第七話
「精霊の歌」
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後悔先に立たず、精霊は今その様な感情を有しているに違いない。抗うことすら馬鹿馬鹿しい力の前でどんなことをしたとしても許されないという確信を抱いている。
私にはその表情でそのことが読み取れた。
リング状や螺旋状になって回転していたものはゆっくりと鎧に吸い込まれ、私の準備は完了した。
鎧と言っても中世の騎士たちが着用していたような全身鎧ではない。右腕は肘から先の部分、左腕は指先から肩まで全体的に、両足は膝から下の部分、腰の両脇、そして胸部、そのぐらいしか鎧と言える部分が無い。他は布だ。
もちろん色は白というのに黒く見える矛盾した白のほかにも柄として蒼や紅、翠、金などといった色もある。鎧と服に刻まれた紋章の中でもとりわけ占有面積が多い色は各部位の紋様のところに使われているその小金に緋を溶かしたような暁色だろう。
袖にも裾の長い黒いコートにも暁色に鼓動する紋様が浮かんでいる。コートの背中の部分から三対の炎でできているような黒い翼が生えている。またコートの腰の両脇の部分に鉄製のような鎧がある。左腕の部分は袖ごと覆い隠すように肩まで篭手がある。右腕もそんなものだ。
「――今一度問おう。死ぬ覚悟は出来たか――?」
「ひ、あ……」
「――出来ていなくとも一度殺すがな――」
――パキパキパキ……
そして顔に手を当てて最後に残った銀の、顔を半分隠すような仮面を作った。もちろんその仮面にもこの世界の物ではない紋様が入っているが、それらは気にしないでいただきたい。
これらのことは当然のことながら知っているが、いまだに理解までには至っていない。私は理解できていない事柄を誰かに説明することは不可能なのだ。例えば、相手に自分の考えや思いを完全に伝えることは誰にだって不可能だろう。だが数式など確立されている、理解できているものは容易く伝えられる。私の場合はそれの差が非常に酷いものみたいなものだ。知っていると理解しているとの差が余りに酷すぎるのだ。
「まずはそれから返して頂こう」
「――ヒギャァア!!」
――ボキッ
――グチュリ
生温い音を立ててその精霊の腕が自然と捻じ切れた。血管の一本一本まで人間と似たようにしていたのか、辺りに赤い液体が巻き散っていく。千切れた腕からは赤にぬれた白い骨が見える。今の私は彼を完全に死なさない以外の気遣いは生憎する気が無い。むしろ――
―ゴキグチャッ
――大いに傷つきぬきたい。久方ぶりに少し遊んでも死なないような玩具が手に入ったのだ。遊ばない義理はない。今の音は精霊の腕を踏んだときに出た音だ。
この姿になった時に固定化の式を精霊に組み込んだので相手は自由に姿を変えることはできなくなっている。そのために踏める。傷付けることができる。
汚らしい赤の沼の中で光り輝く紅い結晶を取り出す。結晶は精霊の血で穢れることなく存在し続けている。
彼女の生命の結晶体を握りこみ、再び肉体に戻してやる。精神が完全に切れていなかったので割りと楽にすることができた。
一歩歩むごとに足が精霊の血で汚れる。明らかに出血多量で死ぬほど後を流しているのだが、あれを人間の範疇で考えてはいけない。この程度で死ぬはずが無い。今使われているアストラル体――精神体が完全に消滅するか、はたまた生命の方が壊れるかしないと死ねない。
私はその前者の方を完全に掌握し、また後者の方はあれ一つではできるわけも無いので問題が無い。
「――――ッ!! ――――――ァッ!!!!」
声にならない悲鳴と言うものだろうか、それは余りに不快な音程だったので干渉して削除させてもらった。まあ確かに、チェーンソーで内臓を抉られり、三尺釘(90cmぐらいの長く太く、用途が限定されている歪に螺旋した釘)で身体を貫かれたり、銛で何度も何度も貫かれては抉られたりしたらそんな声を出したくなる気もわかるのだが、ついつい心臓も握り潰しかねないのでやめてもらいたい。肉体的に死なれたらこれ以上遊べなくなるではないか。
「逃げるなよ。興醒める――天穿陣――」
――キュィィ……ドドドドドドッ!!
