第七話
「精霊の歌」

<11>



 彼女が使ったのは完全にある人の模倣だった。
「ねえこれって――……だよね?」
「お前の言うことは完全に破綻している。
 ああ、レイ独自の魔法の模倣だな」
「やっぱりかぁ。リヒトやレイの魔法は少しばかり異様なのかな?」
「一般的に見て攻撃性能のない魔法を作ることは異様だな……屑がッ! あいつ支配できない階位の精霊を召喚しやがった!」
「へ? それってどうなるということ?」
「爆弾に火をつけたらどうなるのと同じだ! 良くて死ぬか、最悪魂を喰われるかの二つに一つだ!」
 ルージュが呼び寄せた精霊は第四位一体。この学校でそれを召喚できる人はほとんど、いや全くいない。エリュシオンでも加護のある属性を使ったが、安全を考えて召喚したのは第六位の精霊だ。ただ、その数は四体と割かし多い。
 レイヴェリックでも召喚する機会はほとんどないものを召喚するという無謀を働くとは、どこまで浅はかな思考の持ち主なのだろうか。こんなところで生死の賭けに出るようなまねをすべきではないということぐらい彼女でもわかっているはずだ。
「リヒト……あの精霊、もしかして、ルージュを……」
「……ほぼ間違いなく、喰らう気だな。嗤っていやがるのかあいつ?」
 彼女は賭けに負けている。それは当然だ。この賭けはあまりに分が悪い。多くの人に制御できているように見えるが、私の耳にはそう聞こえない。彼の目にはそう映らない。
 このままいくと彼女の生命は燃え尽きさせられる。あの日の打ち上げ花火のような感覚で。桜よりはかなく散っていくことだろう。ただし華々しさは欠片も起こらないが。
「今すぐあの精霊を止めて! ルージュが死んじゃうのは嫌だ! 精霊が穢れるのも嫌だ!」
「――フー、わかった。なら目を閉じろ。残酷な光景を見ることになるかもしれん」
 彼は頷いて目を閉じた。
 さてできる範囲内のことで終わらせて見せよう。
 まずはあの精霊のいる舞台と同じ所に立たないといけない。話は全てそれからだ。さすがに陽光でも一人ではここから他世界に影響を与えるようなことはできない。私ならなおさらのことである。
 私は己の体内を駆け回る魔力を活性化させ、一定量だけ放出し続ける。
「――コウ、帰りの道標の方は任せた」
「うん、任せて」
「――終わらすか」
 浅く息を吸い込む。
 今あの精霊がいるところは彼女の精神世界の中だ。まずは彼女の魔力と同調する。これでやっと道ができたというところだ。これから門のところまで行くのだが、当然容易く入らせてもらえるわけもない。
 何せ見るだけ、強制的に書き換えるだけの記憶を覗くあの魔法とは違い、内部に干渉するのだから拒絶されて当然だ。だから謡う。

 彼女だけに聞こえるように。
 世界を落ち着かせるために。
 ――唯そこに入るために。

 気を許してくれないとこの門は開いてくれない。手っ取り早く壊したら精神的に取り返しのつかないことが起こるのでできない。

「今宵 黒を称えし夜に 星の海に出かけよう
  紅蓮と緋炎の狭間 終わりと始まりの間
   夢と幻の世界にこぎ出そう
 一人 黄金の月の渡し船に乗り 時の調べを唯歌う
  雲の旋律にこの身を委ね 風の調律にこの耳を傾け
   あるべくしてある今を受け入れ
    向う先は紅蓮の宮
   黒の夜に響け 我が紅蓮の歌
    風よ伝えよ 夜を旅し者の思いを――」

