第十話
「異能、発動 中編」

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 街を歩く私たちはさぞおかしく見えることだろう。
 私の方は実用性と機能性しか重視していない全身黒色の格好をし、何をどう考えても怪しげな人にしか見えない。さらに表情は不機嫌を体現しているようなものになっているに違いない。
 今現在いる無駄に高いくせして名前以外の価値は一切ない不良商品を置くような、俗世いわく高級商品のみを取り扱う店とは無縁以外になることはできないと自負している。もちろん私はそういうものに興味はない。
「――――……」
 片やエリュシオンの方はというと、さすが周囲から常に蝶よ花よと育てられ、俗世間の汚れや良さに無関係に育てられ続けていただけのことはあり、このような目利きすらも適わなくなっている。故にその存在に不審なところは一切なく、幸か不幸か、私から見たら確実に不幸としか言いようがない、落ち着いてこの汚れた商品を愛でることができている。
 本当に極めて自然だ。嘆かわしいまでに自然過ぎて可哀想になってくる。痛々しいとしか言いようがない高貴さを惜しげもなく見せつけているあたり、もう末期としか言いようがない。
 ルージュの時もそうだが、どうして人はこうも意味のない者、価値のないものを求めるのだろうか。もっと実用性を、さらに機能性を求めようとは思わないのだろうか。思っていたらこんなところには来ないか。本当に痛い世界だ。主に私に。
 差し詰めこの光景は不機嫌な従者である私を連れているもの好きな貴族のわがまま娘といったところか。周りの――どこかで見たことがあるような気もしないことはないのだが、あまりに平凡過ぎて印象にすら残りそうにない貴族や成金どもがこちらを見ているのがよくわかる。
「…………はぁあ……」
 本日何度目になるのか、数えることをあきらめたため息が出る。ため息をつくと幸せが逃げるというが、不幸でいいからこの状況を破壊するような出来事が起こってほしいものだ。むしろ下手な幸福よりもとびっきりの不幸の方が刺激にあふれていて私にとって好ましい。
 今現在いるのは王侯貴族が愛用している店で、取り扱っている品は貴金属を用いた装飾品だ。だが、その素材には全くの価値がなく、店の主曰く最高級品と言っても所詮は有名無実の無駄に権力を持った五流ですら失礼に値する人間以下の下等存在が作った装飾品で、ただ重いだけ、輝くだけ、大きいだけ、高いだけのものだ。その装飾品に何の意味もなく、刻まれている刻印字も大きく、耐久性に脆い。そのくせして精密機械並みの手入れを必要とする無駄だらけの何か。
 あのようなものは付けない方が身のためといえよう。つけていたら確実に肩こりになる。それだけならまだ良いのだが、刻印に一貫性がなく、基盤となる主すら定めていない。あれでは何がしたいのか全く分からない。つける人の得意属性によっては逆効果も見込めよう。もしかしたらそれを狙っているのかもしれない。後で絞めておこうか。
「――リヒト、これ似合いますか?」
「それつけない方がいいぞ」
「……見ずに何がわかるというのですか?」
 現在私は布で目を覆い、視界を完全に遮断している。
「見なくてもわかることはわかる。それだけだ」
 というより見たくないというのが本音だ。現在拷問用の魔法の一つで視覚を強制的に遮断するというものを自分にかけている。それから似たような構成で作った聴覚を遮断するというのを弱めに行使し、無理に刻まれた刻印の奏でる狂詩を聞かないようにしている。何でもよすぎるというのは問題のあることだ。余計なものまで聞こえてくる。
「その刻印はあまりに矛盾している。当初の目的としてどのような効果を狙ったのかわからないが、それを果たすことはできない。それどころかお前の場合は良くない効果をもたらす。
 何よりあまりに重いだろ、それ。肩こるどころか骨格が歪むぞ」