光属性中級魔法"天穿陣"、それは使用者の足元から出てくる無数の地を這う白い帯が対象の真下で急に突き上げられた槍のように対象に襲い掛かり、その身を貫く、またはその身を縛り上げるという魔法だ。
上空を飛ばない、地にもぐらない敵に有効である。使い方によっては空中で使うこともできる。この魔法には相手を貫いたままにして動けなくするという効果もあるので便利である。
ぁあ? 光属性の攻撃魔法、それも中級を容易く使える理由? そんなもの、この状態ならどのような魔法も無条件で扱うことが出来、また現在精霊に頼むのではなく強制しているため普通にできるようになっているだけだ。私の魔力制御力が異常なように、支配力もまた異常なのだよ。
「ィア゛―――!!!」
残り二本の四肢を貫かれ、空中でさらにほかの部位を貫かれる痛みはさぞ生温いことだろう。これが本来の私であるならばもう生まれてきた事実どころかこの世界の全てを憎んでも憎みきれないほどの苦痛と災厄を的確に与えてやることができると言うのに。
全く持って不便だと思いつつかなり小型のニッパーで足を筋繊維の一本一本から丁寧に切ってやった。当然神経だけは繋いだままにしておく。飛び散る血はきれいなものだと思うのだが、それが下に溜まると一気に汚くなるから不思議だ。それからまた"天穿陣"でそれの身体を突き刺しまくった。
既に精霊(?)の身体は白い帯で縛られている上、地面から映えてきている無数の白い槍で貫かれている。さすがは光属性でも数少ない攻撃魔法だ。使い勝手が良い。
「まだだ。まだ足りない。もっと……もっと啼け」
「――――――ィアァァア!!!!!」
「――怨め」
「ヒギャアァアアァアアアァァァァァアア!!!」
「――呪え
――狂え
――嘆け
――憎め
――怒れ 」
黒翼から赤い線が放たれ、肉塊を貫く、裂く、新たな肉を紡ぐ。精霊は初めて知る本当の痛み、死への恐怖に怯え、嘆きの歌を奏でる。その歌声は余りに甘美な響きを持っている。命乞い、畏怖、生への執着、そう言った普段聞けない類のものが幾重にも重なった詩だ。
死なないと信じている者が今更死を感じる、何とも滑稽な図式ではないだろうか。見るも無残なその紅い塊は生きているのだから死ぬと言うのに、それが今の今までわからなかったとは、余りにおろか過ぎて本当に壊したくなる。
「――――――ざい」
「何かほざいたか?」
顔の原型などすでに残っていない。その口であったかどうかさえ怪しい口があったと思われる部分がかすかに動いて音を発した。翼から生えている赤い線がなければそのかすかな音を聞き漏らしていたのかもしれないほど小さな音であった。
「殺してくだざい」
「は? 何甘えたことを言っているんだ? 殺したらまた貴様は精霊になるだろうが。
破壊して、その魂を数多の畜生――精霊共に食わして、二度とこんな真似を出来なくさせてやる。
喜べ。貴様は今後のために必要とされる生贄となっているのだ」
「ぞ、ぞんなっ!」
つまり死にはしないのだが生きることも出来なくなるということだ。その行為をする精霊はまずいない。ほかの精霊に食われ、取り込まれることを最上の恥とする彼らにとってその様な行為をするならまだ死んで知識を次に自分に明け渡したほうがましなのだ。
だから私は殺さない。壊して砕いて粉にして、他の浮かれた精霊の知識にしてやる。醜い反論を聞かないためにも完全に口と思わしき箇所を徹底的に破壊した。
「じゃあな。久しぶりに楽しめた」
翼から生えている赤い線を全て絶ち、その赤い何かから距離をとった。ここはルージュの精神世界なのでそれほどの距離をとることは出来ないが、それでも可能な限りの距離をとった。それから右腕を真横に伸ばす。
そこに最初に出現したのは細い様々な色の線で出来た紋様、次に紋様に沿うように黒い光が集まって剣となる。剣の形状は刃の部分が幅広め、両手でも持てるようにされている片手剣――フランベルジュやらといった変わった形の剣ではなく見た目だけは至って普通の剣だ。明らかに紋様がその剣からはみ出していたり、つばの部分が幾重にも絡まった紋様であったり、紋様が脈打っていると言う点に目を瞑れば普通だと思う。
