第七話
「精霊の歌」

<14>



 そもそも思い出してもらいたい。
 どうやって私はルージュの精神世界に入りこめたのだろうか。どうして詩が彼女の魂に届いたのだろうか。
 詩はこういうところでは道標になるからだ。だから彼女にも届いた。そして今、私には陽光が作った道標が聞こえる。それが近頃近しい死神の手招きでは無い事を祈りつつ、導きに従って私は薄野の中を歩いていった。
――深い夜の森をただ一人歩く君は今何を見ているのかな?
   廻る時の中をさまよい進み 限りなき地に旅だった君は何を思っている?
    きっと寂しい気持ち 切なくて 悲しくて 孤独に耐える僕ときっと……
  廻る季節をただ過ごす中で 無くして気付く大切なもの
   深くて暗い夜の森はどこまでも続いている
    その先に君がいるのかな?
   君の跡を追いかけたくても追いかけれない 君の帰りを待つと約束したから
    今はどこにいるのかな? いつになったら帰ってくるのかな――
 こんな道標だ。別に歌わなくてもよいと言うのに。いや、もしかしたら歌っていないのかもしれない。ただそう思っているだけかもしれない。そんなことには関係なく、私はやっと(精神世界で時間は存在してない)自分の肉体に帰ってきた。向こうで受けた損傷は表に出ず、ただ痛覚を刺激し続ける。それもすぐに引くだろう。
「――お帰り、リヒト」
「……どのくらい向こうに行っていた?」
「えっと……大体10分ぐらい」
 体感時間にしてその十倍はあった。向こうとこちらでは時間の密度が違うと言うことは知っているのだが、そんなにもあるとは思ってもいなかった。
 アレ、名をつけるとすれば鬼神化というものはどこでもできる。しかしそれをするには余りに力が必要であり、終わった後にはかなりの疲労感を感じる上、この世界なら3分程度は保つのだが、それ以上行使すると空間自体が壊れる。
 唯一の救いは力の消費がないこと。3分しか存在できないのはあのままでいるにはそれなりの空間強度を必要とするためだ。もしくは空間自体が存在しない先ほどの精神世界のようなところなどではないと軽々しくなれない。
 一応、今の私の状態でも鬼神の能力の本の一端は使える。もちろん陽光もアレと同じようなことが出来る。また後遺症すらあるのでそんなにも使いたくはない。その後遺症は侵食だ。
 まだ見てはいないが、この服の下のどこかに黒ずんでいるところがあるだろう。何もしなければすぐにひいていくが、それがある間はかなりの激痛と幻覚、疲労感、魔力総量の減少などに襲われ続ける。範囲が広ければ広いほどそれは強まる。
 まあ能力の一部を使う程度ならさしたる問題はなさそうだ。ちなみに今の私は使用可能魔力がない。多分明日も明後日もそうである。
 さて、その様なことを説明するよりもまずやる事がある。
――さて行くか
「あー、やっぱり?」
さもないと俺の気が治まらない
「ほどほどにね。あと顔はやめてよ」
 左腕に疼いていた痛みが引くと同時に私たちは席を立った。もちろん元凶(今回はルージュ)を殴りに行くため意外他ならない。他人ならまだしも、私をこんな目にあわせておいて何の刑罰もないのは余りにおかしい。
「ねえ、本当に大丈夫?」
……ああ、まだ問題はない
 魔力が少なくなっているために眠気が私を誘惑する。それは魔力量が危険域に近づいていると言う証拠だ。
 文献によると何らかのせいで魔力が完全になくなるとその生物は消滅する。どの様に消滅するのか、それには載っていなかったが兎にも角にも死んでしまうらしい。そのため魔力がゼロになる一歩手前まで行くとどの様な生物も本能的に魔力を回復させるため寝る。
 今の私はその別の問題の三歩手前と言うところだろう。足がふらつき、視界が霞む。意識が朦朧としている辺り非常にまずい。それはあの状態になったからではなく、魔力が枯渇し始めたというわけではなく、身体の中に拙い何かがかなり入っているからそれをなくすために身体機能を一時的に抑えようとする行動だ。
 どちらにせよかなり眠い上に非常にまずい状態であることには変わりはない。
「リヒト、どうしてあなたがここにいるのですか?」
コウは良いのだな……
「――何か、起こっていません?」
そう思うなら道を開けろ
 身近な差別を感じた。いやそれはどうでも良いのだが、今そんなことを聞いたからと言って何かが変わるわけでもないと言うのに、むしろ聞くなら自分の魔法の評価と改善点について聞いたほうがまだましだと思うのは何も私が異端であるからではないはずだ。
「――それは私が誘ったからですわ」
――ドゴォ!
 聞きなれた声が聞き終わった瞬間に私は彼女の腹を殴っていたと思う。肉の感触が拳に伝わり、肉を打つ音、窒息したときのような声が聞こえた。
