第九話
「異能、発動 前編」

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 椅子を引いてエリュシオンを席に座らせる。
 それから適温に温めた紅茶をカップに注いで前に出す。すでに机の上にはティア特製のアーモンドクッキーで彩られた皿が乗っている。
「……おいしいです」
「お気に召していただき光栄です」
 もう下手に淹れることに体が拒絶反応を示すので当然だ。
 紅茶を三口ほど飲んだ彼女はクッキーに手を伸ばし、一口かじって固まった。材料に毒は入っていない。もちろんレイ印の薬のようにおぞましいほどまずいということもない。むしろ美味しい。料理が趣味の陽光ですらその美味しさに唸るほどである。だから……そういうことか。
 一口かじって紅茶を飲み、紅茶をかじって一つ食べ、その動作を延々と繰り返していく。
――ハムハムコクコクハムハムコクコク
 何この擬音? いや見た目的にマッチしているのだけどな。どこの電波が私を汚染しているんだ? て、この目の前に存在する生物はどこの愛玩動物だ? 今までの価値観一掃させられそうになるぞ全く。
 フゥ、そんな毒電波はどうでもいい。どうやら彼女はおいしくて何も言えないということのようだ。紅茶の方はお変わりが十分にあるのだが、クッキーの方はあれ以上持ってきていない。あんな速度で食べているとすぐに爪が皿をひっかくことになる。
――カツン
 なった。
「…………あれ?」
「クス、そんなにもおいしかったですか?」
「え、あ……はい、とても」
 仔猫のように小さくなりながらも気恥かしそうにつぶやいた。あのようにがっつくとはいかなくとも貪欲に食べたことが恥ずかしいのだろうか。あと、そんな上目遣いをしても出てこないのはわかっていると思うのだが、どうして私を見るのだろうか。やれやれだ。
 内心、ため息をつく。
「それは私の知人が作ったものなのですが、気に入ったのなら今度はケーキをもらってきましょうか?」
「……えと、ありがとうございます」
 一瞬、かなりの笑顔になったことを私は忘れない。いつの時代にせよ女性は甘いものに弱いということだ。当然それは女性だけに当てはまるわけではない。私も甘いものには弱い。
「その女性は、菓子店を営んでいるのですか?」
「いえ、教会の司祭ですよ。というよりも孤児院の保母ですね」
「……教会の司祭という信じられない言葉が聞こえたような気がするのですが、気のせいですよね?」
「いいえ、全く持ってその通りですが、どうかしましたか?」
「少し、めまいを覚えただけです」
「世の中才能の無駄遣いをする人は多く居るということですよ」
「……ああ、いますね」
 遠くを見るような眼をする。どうやら心当たりがあるようだ。
 ふむ、精霊からの情報によれば黒髪に色つきメガネ、同年代であり、常に黒い服装をしている。自己中心的かつ傲岸不遜で天上天下唯我独尊、万能超人にして無茶と無理をかけ合わせたようなリヒト。
…………私か。決してそうではないわけがないが、そこまで私は万能ではない。案外陽光にできることができないこともあるのだ。
「その人をここで雇うことはできないですか?」
「王宮直属の菓子職人としてですか? まず無理ですよ。
 あの人は――ティアは子供の笑顔が好きだから菓子を作っているだけですから。
 儲けるという概念事態が存在しないんですよね。それに雇うには問題が多くありますから」
 主に今後の体重面でな!
「そうなのですか…………いつかお会いしたいですね、そんな素敵な人と」
 素敵というよりももはや無敵といったほうがいい人なんだが。大体この地に来たのももっとも自由な国だからで、好きな人と一緒になれるのがここぐらいしかないからだという。ティエリアーゼの背後関係は割と面倒なことが多い。
 彼女のせいでどれだけ私が苦労したことか! 偽装に擬装を重ね、虚偽に虚偽を上乗せし、ただ美味しい菓子のためだけに努力した価値はあるのだが、そのために必要な労力が半端なかったんだよォ!! 誰だ難民が簡単に入国できる法律を作り上げたのは!
 ちなみに彼女の恋人は現在とある秘宝を探して旅に出ている。それが見つかれば元いたところに帰れるらしい。彼女のもとに帰ってくるのは長くて年に一月だけだとか。いったい何を探しているのやら。待つティエリアーゼもティエリアーゼだ。
 まあそんな――近ごろ珍しい純愛系の恋路を邪魔するほど私は無神経でも冷血漢でもない。ただ未来の酒のつまみにするだけですよ。何を言っているのですか、あなた。
「あの人は基本的にこの都市の中にいますから、悪くともこの国から出ませんから、縁が交われば会えると思いますよ」
「そうだといいですね」
「ですが、あの人は雇わない方が正解だと思いますよ」
「へ、何故ですか?」
「そんなの――」
 必殺の一言、私にとってはまずあり得ない現象を言い放つ。
「――食いすぎて太りたいのですか?」
「――にゃぁあ!」
「たまにならよいのですが、毎日こんなにも甘いものをたくさん食べると太るのは運命づけられますよ。それはもう同伴者並みに」
「……どうして、どうしてリヒトはあんなにも甘いものを毎日のように食べているのに理想の体型を保てているのでしょうか? 神は不公平です……」
 そんなもの、毎日の運動と燃費の悪さ、太りにくい遺伝子のせいに決まっているだろうが。摂取カロリーや燃費を簡単に操作できるなんてもう人間業じゃない。
…………て、ちょっと待てエリュシオン。理想の体型だと? お前、私を女と勘違いしていないか?
「あの、リヒト様は一応殿方ですよ。あんなにも細い体型をしていますが、列記とした男ですよ?」
「知っていますが、あの体型は女性の理想ですよ!
 わかりますかクロノア!?
 つくところにはちゃんと脂肪がついているのですよ!? 
 どうして神は女性ではなく殿方にあのような体型を授けたのでしょうか?」
「――――……」
 あきれて言葉も出そうにありません。
―脂肪がつくところって、どこだよ……?―
 私だってあのような体型をとりたくてとったのではない。どんなに太ろうとしても体がそれを拒否する。痩せようとしても然り。餓死はできないからやはり勝手に、本能的に何かを食していることが多い。そんなこんなで自然とあんな体型になってしまっているのだ。
 わかるか? 文化祭で行った劇で勝手にヒロイン役に奉られ、その時の男子がどういうわけか私の女装姿を見た瞬間にこぞって主役に務まろうとした時の言いようもない感情を!
 主役をしても性別が反転するだけで似たような結果になり、その醜い争いが見るも無残なので最終的に進行役をやることになったのだが!!
…………アレは嫌な思い出だ。
「一体あの美しさの秘密は何なのですか!?」
「叫ぶとみっともないですよ。紅茶を飲んで落ち着いてはいかがですか?」
「ふあ、すみません。取り乱してしまって」
 それはともかくとして、どうして私がアレ以外の体型をとれないのか、実を言うと私も不思議だ。
「お召し物も来たようですし、私は外で待っています。着替え終わりましたら及びください」
「わかりました。下がってもよろしい」
 一礼して私は部屋から出た。入れ替わりのように女性の使用人が入っていった。私は彼女の部屋の入口の隣で待つことにした。

 
 
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