第九話
「異能、発動 前編」

<12>



 まあそんな実用的な話はおいといて、実は今とても残念な気持ちになっている。
 理由は簡単なこと、エリュシオンが遅刻まであと二秒といったときに来たからだ。どうしてあと二秒遅くしてくれなかったのだろうか。割と部屋にいるだろう陽光に怨念を込めて送っておいた。
 それでもあいつは怨念を感謝の念と受け取ってしまうのだろうな。鈍感というよりも、馬鹿だ。どうして彼女は人の悪意というものに徹底的に鈍感なのであろう。いや、そうではない彼女を想像することはできないが。
 そんなことはどうでもいい。エリュシオンは走ってきたためか若干息遣いが荒い。たとえどんな地位にあれども常日頃から体を鍛えるのは常識としか言い表わしようがない。後で軟弱な貴族連中と文官に強制トレーニングでもさせようか。
 その場で立ち止まってゆっくり呼吸を整えつつ、あたりを見回す。今現在私と彼女の距離は約五メートルといったところだ。だが、結界のせいで彼女が私の姿を認識するのは不可能となっている。見つけられたら見つけられたで私は自分の力量をまず嘆きたい。
「――ふぅ」
 私がいないと勘違いして安心した彼女は陽光がほしいと言ったので作ってやった小さな手提げ鞄から櫛と手鏡を取り出し、走ったせいで若干乱れた髪を整えた。
 そうしつつ、城門の――私が経っている壁のほうに近づき、壁にもたれかかった。この時の距離は二メートル弱だ。
 ふと町の中心にある時計塔で時刻を確認する。この世界には腕時計がない。懐中時計はあるが、それはかなり高級なものとみなされている。
 故に多くの貴族が一ステータスとしてそれをほしがっている。懐中時計のほかにもオルゴール、柱時計などもそれに当たる。だが、そういったものはほぼ全てが職人の手作りでできているのでそれほど多く生産できるわけがない。よって自然とその価値は上昇していっているのだ。魔法に頼った文化だと機械工学がそれほど進歩しないということだ。
 もちろん私の持っているのは自作の品だ。どんな時でもその場所の基準時間を刻む高性能精霊時計。半永久機関を搭載しており、メンテナンスも気が向いたら程度で済む。分類上懐中時計となっているが、時計機能だけで私が終わると思った方は今すぐ脳外科に行くことをお勧めしよう。他の機能を付けるのは私として基本的な行動だ。
 ま、その機能のいくつかがラ・ヴィエル教の禁忌目録を犯しているのは仕方がないことだ。もし知れたら手が後ろに回る前に来たやつの首が飛ぶ。というか飛ばす。
「全く、あれほど人に遅刻するなと言っておいて本人が遅刻するなんて…………」
 このまま観察するのもまた一興か。彼女が私を見つけられないのが悪いのだし、いや当然見つけられるなんて私がまだ正常な人間である程度は思っているが、いくら午前九時から店が開いているとはいっても商品が出揃うのは少しあとだ。店によっては年中無休二十四時間営業のところもある。ただ、そう言った店で並べられている商品の質はそれほどよろしくない。
 今の季節は真冬ということなので、やはり彼女も防寒具を着用している。ただ、それも私が作ったものなので結構性能が良い。悪いはずがない。
 フードなしの白いコートを着用し、下はベージュのロングスカートをはいている。靴はブーツだが、今が冬ということもありハイヒールではない。もしもハイヒールだったらこんな舗装のされていない道であるとまず間違いなくこける。
 次、どういうわけか両手には手袋がなされていない。陽光が何を考えているのか全く分からない。そのために先ほどからしきりに両手に息を吹きかけて温めている。そんなにも寒いなら火の精霊でも召喚して握っておけばよいものを。いや彼女は水属性の好かれているのでこんな季節かであると火の精霊は余計呼びにくいのだろう。私は、基本的に風属性を使っているだろうが。
「来たら絶対に何か奢らせます……ケーキ、がいいかな?」
 本当に彼女は私の存在に気づいていないはずなんだよな?
 今しがた疑問に思った。普段ならしないはずの独り言を彼女は呟いたのだ。そもそも人が独り言を話すなどほとんどフィクションの中の、空想の中の出来事だ。
 たとえあることに対して深く考え、周りのことに対して不注意になったとしてもそれを洩らすことはまずない。大概あることを話す時、人はそのこと意識している。会話でも、無意識化であるとしてもある事象について話したいと考えるからこそ人は話しているのだ。
 故に独り言は空想もしくは妄想の中でのみ完結すると考えている。まあ、ひとりごとなので私もいくらかは呟いているかもしれないが、そのすべてを意識している。
 だからエリュシオンの行動は私に不信感を与えた。どうでもいいことだ。
 そんなことよりもこれ以上、そんなにも待っていないがこれ以上待たすと嫌な要求をしてくるかもしれないので気付かれないように結界を解く。隠れていたことが知れたらそれこそ何を言われるかわからない。反論すら許されないのかもしれない。女性はわりと身勝手なことがあるから、それほど得意ではない。当然男性も身勝手なところはある。何にせよ人間は苦手である。
 まだ竜、近頃の人間が言う知能のない下等竜種のことではなく、少なくとも人以上の知能を持つ上級竜種を相手した方が話ができる。
――――閑話休題。

「……いい加減に気づけよ」
「――――ヒァッ!」
 呆れているといった声で語りかける。それに対して過剰に彼女は反応した。壁にもたれかけて緩ませていた背筋を急にぴんと伸ばす。その時の反動で彼女の頭はいい音を立てて壁に衝突した。
 言っておくがこれは決して私のせいではない。気を抜きすぎていた彼女の責任だ。そう言ったところでエリュシオンは一向に納得しないのだろうな。
「あ、頭が……」
「お前のことをバカだバカだとは常日頃から思っていたが、ここまでとは思っていなかった」
「人をバカにしないでください!」
「バカをバカにして何が悪い?」
 当然のことを当然のことのように言う。頭が良いとバカは全く違うベクトルの話だ。
「ところでリヒト、貴方はいつからそこに?」
「お前が来る五分ほど前からだ」
「……どうして話しかけてくれなかったのですか?」
「その方が面白そうだったから」
 この時に飛んできた平手を私は避ける。生憎被虐趣味はないので痛いのは極力避けて通るようにしているのだ。
「私がそちらを見たとき見えなかったのはどうしてです?」
「注意力が足りなかったからだろう。それからこれを握っていろ。手がかじかむぞ」
「――あ、ありがとうございます。えと、これは何です?」
「火の下級精霊」
 私たちが因子と呼ぶ存在だ。これによって彼女が私に平手、拳の類は飛んできにくくなる。このために陽光が手袋を渡さなかったとは思えない。まあ、今となってはどうでもよいことなのだが。
 そして、今ここから、エリュシオンのエリュシオンによるエリュシオンのための散財が始まる。もちろんなくなる財は私のである。
 うん、あとで老王からこってり絞っておこう。今一度決心を固める私であった。

 
 
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