第十話
「異能、発動
中編」
<9>
重たくなった財布を下げ、店から出る。
最初から最後までわからっていないことなのだが、最終的に彼女は何をしたかったのであろうか。陽光の誕生日はまだ先の話であるし、彼女の誕生日もまた先の話だ。
「もう二度と俺にこのようなことを頼むなよ」
「え? 何故です?」
「利益が欠片もないくせして損失が大きすぎるから」
「こんな美少女とデートできて一切の利益がないとはどの口が言いますか!?」
「自分で自分を美少女と語るな。一切の利益がないのは事実。お前は一体どのような利益があったと考えるんだ?」
「む、それはですね…………」
どうせ答えなどない質問だ。黙ってくれたことを良いことにさっさと先に進もう。まあ、最後の方で漬物などをもらえただけでも良しとする。
…………あ、日本酒もらっていない。また次の機会でよいか。
「人ごみ自体俺は好きではない。全く心労しか溜まらないよ。老王はまともに仕事をしないし――なぁ? お前もそう思うだろう?」
街路灯にとまっている鴉らしき何かにそう語りかける。アレは使い魔の魔法で、索敵などによく使う。高い隠密性を誇っており、気づくことは稀だが、私には非常に優れた聴覚があるため最初から気づいていた。
あいつには一朝一夕では決して終わらない量の書類を押し付けてきたはずなのだが、おかしいな。後で弄ってやろうか。
「寒いですね……」
「そう考えるなら厚着をして来い」
「むぅ、貴方がいつも薄着なので大丈夫かなと思ったのです! 貴方のせいですよ!」
「あほぅ。俺がただの服を着ると思っているならその概念、今すぐ海の底にでも捨てて来い」
「何故そうもわたくしのことをアホと言うのですか? そろそろ怒りますよ」
「怒るなら勝手に怒っておけ」
もちろんその時は私は逃げるがな。怒った女性をなだめるのは結構面倒だ。男性ならちょっと黙れと言うだけで済むのだが、女性の場合はそれをすると過剰に怒りだす時がある。全く理解できない生き物だ。
頬を膨らましても何の恐怖も感じない、むしろ愛嬌があるエリュシオンを隣に私は城を目指す。ああ、書類が私を待っている。
………………
…………
……空しい。
「寒いです……」
「七回目だ。そんなことを言ったところで何も変わらないぞ」
「少しはコートをかけてくれるといった配慮を見せてくれてはどうですの!?」
「ああうん。俺寒いの苦手だから嫌」
「あなたはもっと淑女を大切にしなさい!」
「そんなことしても俺には何の得にもならない。それに、昨今の世は男女平等だぞ? 女性だからと言って甘くするのはどうかと思うが?」
「このぐらい世界の常識です。少しは守りなさい」
「世界の常識が須らく俺の常識と言うわけではない。だから守るに値しないことは守らない」
「あなたって人は――!」
「そもそも、女性だからと言ってやさしくする俺を想像してみろ。気持ち悪くなる」
「え? …………リヒトはリヒトのままでいてください」
「そうさせてもらう」
いったいどのような場面を想像したのかわからないが、どうでもよいに違いない。
「リヒトは、どうして寒くないのですか? 私よりも薄着なのに、なんだか不公平です」
「……体内に魔力を循環させているだけだ」
「それは……基礎的な肉体強化ですよね。本当にそれだけですか?」
もちろん他にも二、三あるが、説明するのが面倒なので言わない。
「――本当にそれだけですか?」
「顔を近づけるなうっとうしい」
無いなら創ってしまえというのが基本的な精神である私はどのような障壁よりも弱く脆いが、防寒防熱防水など守ると言うこと以外に関して最も秀で、かつ消費魔力量もかなり少ない全地形対応型の障壁を想像済みだ。
ただし、これは求める魔力量が少ない代わりに洒落で済ませない微細な魔力制御力を求められている。針の穴に糸を通すかのような魔力制御だ。ほぼ間違いなくこの世界の魔導師では使えない魔法だ。
使う意味がないのかもしれない。何せあいつらは力技が目立っている。こんな細かい作業とマルチタスクはほぼ間違いなく苦手なはずである。
もちろんハルシオンにはそのあたりの基礎的な部分を徹底させている。魔力制御は先天的な才能の面が大きい魔力量とは違い後天性で、伸ばせばいくらでも伸びる才能だ。鍛えないと言う選択肢は生憎なかった。
特にハルシオンは物覚えの良さと真面目さが合わさって近頃の伸びが非常によろしい。このままだとアレすらも夢ではなさそうだ。そろそろ魔力刃を教えても良いころだろうか。
「まあ慣れていないとまず無理だな」
「ムー……」
「………………?」
「どうなさいました?」
「……いや、何でもない」
一瞬だけ、そう本の一瞬だけ風に嗅ぎなれた臭いがした気がした。その臭いが何なのか、私にはすぐに思い出せなかった。すぐに思い出せなかったから、頭を振ってその思考を除去した。
それが間違った行動であることも知らず、城へと向かった。どうしてかその時自分の感覚を信じることを――忘れていた。
さて、城門付近で用事があると伝えてエリュシオンと別れた私はクロノアになり済まして使用人長に自分から急用を承ったと嘘をついた。これで彼女の子守をする必要がなくなった。
どこか遠くの方であのじゃじゃ馬姫が私を探す声を聞いたので書庫に行こうとしたのをやめる。きっと書庫のあたりを探しているのだろう。無駄苦労なことだ。現在時刻を考えると一般兵用の食堂にも見張りは居ることだろう。寒い中無駄苦労なことで。
さて、嫌な意味で暇になった。老王のもとへと行こうにも見たくもない家紋を掲げた兵士が見張りとして鎮座していた。〆て吊るすのは容易いがそのあとが面倒なのでやりたくない。
それ以前にそれでいいのか、レーヴェ国騎士たちよ。自分の仕事を他人に取られたのだぞ。どことなく遊んでいる彼らの姿が幻想できたのでこの祝賀会が終わったらこってり〆てやろうと思う。トレーニングメニュー第三章"天国への階段"三段目でいいかな? ちょっと温い?
事実にもこれといった書物は何一つとして置いていない。作りたいものも材料がないために作れない。他に何か作らないといけないものはあの宝石以外ない。かと言って今宝石に刻印を刻む気にはならない。
「――……暇だなぁ」
どこかで仕事しろと吼えた人がいる気がした。気のせいだろう。うん、気のせいにしよう。
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