 以上。かなり即興で作ったものなのでそんなにもよいものでもない。そもそも歌――というより詩はそんなものである。心さえ篭っていたらそれでよい。あとは適当に調べを作って歌うだけだ。こういうことはそれほど得意ではないが、まあできないことはない。
 そして謳いきり、しばらくしてから門があいた。門といってもそれはただ抽象化したもので、彼女の場合は燃え盛る火が道をふさいでいるだけである。これの開け方は多様にあり、この"歌う"という方法はある程度知りあっていたらできる方法である。
 ちなみに陽光に関してのみ開ける必要はない。何せ開いていることも開くこともないのだから。ただ通れる人と通れない人が完璧に分かれて存在しているだけである。
「……ほぉ……」
 紅蓮に燃える道を通って中に入るとそこは部屋であった。外には正直痛いぐらいに晴れている空が広がっている。バルコニーに続く窓が開け放たれ、心地よい初夏の風が部屋に満ちている。
 大きな机の上には本がいくらか乗っている。また、壁には顔のない人物画がかかっていた。これが彼女の思い人なのだろうが、たぶん忘れてしまったために顔がないのだろう。部屋のベッドなどは赤い色をしているが、壁の色は落ち着いたクリーム色である。またここは三階にあり、外にはバラの花壇が囲っている。まるで侵入者を拒絶しているようだ。
 ……私、あの道を通ってきたんだよな? 一つも炎はないのだが……
 さて彼女の精神世界の鑑賞は今はどうでもよい。というより時間がない。そんなことよりもまずすべきことがある。
「――いるんだろ? ならさっさと出て来いよ」
 私はどこかにいる第四位の精霊に話しかけた。出てこなかったなら引き摺り出す気でいる。
「――よく来れたな。人間」
 どういうわけか、第四位から第二位までの精霊はほとんど傲慢である(既に確認済み)。殴りたい衝動を抑えつつ、とりあえず対話に挑んだ。どれだけ無駄な行為であろうとも、後の陽光の態度を考えるとする価値だけはある。できるだけ手っ取り早くしなければならないというのに、本当に面倒だ。
「我に何か用があって来たのだろう? 人間よ。ここに来れた愚劣な種の度胸を称えて質問を許す」
「貴様が今やろうと思っていることをやめろ」
「ほう、それは何だ?」
 見下す態度、自分が全ての人種よりも上であるという過剰な自意識、どれをとっても相手の方が愚劣極まりない。こんな下等生命体に彼女の命をやるのはあまりに惜しい。
 私は翠の光に身を包みつつ、考えた。この翠の光は魔力であり、このように微弱に放出し続けないと彼女の精神を傷つけてしまう恐れがあるのだ。他人の精神世界に干渉するというのはなかなか面倒だ。
「この精神の持ち主を喰らうなと言っている」
「ほざけ。下等な種が我のような高等な種の一部になるのだ。これほど名誉なことはあるまい。その精神力をたたえて貴様も我が一部にしてやっても良いのだぞ?」
「……身の程をわきまえろよ下等精霊。その存在から消滅させてやろうか?」
「ハッ、たかだか一介の人間ごときが我を滅するだと?
 やれるものならやってみるがよい。その前に喰らうてやろう――」

「――あー陽光、すまない。やっぱ交渉なんて最初から無理だ

 溜息と共に浅く呼吸を変化させる。
 今宵、最後に撃鉄は落ち、終焉の刻が満ちる。
――眼前の対象を敵と断定。

 話し合いは無駄な足掻きでした。確かに彼の精霊を消滅させる方法はいくらでもあるが、そんなことをすればルージュの魔法が消えてなくなる。それを防ぐためにはアレを支配下に置く以外の結果はない。結果を設定したらあとは手段を講じるだけである。

まあ私も出来るとは期待していないが――」

 意識を切り替え研ぎ澄ます。
 目的を見出し、行動を選択する。
――数多の問題は、出来るか出来ないかの二択のみ。

 いくらか問題を挙げるとすれば、通常の人間の攻撃は彼らに届かないこと。アレの攻撃は通るということ。ここで小規模魔法を使うと彼女の精神に重大な傷を与えるということ。攻撃をゼロ距離で打ち込む以外の方法はないということだ。

「な! この禍々しい力! 貴様一体何者だ!? それ以前に本当に人間か!?」

 目的――世界の主の安全の確保
 行動――眼前の敵の屈服即ち完全支配と認定
――続いて、戦闘理論の構築を開始

 最初の二つはすぐに解決できるが、後の二つは私のやり方次第だ。特に三番目がひどい。私は相手の攻撃がこの精神世界を破壊しないようにしなければならない。

――問おう、己の吟持も捨てし存在よ――

 戦闘準備完了。
 魔力の精製は須らく完了。
 勝率が欠片でも在ると言うのなら、私はそれを掴み取る。

 私の精神世界に引きずり込めたらすぐに済むのだが、それをすると魔法の中断が起こるのでできない。さて、まずは干渉するための何かを構築しなければならない、か。

――下らぬ誇りの強度は十分か――?



 

 
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