第九話
「異能、発動 前編」

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 それから私はドアをノックし、入室の許可をもらってから入室した。現在エリュシオンは髪を結ってもらっている。
 彼女は化粧台の前から動かずに問う。
「――何かありましたか?」
「簡潔に言いますと、クグロフスク様が朝食を共に取れと言っているのですが……聞くまでもないですね」
 人物名を聞いた瞬間に眉間にしわが寄った。まあ側にいられるだけでも嫌なのだからそうだろう。もしもあんな地位を持っていなかったならと常々考えてしまうぐらいだ。先ほど戦争で勝てるといったが、戦争を起こせば人が死ぬ。
 金の方は賠償金があるので無視ればいいのだが、どうしてもそれは――人命は取り返しがつかない。だから戦争はなるべく避けてとりたい。これはこの国のみならず、この国の同盟国、友好関係にあるところも同じ考えだ。
 ただ、世界全ての国がそう考えているわけではない。中には戦争することが日常という国もある。人民の命など考えていない国が確かに世界の上に存在する。汚物の発生国もそんな国なのだ。
「…………はぁ」
「失礼ですが、素直に私の問いに答えてください。アレと食事をとりたいですか?」
「それは、とりたくありませんが……ですが」
 すでに部屋の周りに遮音の結界を張っており、外からの音は通らず、中の音は外に響かない。こういうことは当然ごとくするものである。外にいる汚物の沸点は明らかに低い。
「あの方の国は――ちょっとクロノア! どこに行くのです!?」
「当然熨斗つけてお引き取りいただくために。何、すぐに終わりますので安心してください」
「ちょっと待ちなさい!」
扉を閉める際に部屋の内側と外側に多重結界を張り、外からの干渉も中からの干渉もできないようにした。魔力の循環を強める。"禁"を解いてから語りかける
お待たせしました。
 失礼ですが、エリュシオン様の御許しを得れなかったのでお帰りください

「貴様、それが一介の使用人の言うことか?
 何の力があってクグロフスク様の道を邪魔する?」
私は彼女に仕える者であり、あなた方に仕えているわけではありません。
 それに――主の望みをかなえるのが、私の仕事ですから

 ただし期間限定。
 従者の役なんてそんなにも長くやっていられるわけがないだろうが。相手のこめかみが痙攣している。たぶんこんなひょろい使用人が自分の道を邪魔することが気にくわないのだろう。
――能ある鷹は爪を隠す。
――弱きものは強くあろうとする。
――無駄な背伸び。
 相手を見た目で判断するのは戦闘の時あるまじき行為だ。相手が弱そうに見えた時、驕りを持つのは弱者と愚者によくあることだ。まだ野獣の方が賢い。
――獅子は兎を狩るのにも全力を尽くす。
 あの悪魔種の人型は人間ごときに負けるはずはないという強大な驕りをその身に秘めていたから断空斬を直撃し、死んだのだ。驕りは全ての生物を死に至らしめる強さを持っているのだよ。
「使用人は高貴な者の命を聞くのが当然である。さあどけ」
生憎、仮でも主の命以外を聞く耳を持ち合わせてはおりません。その主であるエリュシオン様が拒んだからには(山へ)お帰りください
「貴様、このお方がいかなる方か分かっているのか!?」
フム……
 ここは素直に言っておくべきだろう。
――獣にも劣る人類の汚点の凝固体。
 ――視界にいることだけで不快感と苦痛を与えてくれる希少かつ矮小な物質。
 ――豚の進化系と疑ってしまうような悪臭の持ち主。いや豚と同列死しては家畜に失礼か。
 まずあなたがこの世に存在する何かである時点で全てに失礼です。まずないと思いますが、これ以上恥を重ねたくないという人間らしい感情が僅かでもあるなら今すぐ消滅することをお勧めします

