第七話
「精霊の歌」

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 私が聴力であるというのならその可能性は否定できない。何せ彼も私と同じ異世界から来た存在なのだから、何かしらの特殊能力を持っていてもおかしくはない。
「――精霊が、視えるのか?」
「うん、ぼんやりとだけど。リヒトの言う歌の方は全く聞こえないけど姿はちゃんと視えるよ。泣いているけど……」
 視えるにせよ聞こえるにせよ、精霊を知覚できるという境界を越え、精霊と交感できるということをレイヴェリックらが知ったら驚くだろう。
 私が精霊と会話できることと同じように、陽光も精霊に見られているのだろう。他の人たちよりもさらに明確に。視るということは視られるということであり、聞くということは聞かれるということだから。
 この能力の一部でも精霊の好かれているレイヴェリックに分けてあげてみたいものだが、残念ながらそのようなことはできない。
 ふともう一度彼の瞳を見た。私には見えない精霊というものは彼の目にはどう映っているのだろうか。その姿を視て彼は何を思っているのだろうか。そう思って、見た。
「……精霊の姿はどんなものだ?」
「因子は丸い球体とか、アメーバみたいなものが多いけど、精霊の姿は属性ごとに違う。風は……うん、鳥の姿が多いよ」
「そうか……見ていて楽しいか?」
「嬉しそうだったり、笑っていてくれるとね。今は……つらい」
 私と同じということだ。彼もまた精霊に影響を受けやすいということだ。だが例え精霊の姿が見えたとしても、彼ほどの人ではないとこんなことにはならないだろう。彼はすべての物に優しいから精霊にも優しくできる。そのことを精霊も知っているから彼を愛しているに違いない。
 ついでにここで精霊について少し述べておこう。
 さる高名な学術者が書いた文献によると、私たちが因子と呼んでいる再開の精霊の姿はあのような光球であると推測されていた。因子はその姿を隠すということができないので、属性力を発生させる時にどうしても輝いてしまうからそのような推測ができた。
 ただ全ての精霊があのような光球の姿をとることが可能なので、それ以上の精霊の姿があれであるかどうかはいまだに解明できていなかった。
 分かっていることは、精霊の階級の中で第四位以上の精霊は属性力を発生させなくとも人の目につくようになれることだった。しかし精霊は好き好んで人の目につくようにはしないため、多くの精霊の姿は分かっていない。
 ちなみに精霊の階位の最高位は精霊王――これは各属性に唯一人もとい一精霊いる。まあ、滅多に下界に降りてくることはない。降りてきても長時間存在されると環境が激変するので降りたくても制限がついてしまう。というわけで見かけたら平穏な生活のために即刻お帰り願おう。力ずくでも。
 また一般的な魔術師一人が召喚できるのは加護のある属性でも第三位である。第三位と第二位の間には大きな壁があり、これを越えるのは至難の業とされる。
「やっと終わった〜」
「これは……耐えきれるか?」
「誰か上手な人が出てきてくれたらまだましになるんだけど、みんな揃いも揃って下手だからね〜」
「お前はもう少し声を小さくした方がいい。周りに聞こえているぞ」
「……あ」
 皆さん殺気篭った目でこちらを見ておられる。そんなにも事実を指摘されるのが嫌なのだろうか? は、そんなにも嫌ならこんなところに出るな」
「リヒト……本音が出てる」
「構わんさ。どうせ奴らは俺に勝てない」
 それにしても大気中にいる因子の姿まで見えるとは彼の眼はよほどのものであるようだ。必要ならば封印具を作らなければならない。そうなったときのために今から設計をしておいた方が良い。
「目を瞑っていても見えるのか?」
「いやそんなことはないよ。リヒトの方は?」
「生憎、この世界には完全防音の耳栓はない。遮断の魔法も精霊を用いているから無意味だ。精霊の歌と人の声は根源から違うものだからな。
 完全に聞かないようにするためには魔力で精霊を追い払って魔力障壁を張り続けないといけない。これでも高位の精霊には無意味だがな。あいつらの侵入を少しだけ阻む程度の効果しかないだろう」
 彼らの声が少しでも届いたなら私はその全てを聞いてしまう。音は肌でも感じているのでさらに避けにくい。その上彼らの声は物質がなくとも通ってしまう。逃げれるところなどこの世界にはない。
「……どうしてみんな、精霊を見たり、声を聞いたりできなくなったのだろうね。それがあったらこんなことにならなかったはずなのにさ……」
「それは、不要だったからじゃないのか?」
 魔法の下手な人ほど精霊を泣かせる。いや上手な人でも泣かせてしまうだろう。その時の声は、その時の姿はもしかしたらトラウマになってしまうほどのものではないのだろうか。私にはわからない。
「どうして? あったほうが便利じゃないの?」
「先の、見ていて楽しかったか?
 そんなわけはないだろう。不快だから捨てる必要があった。耐えられないから捨てなければならなかった。
 それにそんなことができたら精霊を中心に魔法を考えなければならない。だが人間というものはどうしても自分中心であってほしいと願う生き物なんだ。
 だから気にしないために彼らとの交感を捨てた。俺はそう考えている」
 そう、そういう生き物なんだ。自分より優秀な者は拒絶する。迷惑な者は廃する。上の者は殺戮する。何を使ってでも、何をしてでも、他者よりも上であろうとする。
「多くの人たちがこの感覚を捨てようとする。それを何千何万という人が思い、何千年もの間願ったなら、さすがに消えてなくなるさ。人の歩んできた、進化と同じように退化もあるのだから……」
「やっぱり、人間って一方的すぎるよね。精霊たちがかわいそうだよ」
 人というものは生来自己中心的である。数の問題、時間の問題上、私たちにはこの問題をどうすることもできなかった。ただ無力にも彼らと共に耐えることしかできないのだ。私たちも精霊たち同様にこの苦痛に耐えつつ、時を過ごした。
 いやまだ精霊たちの方が良いのかもしれない。彼らは一つの魔法が終わったら逃げることができる。だというのに私たちはこの場から去ることができない。
 ふと不穏な気配と感じて横を見ると、陽光の顔がかなり険しいものになっていた。一目で簡単にわかること、かなり怒って、悲しんでいる。これでは気を紛らわすためのココアの意味がない。
 そんな彼に比べて私はきっと疲れ果てた表情をしているのだろう。
「…………」
 口数も少なくなってきた。あの二人の発表が終わったら彼を連れてこの場からすぐに立ち去ろう。帰る前に少し屋台巡りをしたほうが良い。そうしないと彼の機嫌は良くならず、今晩かなり疲れさせられるようなことが起こる気がする。散財させられる可能性を否定することができないが、私は眉間にたまった皺をほぐしつつ、そうすることを決心した。
「――……っ」
 視界が揺らぎ、頭痛と吐き気が容赦なく私を襲う。これも精霊の歌の破壊力のせいだ。どれだけひどい仕打ちを受けているのか見えないので全く分からないが、隣にいる陽光の目を見てかなりひどい仕打ちであることは想像できる。
「……ある種の拷問だね」
「お前こそ視ない方がいいんじゃないのか? 目をつぶるだけでいいのだろう?」
「ううん、全部視るよ。視ないといけない気がするから」
「……そうか」

 
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