところで足場を作る。それを踏み砕いてもう一度天を目指す。陽光も光の壁を作って続いた。基礎魔法は応用範囲が広いというが、あまりに広すぎる気がする。
 そしてその棟から人気のないところに降り立つ。降りる場所は風で微調整した。特に着地の時は衝撃のことを考えて風と水を合成させた魔法を使う。風の塊に水の柔らかさと形を与えたというものだ。エア・クッションというものである。
 私一人であるならこのようなことをしなくてもよいのだが、背中にハルシオンがいるためにそうもいかなくなっている。隣には少し音を立てて陽光が着地した。
「わー、リヒト様もすごいですね!」
「様はやめろ。せめてさんにしてくれ」
「あ、わかりました。ところで空中でもう一度跳んだのはどうやったのですか? あの跳躍力は日ごろの鍛錬のたまものですか? それから着地時に衝撃がなかったのはどうしてですか?」
 一度に一つの質問をすることは基本であろう。いくら子供は好奇心が強いからと言ってそれは変わらないはずだ。あの程度の質問であるならば私は容易に答えられるので今回は問題ない。
 だがそれが立ち止まる理由にはならないので、私は彼を地に降ろし、歩きながら答えることにした。
「空中で飛べたのは障壁を踏み台にしたからだ。最初練習する時は低いところで、階段状にしてするといい。何せ見えにくいからな」
「うわ、それって基礎中の基礎魔法ではないですか」
「基礎は応用がしやすい。そのためにかなり使える。跳躍力は体に魔力を流す基本的な肉体強化だ。こういう基礎魔法は常時できるようになれておいた方がいい。兵士であっても魔法使いであっても」
 私たちの最初にした魔法の練習は本当に基礎魔法、魔力の扱いと魔法になれることから始めた。途中に陽光が愚痴を言ったり、やめたがったりしたが地味なものほどそれを越える後が楽になる。あの鍛錬のおかげで後の魔法の習得がかなり楽になった。
「アレは地獄だったね。因子を維持しつつ腕立てとか」
「……因子とは何のことですか?」
「あー、第八位の精霊のことだよ。自己意識がないから精霊と呼ぶには値しないってリヒトが名付けたんだよ」
 第八位の精霊には意思がないということは誰もが知っている。魔力を与えたら属性力を出すような存在を精霊、霊魂と呼ぶには少々おこがましいところがある。よって私はそれらのことを因子と呼ぶことにした。
「着地時に使った魔法は元からある魔法を改造したものだ。知ってなくとも無理はない。お前が習得するにはまだ早いが、知りたいというならば目的をもって強くなれ。力がある程度ついた時俺がこの地にいたなら教えよう」
「はい! よろしくお願いします! リヒト……先生」
「いや俺を師事しない方がいい……て、聞いていないな」
 精神面の方で歪んでしまうことを彼の血族に心の中で謝ろうと思ったが、つまらないのでやめた。それに、彼が進んで歪もうとしているのだ。私にはもうどうする必要もない。まあ少々歪んでいる方が人として後々面白いかもしれない。
 といっても私たちがここにいるのは長くともあと十カ月程度である。人間として生きるのは支障が出ないだろう。だが少なくとも教師には嫌われるような人間には仕立て上げる。何せ私が教えるのだから、それぐらいはしないと。
 そのためには最初にしてもらわないといけないことがある。地獄のようにつまらないあの特訓だ。
「まずは基礎的な魔法になれつつ、体を鍛えろ。ただし無理はするな。お前は今成長期なので無理をすると大きくなったときに問題が出る。それに体を壊す方が時間がかかるんだ」
「はい!」
「返事だけは一人前だな」
 これで少しはコネができるだろうか。彼が今住んでいる邸を知っているので、時々顔を見に行けばいいだろう。欲求があるとすれば、暇つぶしになればいいぐらいだ。
「うわ、ハルちゃんが捻くれ―フグッフ!!」
「……余計なこと口走るなよ」
 私はハルシオンをゆがませるようなことはしない。確かにきっかけを与えるのは私であるが、歪むことに関しては向こうの勝手だ。決して歪もうとしない者、必要がない者は歪むわけがない。
 ただ私の指導を受け続け、吸収するにはどうしても歪まなければならないが、そのあたりは彼の選択の責任だ。
 脳天にかかと落としをされたために倒れている陽光をその場に捨て置き、ハルシオンを警備している騎士に渡した。その騎士には彼の名前を全て伝えておき、保証人として私――エッジの名前を出しておいた。保証人としてエッジがいる上、この子は筆頭貴族の息子、さらには連れてきた人が私であるということより、少なくともハルシオンが危険な状況に巻き込まれることはないだろう。
 それから陽光を文字通り蹴り起こし、学業発表会の会場に行った。少し早めに来たので人はそれほど多く居ない。私たちの視力は悪くないので、後方でステージが見やすい通路側の席を陣取らせてもらった。最前列を取ると周りに座る貴族連中が煩い上、首を痛めやすい。またある意味被害がひどい席なので陣取りたくはない。
「……いつからだっけ?」
「11時からだ。あと10分はある」
「ならちょっとトイレ行ってくる」
「さっさと戻ってこいよ」
 その間に渡された資料に載っている順番を見る。今回出場するのは例年通りの50名、一人5分で終わらせなければならない。エリュシオンとルージュは続けてあるようだ。彼女たちが終わったら私は帰ろう。ここにいるときっと私は過労がたまって破壊活動を起こすかもしれない。
「隣は知り合いの分何だ。別のところを当たれ」
 隣の席に座ろうとした人を適当にあしらいつつ、私は遅い陽光を待った。すでに会は始まりを告げようとしている。そのため多くの人がここに入ってきている。集まっている人の中には様々な因果があって知った顔がたくさんある。
「…………」
 薄い風の結界を私の周りに張っておく。貴族の婦人や令嬢がたくさんの香水をつけているためだ。このような匂いを私は好きになれない。むしろ苦手だ。嗅ぎ続けていると頭が痛くなってくる。香水の目安使用量は確かにないのかもしれないが、つけすぎである量は決まっているだろう。
 確か、今は同時進行で外の武芸科による模擬試合をしているはずだ。あの両将軍はそちらの方に行っているのだろう。
「ごめん、待たせた」
 最終的に彼が帰ってきたのは三人目が終わってからだ。
「……何だ、それは?」
「外で売っていた。美味しいよ」
 陽光から暖かく、甘そうな飲み物を受け取った。確かにおいしい。こんなことで時間がかかったのなら許容しよう。
 ちなみにその飲み物はホットココアである。

 
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