「貴様!言わせておけば!」
 尋ねられたから答えただけだ。何か悪いことを言っただろうか。事実以外申していないような気がするのは彼ら以外のはずだ。私の怒りに数多の精霊の歓喜して応えているのだからそれは間違いない。
これ以上の会話は無意味かと思いますし、それにさっさと帰らないと痛い目を見ますよ。下手すれば死ぬかも
「仕方がない……卑しき使用人ごと気が私には向かった侮辱罪だ。私の手で殺してやろう」
「あ、ちょっと君。エリュシオン様の朝食の方を任せてもいいかな?
 え? 汚物? 何すぐに片付くから気にしないで。ほら、後ろにエッジ様がいるじゃないか。思い切り殺気を放って。
 もう問題ないでしょ?」
 特別執務官エッジ――それはこの国において恐怖の代名詞である。噂では一人で悪魔種の人型を倒し、ドラゴンを追い返したことがある。またその政治の手腕も人では追い付けぬものであり、まさに文武両道を極めたものだ。尾ひれ背びれがついているとしても、とりあえずかなり強いとある。
 で、一応使用人のクロノアの方が分身体だ。いつ入れ替わったというのはあの部屋を出た瞬間である。
 その使用人が私の殺気に恐怖してすぐに部屋に入ったのを確認してから行動に入る。汚物の方はというと、身もすくんで動けないようです。
生憎、私は自分が使える国の姫を侮辱されて黙っていられるほどの地位にいない。王族を侮辱した罪で少々痛い目に会ってもらうぞ
(リヒト〜、殺しちゃ、だめだよ?)
 何てタイムリーな電波。
 まずはエリュシオンに卑しきという冠詞をつけた従者から。そいつが振り返る前に両腕を三個所砕く。ここで注意するのは折るのではないということだ。二度と治らないように肉ごと圧縮し、砕く。足も同様にする。悲鳴を上げられる前に声帯をつぶし、腹をちょっと力を弱めて蹴る。
 内臓が潰れるような音と共にその従者の口から血が出た。床を汚すなよ。掃除するのはこちらの使用人なんだぞ。いやもう血だまりができているのだから今さら何だけどな。
 もう一人の従者の方は分身体に任す。一人なので意識して操作することができる。というわけでそちらの方の出来事をちょっと――
 本体が従者の一人を瀕死の一歩手前まで遅らせ始める瞬間に、魔力を収束させて両腕両足にまとわせた。三人とも反対側を向き始めたのでその動作に気付く者はいない。戦士にとってはあるまじき行為だ。
 二対三なのだから一人はこちらを向いておけばよいものを、どういうわけだろうか。私としてみてはとてもありがたいことなので良しとしよう。
 私はもう一人の従者の背に拳をあてる。だがそれは触れるだけに終わる。しかしながらそれを喰らった彼は血を吐いた。魔力も上乗せした浸透剄である。痛いどころではない。魔力回路すらも破壊する。
 たとえそいつがどれほどの防御力を誇ろうとも魔力回路と内臓は鍛えられない。その点をついた攻撃の試しであるが、これは力加減が面倒だ。それはともかくとして、この程度で私が止まるわけがないだろうが。
 まだ気を失っていない従者の頭にさらに浸透剄を打ち込む。両足、両腕も同様にする。触れるようにしか見えないが、内部はもう諦めた方がいいのではないかと思うほどのダメージがあるに違いない。声帯の方はもう潰してあるので辺りに響くのは骨や肉が砕けていく音だけだ。
「――爆ぜろ」
 指を鳴らして彼の体内に打ち込んだ無数の魔力塊を爆発させる。もちろん致命傷にならないところのみだ。殺したら後で陽光が面倒くさくなる。さて、メインディッシュにしたくもないがなっている最後の汚物を除去しますか。
 本体の方も心底楽しそうに嗤っている。方や剛によって相手を蹂躙し、方や柔によって相手を沈めた。床である石はすでに赤を通り越して黒くなっており、元の白はどこかに消えうせている。
 一歩一歩歩むごとに鳴り響く水音は甘美な響きをもたらすが、相手にとっては恐怖の代名詞だろう。刹那の間に自分の従者二人が殺されかけた。偽体は翠の光を右手の前に収束させながら近づき、本体は左腕を黒く浸食して向かってくる。私たちは良く似た声で同時に同じことを言った。

――死ぬなんて甘ったれたことはないから。
   だから安心して外道に堕ちろ、人類の汚点
――


 
 
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