「何を言うのですか? これは巨匠ディーデリヒが作った至高の一品ですよ。刻印について何も知らない人が刻印の専門家が作ったものを劣悪というのはあまりに間違っています」
「そうですよ。従者は従者らしく黙っていたらどうですか?」
 だから有名無実は嫌いだ。それのせいで本来の価値を見ることができなくなっている。
 本当にそのディーデリヒという人は多くの機能を求めすぎたために主を見失い、刻印が互いに互いを殺すような状況に陥ってしまっている。これならまだなるようにならしている方がいいのではないか。
 ちょっと後で刻印関係の参考書の入門前準備編を出版しておくか。あの程度で名が売れるとなると昨今の刻印師の質は左肩上がりであると思ったほうが良い。
「本当に整然と刻印されたものはこうなるのが普通だ」
 心の中で悪いと思いながら私はカウンターの机の上に三次元刻印を施した紅珠を置いた。形状は円錐を二つ重ね、角を取ったような形をしている。これから金属をつけていって装飾品、一月の初旬にあるルージュの誕生日の贈り物にするつもりだった。
 だがそれももう叶わないだろう。ここまで刻印されたものが散らばっているところでは、刻印が別のものの刻印に影響を与えて行く。それなりの遮断設備に一つ一つ分けて保管しておかないと短時間で汚染される。
 結構気に入っている宝石なのだが、あとで一掃しておかないといけなくなってしまった。いや浄化だけでいいか?
「わぁ…………」
 その紅玉は机からわずかに浮いて立っている。微かな輝きを放ち、中心では様々な赤――鮮血、紅蓮、暁、炎、焔、朱、紅といった赤を渦巻かせている。そんな渦の中心は誰が何といおうが赤と言える光球が鎮座している。宝石の大きさは大体縦が50mm、横が15mmである。それの内からにじみ出ある高貴さ、潔癖さより周りの下らなく、弱い刻印が次々に消失していっている。
 ここまで持っていくのに本当に苦労したのだが、ため息すら出ない。まあもう一度同じものを刻むだけなので最初よりは苦労しない。然れども面倒なのは変わらない。
「店主よ。これを見てもそれが本当に名作と言えるのか? 刻印師として名がない俺が作ったこれよりも上回っていると言えるのか? 貴様の目は今どうなっている?」
「申し訳ありませんでした。このような見事な刻印、それも百年に一度あるかないかという刻印をなさる方とは到底見抜けませんでした。失礼とは承知していますが、今後の参考としてそれをわたくしどもに譲っていただけないでしょうか?」
「却下。ここにろくなものがないとわかった以上とどまる必要はない。次行くぞ、エル」
 机に置いた紅玉を店主が触れる前に回収する。
 "在るがまま"の刻印を刻んでいない未完成のものを何の心得もない者に不用心に触られるとそれだけで微妙なバランスで成り立っている刻印が崩壊する。そんなことが起きたらもう一度素材探しから始めなければならない。
 今のこれは様々な意味精密機械よりも精密だ。
「あの、それは一体どなたのために作っているのですか?」
「ルージュに。緋結晶の礼に作っている。それに、もうすぐしたらあいつの誕生日だからな。何か作ってやらないと後でどやされる」
 主な理由は前半、後半は後で付随してきたものだ。
 そのようなことをさらりと言ったのはいいが、どういうわけか黒い何か――もしも陽光の持つ視力があったなら靄のように見えるだろう不穏な気配が立ち込めていないだろうか、いやいる。ここはあえて反語で断定させてもらった。
 どういうものか簡単に言うとフィクションすなわち妄想の中だけの女性が使えるカオスなオーラである。それがいまだかつてないほどの濃度で辺りに立ち込めている。私が一体何をした?
「もちろん私の誕生日にも作ってくれるのですよね?」
「は? お前は俺に何をくれたというんだ? 世の中もらうだけで成り立つと思うなよアホウ」
 あ、濃度がさらに濃くなった。

 
 
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