第十話
「異能、発動 中編」

<15>



 荒れている呼吸をたった一度の深呼吸で落ち着かせる。
「スー……ふぅう……」
 五感を必要最低限までカットし、別の感覚を研ぎ澄ます。ゆっくりと知覚領域を広げ、レイヴェリックの魔力を探った。
 のだが、城内どころか街中でも彼女の魔力を感じることができない。何箇所か微弱な魔力の形跡があるのがわかるが、それらではないはずだ。
 ここで一つ、もう喰われていると仮定しよう。うん、妥当だな。
 気づいた時には体はすでにある場所を目指して駆けだしていた。生憎私には虫の知らせなどという虫の良いものは存在しない。全てが仮定と過程の上に成り立っている。それらから推察できることの中で最も起こる可能性が高いものを探っているだけにしか過ぎない。
 故に時々私が未来予知をしているように見えるかもしれない。しかし本当に行っていることはそんなものではなく、未来予測にしか過ぎない。だから過去も予測できる。
「――――……あー……」
 レイヴェリックの私室に到着した私は頭を掻き毟るしかなかった。彼女はベッドの上で横たわっている。その姿はまるで静かに眠っているようで、今までのどの時よりも魅惑的で儚い。

――私はこの状況をすでに知っている。
――知っているからこそわかっている。

 連想されるものは線香花火、蝋燭が燃え尽きるその一瞬、刹那の生を儚く終える姿。

――もう彼女は手遅れであることを。
――私だけではどうしようもないことを。
――この場にいる誰よりも、理解している。
――何故なら私はこの状況をすでに知っているから。

