第九話
「異能、発動 前編」

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 どうして貴族の女性はあのような服――式典時に比べて簡易とは言え立派なドレスを日ごろから着続けるのだろうか。
 どう考えても重いと思うのは私だけか。やはり習慣のなせる技であろうか。もしかしたらアレ以外普段着というものがないのかもしれない。いや、学院の制服があるのだから探せばあるはずだ。
「――……フゥ」
 あの服一つ作る費用と学院の制服を五着作る費用は同じである。どう考えても財政が赤になる原因の一つはアレだろう。今のところ財政は赤ではなく真っ黒であるが、それがいつ赤になるのか、なぜ赤になるのかが分かっていないと対処できない。
 たかがドレス一着、貴族の一人がと言っても王妃マリー・アントワネットはその強欲で国を滅ぼすことができた。まあそれには旦那の出来合い振りもあるのだが……。
 財政の悪化はたやすく傾国を引き起こすことができるので気が抜けない。
「……あ、まあいいか」
 今日、エリュシオンに呼ばれていたのだが、破っていないので無視しよう。もちろん一つも守ってもいない。
 影分身のような効果のある魔法はこの世に存在するが消費魔力量が洒落にならない。また自分と同じような自律行動の取れる分身体を作ることは不可能だ。
「ああ居た。これは姫様の朝食、あとはよろしくね」
「了解しました」
 まだ温かい料理の乗った台車を受け取る。
 昼や夜の食事は貴族連中は自分たち専用の食堂で食べるが、朝は化粧などができていないという理由により女性は自室で、華がないからそんなところで食えるかという理由により男性も自室で食事をとるようになっている。とはいっても普段ここに貴族が常駐していることなどそうそうないのでどうでもいいことなのだが。
「…………遅い」
 着替え終わるのがとても遅い。これが女性の一般的速度であったのだろうか。世界の基準なんて基本的に気にしないものであるのでよくわからない。
「ム? ……チ」
 時々あると聞くが何も今あってはほしくなかった。
 今更そんなこと言うのかと誰かにいわれそうだが言う。
 エリュシオンは三大美姫の一人として世界に名が通っている。また魔法も上手で魔力量もかなりのものであるということで他国からの求婚が後を絶たない。年齢層は幅広く、上は60代から下は5歳児まで。この国の何がほしくて求婚してくるのか丸見えである。
 叶うわけもない、やるだけ無駄と私は考えるのだが、良くある求婚を成功させるための手段の一つとして、二人きりの食事の機会をとるというものがある。
 これは自国の軍事力で脅すよりもたちが悪い。脅すだけならちょっと友好関係にある最強の軍事力を誇るところと協力して女の敵と称し、少し痛い目に会ってもらうだけで終わる。もしくは私が直々に"交渉"しに行くことで簡単に片をつけれる。毎晩魔法で悪夢を見てもらったり、誰にも悟られずに私室に無断侵入したり等々といった比較的平穏な方法で。
 で、話を戻して二人きりで食事をとる機会などこんな時ぐらいしかなく、昼や夜ははっきり言って断られるのが自明の理である。ただ、何時如何なる相手にせよその時の会話は一方的な自慢話だらけであるらしい。うんざりすること間違いなしだ。
 エリュシオンのような一風変わった環境で幼少期を過ごした人たちは例外なのだが、こちらとしてもあの貴族の一般的な上からものを見るような態度はいけ好かない。血が第一という愚者どもは気に入らない。血継魔法なんてどうでもいい。
 というわけで何としても関係を絶っておきたいところだが――最悪だ。
 私は現在従者二人と血以外何の取り柄もないくせして無駄に偉そうな筋肉の塊、金髪碧眼の認否人の目の前に立っている。その汗臭い汚物がここに来る前に扉を塞ぐように移動したので現状ではまだ入られてはいない。
 精霊が耳元で嫌悪感を訴えているそれは大海、リーグ海の対岸、この国を平行移動し、少し南下させたところにある面積が広く、狩猟が主な遊牧民が納める草原の国、ユークリッド国の第三皇子。イコールでいらない子。
 おつむに問題があるどころかおつむがあるのかすら議論されるほど筋肉な塊、人間であることすらあやしいクグリフスク・オーファ・セル・ユークリッドである。今のところの説の共通点では第一皇子と第二皇子の搾りかす、霊長類の汚点。ただ、ユークリッド国の毛皮と伝統工芸品は捨てがたいので国交が――
「…………はぁ」
 現在の武装は……確認するまでもない。
 見えるだけの筋肉しか能のない汚点ごときに後れをとれない。いざとなれば仮面をかなぐり捨てて塵も残さず全てを抹消するだけだ。そもそもここに来なかったことにすればいい。
 例えばケルファラルに頼んで協会による神罰にしたり、レイヴェリックに頼んであるところと仲介を取ってもらい、仕方がなくということにしたり色々。人脈は基本的にこういう時にあるものだといってもよい。陽光に黒いといわれることが多々あるが、生きる上で多少は黒くない方がおかしい。
「――おい、そこをどけ」
「……ここを、レーヴェ国第一王女エリュシオン・レイナ・ゼノン・レーヴェリヒト様の私室と知っての行動ですよね?
 何にせよ、此度の要件の方を先に伺ってもよろしいでしょうか?」
 静かに淡々と言う。腰を低くはしない。ああ、ストレスがナノセコンド刻みで溜まっていく。カイエ将軍でもっと遊んでおけばよかっただろうか。後悔は本当に先に立たない。
「身の程をわきまえろ使用人! クグリフスク様がどけと言っておられるのだからどかぬか!」
 唾が飛んで非常に汚い。誰がこの城掃除していると思っているんだこいつら?
 すまない、どう考えても汚物はしゃべっていない。
 ただそこでふんぞり返っているだけだ。しかもこんな冬の寒い中薄着で。バカは風邪をひかないのではなく、こいつの場合は風邪の細菌ですら近づくのを嫌悪しているのだろうな。可哀想に……
「不十分に決まっているでしょう。たとえあなた方が神の使いであったとしてもどういう用件かも教えずに入ろうとする輩を入れたくはありません。
 もしかしたらエリュシオン様を殺しに来たのかもしれませんから」
「チ」
 あからさまな舌打ちをする汚物、久方ぶりに個人への殺意が湧き起こる。相手の力量もわからないというのによく狩猟民族を名乗れる。本当に血だけだな。
「おい」
「は。かの名高きクグリフスク様は卑しきエリュシオンめと食事をとるため御足労なさったのだ。卑しき使用人よ、そこを開けよ」
 自分で用件も言えない屑が。しかもエリュシオンの方の格を下げていやがる。反逆する理由にしては十分なものだな。ああ確かにあんたは醜悪で名が高い。真似できないよ。したくないよ。
しばしここでお待ちください。エリュシオン様に確認をとりますので
「貴様、私がここまで歩いて――」
 次の言葉が紡がれることはない。正確にいえばしゃべれなくなっている。たぶん彼でもその理由はわからないだろう。精霊に頼んであの汚物が音を紡ぐことをやめさせたのだ。
――たとえ貴方が誰であれ、お待ちくださいね
 沈黙は肯定、非常によい言葉だ。動くことすら"禁"じてあるので反抗すらできないだろう。

 
 
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