お前ふざけすぎだ。そんなにも死にたかったのか?
「――カハッ」
 何もかもが痛い。そこらかしこが悲鳴を上げる。言葉一つを言うたびに喉が渇きを訴え、殴った右手はまるで熱した鉄棒が突き刺されたような痛みを伝える。身体の限界と言うよりもそれを少しばかり超えてしまったようだ。もう一発殴りたいところだが、無理なので諦める。
「来て早々何をするのですか!?」
「――ゲ」
 氷の攻撃魔法が放たれた。その瞬間にわかったことは現状では回避不可能ということと、食らったら死ぬかもしれないほど体が弱っていると言うことだけだった。そして私は本能的に侵食を強めることを代価に魔力を得て薄いが風の障壁を張った。水属性は質量があるので風の流れに逆らえずに横にそれていった。
「これが、俺の、限界……か」
「……お休み、リヒト」
「――フー……」
 地に頭をぶつける寸前で陽光が私の身体を支えた。なんとなくそれに妙な感情を感じつつ、私は言葉を発することなく奈落のように深く、暗い闇の中に意識を沈めた。簡単に言うと気絶した。
 それにしてもこの不幸体質と言うものは基本的に主人公たる陽光の物ではなかっただろうか。いつから私がそれを受け持つようになったのだろうか。と言うよりここ最近こればかりのような気がする。
「お疲れ様」
 それが私がその日最後に聞いたものであった。そして眠りについた私はまたあそこ、精神世界に来てしまった。今日は長く向こうにいたからであろう。こういう風に自然に行ってしまう場合は問題なく肉体に戻れるので少しばかり安心できる。
「……はて、どこだったか?」
 見たことがあるような、それでいて初めてな気がする場所に来た。精神世界というのは無数にあり、先ほどの一面薄野のような世界もあればこのように建物があるような世界もあり、ものによってはあちらと瓜二つと言うところもある。ただし瓜二つの世界は白と黒の二色しかなく、人間などの生物が存在していない。
 ここは私が知っている世界のどの姿とも違う。合計25近い島が空に浮かんでいる。その空は果てしなく蒼に澄み渡っている。下には海は見えず、ただ雲が広がっているだけだ。
 また今私がいる島には建物がある。遠目なのでそこまで詳しくわからないが、他の島も似たようなものである。そして今私がいるところはそのレーヴェ国の城のように大きく、白い宮殿にあるバルコニー――いやまるで島と島を渡るための何かが降り立つ場所である。事実、この奥には荘厳な入口が見える。
「…………まあいいか」
 この際少々のことを気にしても意味がないしな。
 この場所のことなど正直どうでもよい。進めと言われているようだから進むだけである。どこからかはわからないが、この宮殿のどこかから歌が聞こえる。一体いつの言葉だと言う突込みが出きる古い歌だ。
 まあこの場にあったきれいな歌なので良しとしよう。それにしてもここはまるで桃源郷――いや桃源郷は田舎なのでユートピアにしよう――ユートピアのようだ。
 それからどういうわけか、ここに来てからずっと自分の力が感じられない。どの様な精神世界であっても自分の力は感じられたと言うのにおかしな話だ。神世ではそうだったので一時はここは神世かと思ったのだが、それは魂と言うべき部位が否定している。私は神世に行く事はない。しかし魂はそこを知っているので真実性があるのだ。
 宮殿の奥へ奥へと進んでいくうちに私はこの状況をゆっくりと理解していった。ここがどこだかわからないのは内科に阻害されて思い出せないからだ。
 それともう一点、ここはもしかしたら精神世界ではないのかもしれない。現実世界のどこかに迷い込んでいるのかもしれない。近頃妙な無茶をやらかしているので、最悪今現在の私はいっせ――
「――――!!」
 私を呼ぶ声がこんなところでも聞こえた。その声の主を私は知っている。いやこんなことができるのは彼しかいない。だから予想がつくとかそういうこと以前に、それしか考えられないのだ。
 その人は東堂 陽光、私以上の力を持つ真の化け物。それでいていまだに人であり続ける世界の異質。私に酷い制約を科した元凶。
 その声を聞いた途端に私の身体は光となり始めた。後もう少しであそこにつくのだが、仕方がない。今回も諦めよう。今の私にはアレは必要ないものだ。確かにいつかは必要になるものだが、その時になればきっと私の手に来る。
 それに使い道がかなり制限されているものの上、本来の使い方など人間ごときにわかるわけもない。そういうわけで今は放置しておいても何の支障もないはずだ。

 
 
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