「済まない。少し野暮用が手間取った」
 どうして何も思わないのだろう?
 どうして何も思えないのだろう?
 心はこんなにも軋むのに、"私"は何も感じていない。また、この感覚だ。本当にこれしかないな。まあいい。冷静にこの状況をどうするか考えている"私"が私の中にいるのだから問題はない。
「俺は遅すぎたか? レイ」
 レイヴェリックの現状は非常に芳しくない。魔力が完全に底をついている。限りなく零に近い極限ではなく、完全な零だ。
 大概魔力が少なくなればなるほど睡魔が強く襲う。底を尽きかけると本能か何か、安全装置が強制的に魔力を消費する全ての事象をカットさせ、その反動を使って意識を落とさせる。よって普通には起こり得ない。
 しかしそれは今ここに起こっている。また普通に起こり得ない状態なので当然普通には起こり得ない事象が発生する。もちろん、生命にかかわる危険な事象だ。
「ええ、遅すぎですよ。全く、レディをどれだけ待たせれば気が済むのですか? リヒト」
 どうして魔力が底をつく――一般的に言うガス欠は限りなく零に近い値であるだけ、決して完全な零ではない――ことが危険なのかというと、魔力の本質のせいだ。
 魔力というのは種族、いやそれこそ生物無生物に関わらず世界に存在するために少なからず保有している。常に魔力を薄い、非常に薄い膜にして全身に浸透させている。そうはいってもそんなことを永久機関で行えるわけもなく、極微少量であるが、常に消費していっている。
「だから野暮用を済ませるのに手間取ったんだ。間に合っただけ幾分ましだろう?」
 ああそうそう、ここで言っている魔力は魔法で使う魔力ではなく、生命の消費滓、生きている残滓、純魔力とでも言うべきものだ。これを世界の魔力と混ぜることで魔法で使う魔力となる。
 純魔力は世界の魔力・大源・マナを取り込んで個人の魔力・小源・オドとするためのエネルギーみたいなもの。ほら、栄養素やエネルギーを吸収するためにエネルギーを消費するだろ。これはそれとよく似ている。ただ圧倒的に原料が違うが。
「そうですけど……はぁ、仕方がないですね。今回は特別です。貸しにしておきます」
 そんなことはどうでもいい。
 この純魔力が誰しも持っているものだが、その純魔力と大源を混ぜるための器官を持っていないと魔法使いになることができないとかそう言うのもどうでもいい。
 まずいのは魔力が完全になくなるというのはその物体に浸透している純魔力もないというところだ。多くの人が勘違いしているが、ほとんどの精霊に善悪の概念はない。罪悪の概念はない。あるのはイエスかノーかだけ。やるかやらないか、非常にわかりやすいだろう?
「ん、わかった。借りておく。因みにいつまでに返せばいい?」
 善悪の概念がない故に殺戮をしても何も思わない。罪悪の概念がないから殺してもどうとも思わない。後悔なんて存在していない。
 ただしたいからするのだ。無邪気にも程がある。そしてそういう彼らは生きる上で常に魔力を食べていなければならない。人間が呼吸しないで生きて行くのが不可能なように、彼らもまた魔力を食べずには存在できない。
 さらにそう言った思考がない彼らは魔力をためるということができないため常に食べ続けなければならない。なぜなら、死ぬのは"No"だから。
 純魔力はそう言う理不尽な暴力を撒き散らす彼らから大好物である魂や精神を守るための鎧となっている。なかったら、魂を喰われて死ぬ。
「そうですねー…………今すぐ――と言いたいところですが私にもあなたにも予定があります。気が向いたらでいいですよ」
 また純魔力は肉体と魂をつなぐ精神の栄養であり、補強や維持といったことも行っている。また分子間力やイオン結合などの維持、個が個として存在するために必要な楔である。
「……当分先になるぞ。それでもいいのか?」
 故に、純魔力を失った個は精霊に己の魂を喰われ、精神を破壊され、個として存在できなくなった器は別のものに移り変わる。死体ですら純魔力を内包している。だから死体という個としてこの世界で存在することができる。
 ラ・ヴィエル教の葬儀の一つに確か死体から完全に魔力を抜きとり、精霊に食わすという葬儀があったと思う。精霊葬、だったか? 精霊に食わすそれは肉体を精霊に喰わせ、器を崩壊させるからこそ死体すら残らない。残滓はいくらか存在するが。
「返してくれるなら、いいですよ」
 また魔力を生きている内に無くしてしまうのは魔法使いだけではなく全生物にとって想定される全ての死に方よりも恐ろしい死に方をする。いや別に痛みはないんだが、その経過がなんとも言えないほど恐ろしいらしい。
 経過中もまだ生きているために純魔力を生産する。故にその進行速度は遅々としている。だからじわりじわりと失っていく。体が少しずつ崩壊し、自分の内側が何かに喰われていくような感じがするが、それをただ眺めるしかない。
 死ぬのは器が完全に崩壊してからだ。ゆっくりと虚に溶けて行くのは、想像を絶するほどの恐怖を感じさせる。
「了解。ゆっくり待っていてくれ。なるべく早くことを終わらせるから」
 この死刑方法はたとえどれだけ罪を重ね、世界全ての人から恨まれている快楽殺人鬼であったとしても受けさせるのを遺族が泣いて止めるほどらしい。殺人鬼が、ではなく遺族が、である。
 確かに魔力を抜いていく時には体に白く溶けかけた鉄棒を突っ込んだと思ったらその鉄棒は実は絶対零度でしたという奇妙で気味わるく痛い苦痛を受け、それから虚に解けるのだからな。非人道的すぎるわ。故に過去千年内でもそれが行われた前例は、ない。
「ああ、紅茶もらうぞ。急いだから少し喉が乾いた。別にかまわないだろう?」
「ええ、構いませんよ」
 現在進行形で器が崩壊していっている彼女は本来精霊に愛されているので進行が比較的早いはずなのだが、この精霊を拒絶する結界のせいで進行が比較的ゆっくりしていっている。
 白い肌は本当に透けており、現在四肢の末端である肘や膝はゆっくりと七色に輝く光の粒子に分解されていている。やれやれ、どうしてこうもまあ、遅かったのだろうなぁ?
 はぁ、紅茶はうまい。
 "私"は今日も何も感じていないな。

 
 
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