第九話
「異能、発動 前編」

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 どこぞの白い悪魔のように非殺傷設定なんて便利な機能はこの世界に"まだ"ない。
 あっても本来怪我になるはずのものを全て痛みに置換するというものぐらいだ。それもまだ構成中であるため、今ここで使うには不確定要素が多すぎる。故に今回は純粋に力加減で我慢することにした。
「――遅延術式解除」
 偽体が使っている魔法は風属性中級狙撃魔法"尖天牙月"、一転突破の防御貫通重視型、簡単にいえばただの収束魔法だ。元は遠距離の魔法なのだが、零距離で当てると上級魔法並みの威力を誇る。だがその分魔力を溜めるのに時間がかかり、普通に詠唱を行っても発動までに時間がかかる。そのためにこの偽体は虐殺喜劇が始まる前に起動し、封印していつでも使えるようにしておいたのだ。
 ちなみにこの遅延魔法は前々からあるものだ。この世界で一般的に使える中では珍しい古代魔法、それももう新たに構成するのは不可能とされる古代属性の一つ、歪属性の魔法である。その属性の特性は文字通り何もかもを歪める。時も空間も普通の属性では歪められないものを歪めることができる属性だ。
「――我が命ずる。
 ――全てを侵食せよ」
 本体が使っているものは正確には魔法ではない。ただの高圧縮魔力だ。それを腕に纏っているだけなのだが、その圧力や収束力が異常すぎて破格の威力をもたらしている。というより、もう腕の部分が別世界を形成し始めている。
 元が翠をしていた光など誰が信じると言いたいぐらい深みのある黒をその腕に装甲のように纏わせる。このあたり一帯には人払いの結界や周囲に被害を出さないようにする式を張ってあるので、どんなに被害の大きい行為を行っても結界が決壊しないものであれば何の被害も及ぼさない。
「わ、私を誰だと思っている、貴様ら!?」
誰? 人として貴様を認めた覚えは生憎ない
貴様は世界の欠点として私に認定されたからな
誇るがいい。そんなものに認定される人は
「「世界広しといえでもそんなにもいない」」
 後ろと前から交互に続けて言われることによりさらに混乱を生む。全く違う存在であるはずだというのに同一と思っている。精神の方が際にオーバーヒートして思考が駄々洩れである。
 まあ――
俺たちの世界から消えうせろ
遠き地の咎人ごときが逆らう相手を間違うな
――今さらどうでもいいことだが。
 偽体は下から腹部を掌低で抉るように汚物を殴りつける。本体は上から偽体の攻撃直線状に沿って殴る。二つの力は汚物の内部で渦を作り、外へとあふれだそうとするのだが、それを許すほどの手抜きを私はできない。外に出ることもできず、さらに力を注がれた膨大な力に世界が耐えきれず、最終的に起こるはずのないことを起こす。
 信じられないような濁った虹色の光と轟音が辺りに響き、世界を震撼させる。それらが止んだ時、私たちの間にはもう三つの汚物は存在していなかった。消滅していたわけではない。ただ本体と偽体の力の相乗効果で局所的に空間に穴が開き、それに取り込まれてどこかに消えうせただけである。
 正直に言って私も行き先は知らない。下手すれば竜の胃の中、太陽のすぐ近く、地の奥深くなんてこともあり得る。とりあえず言えることは近くではないことぐらいだ。
 ここで特筆すべきことは私は彼らを殺していないということだ。結果的に死んだのかもしれないが、それも彼らの運命ということである。私のせいでは――ない。
「…………」
 終わった後の空しさを感じつつ、偽体と本体の姿を入れ替える。正確には元に戻す。偽体の方には事後処理をさせ、本体は先ほどと同じようにエリュシオンの相手をする。偽体が見えなくなったことを確認したのち、エリュシオンの部屋をノックしてはいる許可を取った。
「クロノア! 無事だったのですね!」
「ええ、交渉でお引き取り願おうと思いましたら横からリヒト様が来まして、説明をしましたら二、三気にくわないことがあったようであの方たちを打ちのめしましたお陰です」
「その気にくわないこととは、いったい何ですの?」
「……言いにくいことですが、よろしいでしょうか?」
「ええ、正直に話しなさい」
 私が気にくわなかったことなどない。あの汚物を掃除したのはただその存在がうっとうしく、気にくわなかっただけの理由である。面倒なので適当に嘘をつくことにした。
 エッジの方? 溜まっている仕事でどこかに行ったことにする。
「――存在が気にくわなかったからでしょうね。都合よく向こうが卑しきエリュシオンなどといった王族を侮辱するような言葉を吐いたため、処罰することが容易であったのでしょう」
「あの方なら……しますね。ええします。容易に想像できますわ。おそろしいまでに」
 それから彼女はようやっと食事をとり始めた。心配しなくともいいと言ったはずなのだが、まあいい。
 ちなみにあの処罰にかかった時間早く五分だ。その短時間で食い切れという方が彼女には無理があろう。一般的貴族の食事速度は遅い。旅人には全く向かない。
「ちなみに、リヒトはその後どうしたのですか?」
「こいつらをエッジのところにつき出してくると言ってそれっきりです」
「まあそうでしょうね。それにしても、良くあなたは無事でしたね。リヒトなら周りのことを考えずに処罰すると思うのですが」
「柱の隅で震えていましたから。あんなのに巻き込まれたら命がいくつあっても足りませんよ」
 目撃者がいないということは私の口から洩れる情報が事実になるということだ。犯罪は大衆の目にさらされるまで犯罪ではないという理屈だ。アレは圧倒的に正しいことだ。
「そうですか……ところで、食後の紅茶をいれてくださりますか?」
「わかりました。しばしお待ちください」
 注文があったので紅茶を入れる。
 それにしても、一人二役も務めるのは何かと面倒だ。今思考を分割して偽体を操っている。現在の作業は書類作りである。さすがに帰らないのは怪しまれるだろうが、あの汚物がそこまで縁者から注意をもらっているとは思えない。
 風の噂ではほとんどの人がいなくなればいいのになんて考えているようだ。アレを必要としているのは国家転覆を狙う者のみだろう。そう言うわけで少しは書類作りがしやすいのだが、面倒には変わりないんだよな……
「どうぞ」
「ありがとう」
 ああ、やはり鼻の奥に血の匂いがこびりついている。紅茶の豊潤な匂いをしっかりと匂えない。やはり汚物はどんなものであっても相手をするべきではない。かといって始末しなければこの世界は汚物まみれになってしまう。全く、あいつの言うとおり世界はいつだってこんなはずじゃないことばかりだ。
「あなた方は下がりなさい」
「かしこまりました」
 今までいた女性の使用人が部屋から出る。その時に私は鋭い視線を浴びたのだが、それは気のせいであってほしいと思う。私だってそれほど良くない予感がするからさっさとここからいなくなりたい。彼女と二人きりになるのは精神衛生上あまりよろしくない。問題はないが、そういうことではない。
 もしも彼女が、いや、まあうん、そんなことはないか。あるほどの知能があるわけでもない。大丈夫――のはずだ。嘘はそれほどついていないはずだ。そもそもクロノアは架空の私であるはずだから、問題ない……よな?

 
 
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