第九話
「異能、発動 前編」

<9>



 肥るための行為を終えたエリュシオンは今紅茶を飲んでいる。
 はい、結局食べていました。これから減量に努めると決心を固めていました。その決心に賛美の念を込めて明日もティエリアーゼ特製ケーキを持っていきたいと思います。要らないと言ったら目の前でおいしそうに食ってあげますよ。
 その間に私は胸ポケットから一枚のメモ用紙を取り出した。それには彼女の今日の予定が書かれているのだが、少し奇妙な部分がある。正午以降にあるものだ。
「――一つ質問をよろしいでしょうか?」
「許可します」
「本日三時からのリヒト様との買い物は真ですか?」
「ええ、本当ですわ」
「……よくあの人が頷きましたね」
 何となく思い出した。そう言えばそんなことも言ったような気がする。その時は仕事が忙しくて周りのことなどそんなにも気にしていられなかった。
 今思い出してみると、"ああ、あったな"という状況になった。過去に戻れるなら今すぐあの時の自分の仕事を肩代わりしたい。
 そんなことはどうでもいい。それよりも私がここにいて、私がそこにいないというのが問題だ。あの偽体を長時間やれることはやれるが、この結界のある街中で維持するのは結構骨だ。もしかしたら解けてしまうかもしれない。それは防いでおきたい。
「リヒト様がそばにいらっしゃるのなら護衛は必要ありませんね?」
「……そうですね。リヒトは従者を嫌っていますから、いない方がよろしいのかもしれません」
 さて、これでまずは第一段階をクリアした。第一段階で彼女との買い物中は偽体しなくとも大丈夫になる。次の第二段階はもう少ししてからでよいだろう。
 それよりもだ。急に見た限り楽しそうに、思う限りうれしそうに、感じる限り悩む彼女の姿は実に不気味だ。時おり微笑して、何ともまあ見ているこちらからすると気持ち悪いの一辺倒である。怖いという感覚のない私にとっては気味が悪い。
 甘いものはイケる口だが、このような甘さは苦手としか言いようがない。エリュシオンを見ているとどういうわけか胸やけがする。頼むから誰でもいい。こいつが本当にエリュシオン本人なのか、ちょっと調べてくれ。まず間違いなく別人にしか見えない。というわけで思考をトレース。
――解析中
………………
…………
……解析完了――
 買い物のときにどんな服を着れば、どのような化粧をすれば私が驚くのか画策しているようだ。それはただ単にあまりに無表情、いや他人を卑下する表情しかしない私の別の側面を見てみたいからであるらしい。ちょっとこのまま放置するととんでもないほど動きにくい服を着てきそうだから少々釘をさしておこうか。
「その時は動きやすい服装の方がよろしいと思いますよ」
「――――どうしてですか?」
 夢の世界からおかえりなさい。もう二度と私の前で堕ちないでくれたまえ。
「リヒト様のことですから街中での移動はたぶん徒歩です。その際に動きにくい服装で行かれますと確実においていかれますよ。
 それにあの方の寄る店は裏通りにあるものが多いと聞きます。ならばなおさら動きやすい服装で行くべきでしょう」
「そう……ですね。ですが私はそれほど動きやすい服は持っていませんわ」
「ヨーコ様に借りてみてはいかがでしょうか?」
「いい考えです、ね……」
 いったん彼女が固まった。それはもう一気にかたまって、長い間油を差し忘れたブリキのおもちゃのように首と手を動かし、あるところ――胸の部分を観察して天を仰いだ。
 ちょっと考えてみれば陽光の体の発育はあまりに異常、早すぎる。その上結構ある方(何が?)だし、少なくともエリュシオンよりは三カップは上かと。ああ、当然のことながらサイズも合わないな。
「――無理ですわ……」
 なぜ何もかもに負けたような表情でうつむくのだろうか。
何で真っ白に燃え尽きているんだ? バストってそんなにも女性にとって大切なこと?
 陽光の昔の服ならきっとちょうどだと思うのだが、気のせいか? 封印を解く前からちょっとばかし胸はあったのだし、それを強制的にさらしで押さえつけていただけだし、時々胸が苦しいからと言ってさらしをつけなくても大丈夫な服を作っておいたはずなのだが。いや、あの存在をこいつらに見せた記憶がない。知らなくて当然のことか。
「ものは試しと言いますし、行ってみましょうよ」
「――ちょ、離してください!」
「離したら逃げるでしょう? なら離せませんよ」
「いやぁ!! あの方と比べられるのはいやぁあ!!」
――ドナドナドナ〜ドナ〜 子牛を連れて〜
 だからなんだこの毒電波は!?
 うまく関節技を決めてエリュシオンを動けなくし、私は陽光のいる部屋へと向かった。鍵の方はというと、貴重品を持ちだそうとしたら防犯装置が起動するのでそんなものはない。そのために簡単に入ることができる。
 あの約束もそうだが、私の仕事は非常に多くないだろうか。上の王からも周りからも多くの仕事を回されている。その量はこの城の中の仕事の半分と言っても差支えがないほどだ。そろそろ有給休暇をもらってもよいだろうか。と言うよりよこせ。労働組合に訴えるぞ。もちろんそんなものはこの国には存在しないが。そのくせして労基法はあるんだよな。
 食器の方は先ほど部屋を出る際に別の使用人に渡しておいた。服の内ポケットから時計を取り出し、現在時刻を知る。ふむ、問題はない。
 一応ここに記すと、これからの彼女の予定はとりあえず正午まで勉強。
 一時半から各国の姫と午後のお茶会、その実嫁ぎ先探しの意見交換会。場所は王宮の中庭の一つ。なるべく私はそれに出席したくはない。
 三時から私との買い物を二時間ほど楽しむ。二時間で済むわけがないが、済むようにするのだろう。私が。
 午後六時から舞踏会があり、それには私も可能な限り出席しなければならない。エッジとしてではなく、リヒトとして。二か月ほどの間にハンターとしてもやりすぎたためにやはり周りの国々で名が売れてしまったらしい。欠席したいのだが、そこらの重鎮が非常にうっとうしいほど汗をすりよせてきた(いわゆる土下座のこと。リヒトは脂ぎった重鎮が半径3m以内に入ってこられるとそう感じる。By翻訳者)ので仕方なくだ。
 予想されることとしてそれに欠席したら彼らから後ろ指を指される。やましいことをしているなどの根も葉も茎も、そもそもの種も土も空気もない、あるのはないことばかりな噂を立たされる。そんな私の行動を阻害するような行為は極力避けてほしいのだ。ただ、問題の一つにあのじゃじゃ馬姫もいることがある。
 そう言えば彼女の予定は午前中何も埋まっていないな。勉学は――無視する。本来三時のはずの約束も繰り上げてしまおう。そうすれば確実に舞踏会に間に合うはずだ。
 エリュシオンが着替えている間にクロノアには消えてもらい、エッジ特別執務官から特別な命を受けて行動中にしてしまえばお茶会などと言うわけのわからないものに出る必要もなくなる。
 そうと決まれば話は早い。陽光の部屋に着いた私たちは彼女から昔の、さらしをつけなくても良い方の服を借りてエリュシオンに来てもらう。当然私は部屋の外に出る。中の方から否定の声などが挙がっているが、気にしない。何の話題をしているのか興味はない。
 着替え終わる時を見計らって擬態を解く。あそこまで近づいたので陽光はすでに私の存在に気づいているようで、それほどまでに驚いていないようだ。なんとなく空気でわかる。そして陽光の部屋のドアをノックした。
「――誰ぇ?」
 わざとらしいんだよ、陽光。

 
 
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