柄は黒く、金の装飾が施されており、柄頭には純白の水晶がはめ込まれている。また柄頭からは金で縁取りされた白く長い帯が付けられている。同様につばの部分にも装飾が見受けられ、その中央には月を思わせる宝石がはめ込まれている。刃は黒というよりも夜に近い色で、振ればその色の尾を引き、まるで星屑を思わせる様々な色に輝く粒子を残す。
「――――空間指定
――――座標指定()
――――魂魄固定()
――――魂魄干渉否定()
――――世界干渉否定()
――――多重世界干渉否定()」
精霊のあのアストラル体というのはある意味魂を保護するための殻だ。その外殻を消滅させなければあれの魂魄を砕くことが出来ない。だが殻を破ると魂魄が逃げる。そのために魂魄を今現在のこの場所に固定する。
また外殻を破壊するときに周りの空間を破壊せざるを得ないのだが、その干渉を否定することで周りへの被害をなくす。これらも全て式で行っている。式と言うのは本当に便利だ。どうして失われた技術になっているのかがいまだに理解できない。
いまだ時々ノイズが走るかのようにその存在を消失しかける剣をまず下に、そして上に弧を描きながら天を突くかのように振り上げ、後に残る夜の幕が消えるまでそのままでいた。
そして最後の光子が消えたとき、それは始まった。暁色の紋様が鼓動するのをやめ、その全てが剣と同化した。私の背中にある黒い炎の翼が一度はためき、その大きさを増す。刃は黒さには及ばないながらも黒い波動を放ち、周りに星のように光子を出現させた。まさにそれは夜空のようである。
「リン ヴァルシェ ディノゼ」
文字すらない言葉をついつい言ってしまった。意味は"消えうせろ、クズ野郎"程度にとってもらってもそんなに大差ないと思う。どうしてそんな言葉を知っているのかと言う突込みに対して走っているから知っているのだとしか応えようがない。
そしてその言葉を言ってから私は剣を振り下ろした。
放たれるは満天の星が輝く夜のような波動。
崩されるは空間や世界ではなくあの精霊の外殻のみ。
残されるは彼の魂魄、穢れている生命結晶体のみ。
残された魂魄を見て確信した。既にこの精霊は多くの人の命を食らっている。それが何になるのか、後々話すことになるので今は良いだろう。
全ての生命の色は澄んでいるのが基本だ。それが何らかのせいで穢れるとこのように濁った色になる。その濁り具合と濁り方で何をどのくらいしたのかが予測できる。これの場合はかなり酷い。呆れるほどやりすぎである。
空中に漂うそれを左手で囲む。囲んだところに今は翠ではなく夜色の光子が集まる。まるで流れ星がそこを目指して降ってくるように集まる。ある程度集まったところで私は左手を閉じていった。力の圧縮である。
圧縮されていく力は精霊の魂を壊していく。どの様な物理攻撃も通らない生命結晶体を壊すにはこれが最も良いのだ。そして。
―シャァアアァン……―
穢れに似合わない澄んだ音を立てて砕け散り、そのかけらは夕日の光の中に溶けていった。すぐに多くの精霊に食われていくことだろう。それを機に自らを汚すと言う愚行をする精霊が消滅してくれればありがたい。
やることを終えた私はこれ以上ここにいて彼女に影響を与えるのも何なのでさっさと元の世界に帰ることにした。それにここに存在すると言うのは案外疲れることなのだ。
と言うわけで入ったところから出るのだが、お決まりのように帰り道がわからない。アストラル体である今、自分の肉体にたどり着けないことは即ち絶対死を指し示す。さらにこの状態で元の世界のことなんて全くわかるわけもない。
誰がこの無限に広がる暁の薄野の中を道標なしに見えもしないただ一つの場所にたどり着けるだろうか。少なくとも私は出来ない。だからと言って死に来たのではない。
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